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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

安曇野の雪山童子・常念岳のある風景

2012年11月17日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 今朝の写真は、昨朝の朝焼けの北アルプス常念連峰の蝶ケ岳(2,677m )と常念岳(2,857m)です。おひさまが昇る美ヶ原は2,000mですから対面する北アルプスはおよそ海抜800mあたりから輝いてきます。雪が降るとオレンジ色に、そして白銀の白さに変化して行きます。


(蝶ケ岳)

 毎年くり返される大自然の営みですが、主体も客体もない主客未分の「まことに諸行は無常にして 生滅をもって性となす 生じたるものは、また滅する その静まれるこそ安楽なれ」の感慨があります。


(常念岳)

 「大いなる死をもって得られた偈」と言われますが、死して生きる明滅流浪の旅人は、ふと足を止め心のまなざしで自然の形相を見つめる。

 空即是色

かけがいのない命。投身は涅槃に至をあらわす。自ずからの廻向に自らが呼応する自分を離れることはないのですが、その営みだけは共有する世界の場にあります。

色は匂へど 散りぬるを   諸行無常(しょぎょうむじょう)
わが世誰ぞ 常ならむ     是生滅法(ぜしょうめつほう)
有為の奥山 今日越えて   生滅滅已(しょうめつめつち)
浅き夢見じ  酔ひもせず   寂滅為楽(じゃくめついらく)

雪山の営み、日々その形相を変えていきますが、総じて雪山と呼びます。

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安曇野山麓の紅葉

2012年11月12日 | 風景

北アルプスの雪景色も常態化し、安曇野山麓の紅葉は終わりに近づいてきています。


中房渓谷

クマが出没するニュースを聞く中、日曜日に近くの山道を散策、ジョギングをしました。

クマは出ませんでしたが、野生猿は元気に林の中を飛び回っていました。

3キロほどのコース、穂高川の清流の音、春先のようには鳥の鳴き声は聞こえません。



落葉を踏みしめる音だけがするだけ、ブラブラと。





 別荘地の紅葉、ペンション入口の紅葉、鐘の鳴る丘有明高原寮の山々の紅葉、ご近所の庭先の紅葉、そして以前紹介した庭先の創造石亀の紅葉。

デジカメの性能がイマイチですが、帰宅後アップしました。


安曇野の秋空

2012年11月04日 | 風景

 秋晴れの一日でした。地区の一斉清掃で集合場所に集まると有明山の上に月が出ていました。山麓の別荘地の木々もそれぞれに紅葉が始まりました。午前中に図書館へ出かけ安曇野公園まで来ると北アルプスが青空を背景に浮かび上がっていました。



常念岳の雪は初雪の時はうっすらと全体が白くなっていましたが、今は沢筋だけに残っています。本格的な雪山はまだ遅くなりそうです。

 有明山の左に見える雪は燕岳の残雪です。

 遠くに見える白馬方向面のアルプスはかなり白くなっています。スキー場がある所だけにやはり雪は残り続けます。

 夕方近くには雲が出てきました。その中有明山を見ると飛行機雲の跡が夕日に照らされてくっきりと見えていました。

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霧のある風景・安曇野

2012年10月19日 | 風景

 一段と秋が深まり、葉の色の変化に紅葉のおとずれが近いことを感じます。この季節気温の変化の中で見られる自然現象が「霧」です。通勤時間帯に見る風景にその秋の深まりを感じます。

 朝の太陽は霧のフィルターを通し、幻想的な風景を作り出します。



いつもの馬頭観音は朝日に照らされ光、遠くに霧が見えます。田舎の原風景です。


セイダカアワダチソウのある風景(2012.10.5)

2012年10月06日 | 風景

 外来生物法により要注意外来生物に指定されているほか、日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれているセイタカアワダチソウ(背高泡立草)が、日本の風景としてとけ込んでいくか、ということについて時々書いています。その際同化という言葉を使用しています。

