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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

福寿草と今現在説法

2013年03月27日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 午後ランニングで山麓を回りました。近くの松尾寺の福寿草が雪も消えご覧のとおり毎年の風景となりました。



冬ごもりでエネルギーをその内にたくわえ、春を感じ一気にその姿を表わします。

 何と自然は正直なのでしょう。あるべき姿のままに、その姿を継承し根が絶え無い限り永劫回帰します。今現在のあなたがそのままに永劫回帰すると言われたらこの我があり様でありがたいことだと言えるだろうか。

 輪廻転生が有るや否を語ったり、無記で語らずよりも「今現在の己の心のあり様が回帰する」の方がどれほどありがたい話でしょうか。当然取り巻きの状況、状態は継承されずあくまでも心の問題です。

 フロイト的に無意識にエスを溜め込んでいる者はそのままに、状況、状態はその都度変化します。

 執着を離れるとは、その意味の理解であるように思います。今在る己のあり様それに尽きるわけで、「今現在説法と一夜賢者の偈」の意味するところはそこにあると判るのです。

福寿草話が今現在説法になってしまいましたが、今現在このようなことをブログに書くところに今日の意味がありました。

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道祖神のある風景と賢治の心

2013年03月14日 | 風景

 2010年8月から翌年2011年10月までNHK連続テレビ小説“おひさま”の印象的な「道祖神と水車小屋がある風景」場所のロケ地が3月17日をもって撤去される話が伝わってきました。

 男女の双体道祖神と水車、あずみの国立公園の近くにあるロケ地で、1年前に書いたブログでは間もなく撤去という話があると書いていましたが、その後BSで再放送され存続となり、遂に維持管理の問題もあり撤去となるようです。

道祖神と水車小屋のある安曇野の風景[2012年04月07日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/339e6af150f36621e8428956887f2238

今では風景に溶け込んでしまっている道祖神、昔からその場所にあったように見えます。

 道祖神は村の入口の道路脇、また子供たちが遊ぶ小さな広場が隣接し「祈り」の習慣が自然に身につくようにあるものでした。ある意味「自己と宇宙の本来的同一性の経験」の場所でもあったわけです。

 作家で劇作家でもある東京工業大学文明センター長のロジャー・パルバースさんが『賢治から、あなたへ』(森本奈理訳・集英社IN・2013.2.28発行)を書かれました。宮沢賢治好きで、またパルバースさん好きでもありさっそく買いました。宮沢賢治の作品を読み慣れていないと速読はできないような思いますが、非常に心打つものがありました。

 道祖神に関連してこの本の冒頭の「まえがき」の最後に書かれている「どんなことがあっても、生き続けよ」という言葉を紹介したいと思います。言葉というよりも文章なのですが一塊の心の表現として全体を言葉として感じたいのです。

<どんなことがあっても、生き続けよ>

 いま、日本は大きな「分かれ道」にさしかかっています。それでも、わたしたちの「ふるさと」は、ここ「日本」しかありません。
 人々の孤独には、もっと根の深い問題がつきまとっているようです。その問題というのは、わたしたちが自然や地球や宇宙との「つながり」を失いつつあるというものです。「いじめ」や「引きこもり」、自殺者の増加といった恐ろしい問題は、理由もなしに起こつているのではありません。
多くの日本人、いや世界中の多くの人々は、自分の存在価値に自信や希望が持てなくなってしまいました。そして、こうした状況に対して打つべき手がないようにぼくは感じているのです。これが日本や世界のさまざまな社会問題の主な原因になっていると思います。
 
 世界がこのような状況になってしまったからこそ、いままさに、賢治が必要になってくるにちがいありません。彼のメッセージはこういうものです。
 
 どんな状況でも、わたしたち(自分)がいま存在していることには意味と役割があるのだと理解できるようになれば、いまはどんなに苦しくても、生き続ける意味がある。そして、希望も湧いてくるはずだ。もちろん、その意味と役割とは、人がおたがい同士と地球を大切にする。そして、自分の幸せのためには、他の人、いや、動物であれ植物であれ、山や川や森、水や空気や光であれ、宇宙のあらゆる存在を大切にしなければならない、ということです。

 賢治は、『よだかの星』という、動物が星になる物語を書いています。しかし、賢治自身が、わたしたちの宇宙の星、他界した1933年に爆発した超新星なのです。
 いま、この瞬間にこそ、「宮沢賢治」という名の星のまばゆい光が地球にたどり着こうとしているのかもしれません。<以上>

『よだかの星』については、

「よだかの鳥」と一切衆生喜見菩薩[2009年08月23日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/fadaeac532962a607387c0cf5cd8b1f6

というブログを書いていました。矛盾的自己同一の歴史の自分を想います。

「動物であれ植物であれ、山や川や森、水や空気や光であれ、宇宙のあらゆる存在を大切にしなければならない。」

 森羅万象、山川草木・・・「自然・じねん」に感じるところは継続という「生」があるという単純極まりない事実です。しかしそんなこだわりなどは壮大な催しの現実の中では、小さなことです。だからと言って「ざわめく」情意の心は捨てがたい価値があります。

