安曇野ではどうも金環日食は見られそうもありません。雨降りではありませんが、太陽が昇る東の空を雲が覆っています(より前)。
午前7時30分ごろは松本市内にいますが条件は同じ、おそらく見ることはできないように思います。ちょうどその時間は、上高地から流れてくる梓川の梓橋の上を通過するころです。
ちょうど通勤時間帯なのでくれぐれも運転には注意をしてくださいとニュースでいっていましたが、この不思議な天体ショーが始まれば見ない人はいないでしょう。
皆既日食、金環日食の違い、地球を中心に楕円軌道で回っていて日食は太陽と地球の間に月が重なった時に起きる現象で、楕円軌道の長いところで重なった時が金環日食、太陽よりも若干小さく、重なった時に光の輪ができることことから金環と呼ばれ、短い時に重なると、ちょうど太陽と月が同じ大きさで重なり真っ暗になる状態を皆既日食と呼ぶのだそうです。
偶然性が織りなす世界、地球、月、太陽の大きさや、相互間の距離、現象から見ると地球上の人類のためにこの芸術的な現象が引き起こされているとも思えてしまいます。
どういう因果で科学的には説明できても、この不思議さ、突然太陽の光が無くなるという現象は古代人にとっては不思議というよりも怖さをともなう驚きであったであろうことは、その現象の理由を知る現代人にとっても不思議であることから推測ができます。
25年ぶり減少、25年という長い時間の中で起きる現象です。最近読んだ本に英国の哲学者マクタガートという人の時間についての次の言葉が紹介されていました。
時間については、A系列とB系列の二つの考え方があって、A系列とは、事象が「過去---現在---未来」という特性をもつことであり、B系列とは、二つの現象が「より前」「同時」「より後」のいずれかの関係で構成されていることである(以上内海健著『さまよえる自己』筑摩選書 p48から)。
簡単明瞭な話ですが、因果とみるか単なる時間経過とみるか、考えるの人間です。こんなことを書いている時間経過の中で、不思議に先ほどまで雲が出ていたのに太陽が昇ってきました(同時)。
ということで見出しの通りに話は一変し、金環日食を見ることができそうです(より後)。