 「道祖神と水車小屋がある風景」場所のロケ地が3月17日をもって撤去

 止むを得ない話です。この世の主人公はあくまでも唯一の私です。心にとどめるのは私であるということです。忘れないでしょうね。

 今思い出しましたが、最近震災遺産ということについて書いているのですが「震災遺構」という表現もされているようです。「遺す」(のこす)という言葉は「残す」とはまた違うイメージがあることに気がつきました。一般なのか特殊なのか。語れば長くなりそうです。

※ 参考

ロジャー・パルバースの「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」 翻訳者の心[2011年09月05日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/c5bbbaa8f429ca6b836b1b69deb7989d

宮沢賢治に魅かれて[2013年02月05日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/722b6e89ff1840e41598c0084d562641

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安曇野の風景・白鳥と北アルプス

2013年02月25日 | 風景

 出かけついでに安曇野市内にあるいくつかの白鳥飛来地の白鳥を久しぶりに見に行きました。安曇野には冬期間多くの白鳥がシベリアから飛来します。安曇野市のホームページには次のように白鳥に関するページが置かれています。

長野県安曇野市ホームページ(白鳥飛来情報)
http://www.city.azumino.nagano.jp/kanko/fubutsushi/hakuchou/hiraijouhou.html

 平成25年2月15日現在:1,068羽が飛来しているとのこと見に行ったのは、御宝田遊水池という一番多くの白鳥が集まる場所ではなく普通の田んぼの飛来地です。

 今年は冷え込みが強く田に張った水は凍り氷の上で休んだり、上空を旋回したりしていました。バックに北アルプスの常念岳、有明山が見え本格的なカメラを持った人達が来ていてシャッターを押していました。

 若い人は居らず、高齢者の人達がほとんどでした。午前中の早い時間だからなのだろうか、いつも高齢者が多いのです。私もその年齢に近いので光り輝く山々と白鳥、静と動の世界、鳥の鳴き声が風景の中で響く・・・そんな風景がなぜか心地よい・・・そういう理由なんでしょう。

 人間だからついそんな問いをしてしまいますが、単純にそんな風景が好きなんです。ただそれだけなんです。

 クェークェー

 私にはそう聞こえるハクチョウたちの鳴き声、これで通じますかね。「ガーガー」と鳴くアヒルとは異なる鳴き声です。羽ばたく音はパタパタ。寒さがジィーンと骨身に伝わってきます。

 シベリアでは天敵も多いと思いますがここでは野犬もおらず安心しきっています。エサは定期的に地元の人たちが与えているようです。

 昨朝のEテレの「こころの時代~宗教・人生~」は、生命誌研究者、JT生命誌研究館館長の中村桂子先生の「38億年 いのちの中へ」でした。震災のあった2011年に放送されたもので

38億年前の一つの細胞から[2011年10月23日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/4d7818bc3cc8fda1238f2e05a2f8b060

ブログで紹介しましたが、再度感動しました。

 生命は38億年前の一つの細胞から始まる。こういう番組を全ての人が見たならばただでは生きられない。大事話ではなく、「人の心は 変わらない」、そういう心に気づくようになる。そのような語りが番組にありました。

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安曇野の風景・有明山

2013年02月21日 | 風景

 久しぶりに大糸線にのりました。有明駅を午前7時発の各駅停車。学生を中心に多くの乗客があります。学期末の試験でしょうか男子学生が隣で一生懸命英語の問題集を解いていました。女子学生群は互いに試験予想でもしているように賑やかな会話の声が聞こえます。

 我が人生を振り返ると勉強というよりもスポーツにのめり込んでいて、こうのような思い出はありません。殴られるといった前時代的な指導の下でのめり込んでいたわけでなく、自らの意志で、今から考えると呆れてしまいますが、いろいろな青春があります。

 もう少し勉強をしとけばよかった・・・過ぎ去りし時間・・・過去ですね。

 それにしても今年は雪が多く寒い。

 写真は駅のホームから撮った朝陽に光る北アルプスの有明山です。


月沈みゆく安曇野の風景

2013年01月30日 | 風景

 月に魅かれついでに今朝の出勤時に駐車場から有明山を見ると雪化粧の有明山の左横に輝面比92.787%の月が沈むところが見えました。あまりにも綺麗で写真に撮りたいと思ったのですが、ほとんど山陰になってしまうところで写真になりそうにないので家を出発、山麓線を松本方向に向かい穂高カントリークラブ付近で、今度は常念岳から蝶ケ岳付近に沈む月を見ることができました。


(右が常念岳で、月の真下が蝶ケ岳になります)

 携帯での撮影であまりクッキリとした月は撮れませんでしたが、肉眼では二・三倍の大きさに見えました。ということで安曇野の沈みゆく月のある風景をアップしました。

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寒い朝

2013年01月19日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 寒い朝ですね。まさに厳冬で室内温度は3度、外はマイナス5度ぐらいではないかと吐く息の白さに感じます。

 冷え込んだ朝ほど空気が澄み、曇りの天気ではない限り御覧の通りに標高約2000メートルの美ヶ原の山々の朝のシルエットは何とも言い難い美しさを見せてくれます。

 降雪時の車の運転における三注意があります。速度、ブレーキ、車間です。さらにサラリーマンに必要なのは、出勤時間に遅れないための「ゆとり(時間的)」です。4日ほど久々の大雪と昼間の気温の低さから路面の凍結は朝の渋滞を引き起こしています。

 したがって車のフロントガラスの氷結を取り、排気ガス規制から好ましいことではないのですが、エンジンの性能確保と室内温を高めるためアイドリングをする等の時間を考慮します。

 安曇野市と松本市の境にある国道にかかる梓川橋、降雪時には必ず渋滞します。早めに家を出ても通勤する人たちは皆同じに早めの出勤を心がけているようで、早く家を出たからと言って余裕で会社に着くということにはならず、不思議なものでいつもの時間に成るのです。

 休日の今朝は晴天になりそうです。木々の雪は融けずに重そうに枝が垂れておりしなやかさの限界に来ているようです。ということで午前中に木々の雪落としをしたいと思います。

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八面大王足湯のイルミネーション

2012年12月24日 | 風景

 妻が忘年会に出かけ、「飲酒つもりはなかったが場の雰囲気で飲まないではいられない状況になり、迎えたのむ」旨のメッセージを受け午後10時近くに八面大王の足湯がある場所まで行きました。

 飲むと決意した段階で、メッセージをもらってひと安心。飲酒運転をすることはないと信じていますが、人間は易きに流れるもの、理性というものはタガが外れると自分を見失ってしまいます。

 初めから私が送ってやれば、そのような気遣いもせずに済んだものを・・・本人の意思を尊重したわけで、思いやりとはなかなか難しいものです。

 こういう話はさておき、安曇野では山麓をはじめLEDを使ったイルミネーションが盛んで、安曇野の風景もイルミネーションのある風景に変わります。

 有名なのは国営アルプスあづみの公園のイルミネーションですが、妻の迎えで上記の場所に行くと写真の通り林の中に浮かび上がっていました。

 この時間で寒いので人はいないのだろうと思っていたのですが、居るんですね。

 作られた風景ですが、やはりきれいで、幻想的でしばらく見入ってしまいました。

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常念岳と沈みゆく月

2012年12月04日 | 風景

 昨朝の常念岳の上空には、沈みゆく月が朝日に照らされて、クッキリと浮かんでいました。

 体感的にはどう考えても天動説です。しかし地動説が正しいのですが、その正しさとは地上わたしには永遠にわからないことなのかもしれません。

 地動説、地球が回転していることは空想でしか理解できないからです。

 証明されていることはひょっとしたら人間の思いあがりかも知れません。


ダイヤモンドダスト現象

2012年12月01日 | 風景

 ついに師走となりました。体感する時の流れの速さに驚きます。「光陰矢の如し」「一寸の光陰軽んずべからず」という言葉が辞書を引くと出ており、「光」とは日のこと、「陰」は月のことと付け加えられていました。という話から最近起きた体験談です。

 月のような太陽を最近見ました。先月(11月)の木曜日、と言っても三日前(28日)ですがとても寒い朝で松本平は雲に覆われていました。今現在住んでいる安曇野有明山麓は霜で辺り一面おおわれていました。

 勤務先が松本市内にあるので交通情報には敏感で、そこには長年の経験も勘として状況解釈の参考にしています。

 カーラジオからの「松本市内は霧に包まれお昼ごろまで・・・」という情報に、霧ならば道路の交通障害にはさほど影響ない走行を続けると安曇野平と松本平の境を流れる梓川の旧梓川村付近で渋滞となっていました。

 雪が降ると、必ず渋滞する梓川橋、どうも方向から見てもどうもそのように思われました。少しずつ霧の中をそうこうしていくと急に路面が白くなっているではありませんが、雪が1センチほど積もりわだちは凍結していました。

 まだこの時期ノーマルタイヤの人も多く、滑走してなかなか前に進めない状態が渋滞の原因であることがわかりました。

 なぜ路面が白いのか。それは雪ではなく空気中の水分が凍るダイヤモンドダスト現象で霧の水滴がキラキラと降っていました。ダイヤモンドダスト現象は見たことはありますが、この梓川橋付近で見るのは初めてでした。

 20分ほどの遅れでしたが、日ごろから仕事好きで早めに出勤するタイプなので支障なく事は始まりました。


安曇野の風景(2012.11.25 11:00ころ)

2012年11月25日 | 風景

今日は畑に霜が降る寒さでしたが、昼間は雲一つない天気でした。

蝶ケ岳、常念岳、燕岳に有明山。






さらに左(北方向に眼を転ずると白馬方面の山が見えるお決まりの風景ですが、今日は携帯のデジカメで撮ってみました。