 辞書によると「同化」とは「本来性質・考え方などの異なるものが感化されて同じようになること。また感化して同じようにさせること。」と解説され例文として「集落の風習に同化する」が示されています。

 この他にも「同化」には、「取り入れた知識などを理解して自分のものにすること」と解説され例文は「西欧の思想を同化する」、さらに他には「生物が外界から取り入れた物質や、自分の身体に必要な物質を作り出すこと。また、その副作用。同化作用。」と解説され以上の三つの中の意味解説に、自分の「同化」という言葉は正しいのかはなはだ疑問ですが、山川草木の自然(しぜん)の風景として見るものの心を癒すか、という視点で他の本来あるススキなどと同じように一片の風景画に納まることを「同化」という言葉にしています。

 黒色に塗られた壁面の前に黒装束で現れれば、同化しその姿が見えない。まさにその背景への溶け込みが「同化」なわけです。

セイダカアワダチソウのある風景(2012.9.27)

深淵の只中に飛び込む・鈴木大拙(2012.9.29)

のブログで「セイダカアワダチソウのある風景」をアップしています。神無月の10月に入り寒さが一段と増し、いかがな様子か「セイダカアワダチソウさん」は、というところを紹介しながらひたすら書き込みたいと思います。

 そもそも今注目している、このアワダチソウさんはどこに鎮座しているかということですが、高速道路豊科IC(10月7日明日から安曇野IC)から北アルプス常念岳方面にある国営アルプスあづみの公園の近くの三叉路です。



 地図上の赤色星印の地点には、NHK連続テレビ小説で有名になった「道祖神と水車小屋」の撮影セットがある場所ですが、セットは近いうちに無くなるようです。

 どうでしょうか昨日早朝の「セイダカアワダチソウのある風景」はいかがでしょうか。一段と黄色というよりも山吹色が濃さを増したように思います。

 要注意外来生物とされる一方「キク科アキノキリンソウ属の多年草である。日本では代萩とも呼ばれ、次節の概要にある通り、切り花用の観賞植物としてハギ(萩)の代用として用いられ、同様に茎を乾燥したものは萩の代用としてすだれなどの材料に利用される。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

と言われると、確かに「観賞植物として」という言葉に納得でき、濃さを増すと背後の常念岳との関係はどうでしょうか。

 このアワダチソウさんの後ろには「ススキ」さんがいて、・・・・・・どうでしょうか。


ススキが見えにくくなってしまいました。

 モンゴルの関取さんが、横綱の土俵入りをしている奉納の姿が、相撲の横綱の姿で納まるように・・・・・・・どうでしょうか。

 存在を現実存在、本質存在に思考し始めるとそこには何がしかの恣意的な識別世界が生じてしまいますが、現存在としてのあるがままの只中、真中ではどうでしょうか。

 これから山々は紅葉が進みます。

 セイタカアワダチソウは安曇野の風景になるか、アワダチソウさんという親しみを込めた呼称をしましたが、お相撲さんと一緒で親しみの存在になるか、観続けたいと思います。

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セイダカアワダチソウのある風景(2012.9.27)

2012年09月27日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

有明山とセイタカアワダチソウのある風景 

などと昨年から植生から問題視される外来種のセイタカアワダチソウ(背高泡立草)の安曇野の風景への同化、自然として常態化した中に違和感のない風景を感じるか否かを書いています。

 もう少し秋も深まるとその花の黄色みが濃さを増しますが、いまはまだその色に気を取られることはない濃さです。

 セイタカアワダチソウ(以下アワダチソウ)は、元々外来種で明治以降、本格的には戦後ですが各地に広がってきたものです。安曇野でも最初の内は問題視しましたが全国的にそうだと思いますが、いまはそうではないのではないでしょうか。

 アワダチソウは当初は、一般の花と同じように観賞用に輸入され来たものですがその繁殖力の強さにその後は観賞用にはされていない花です。戦後の進駐軍の物資にその種が付いてきた全国的な範囲に広がったと雑草に今はなっています。

 この草が日本に来たのは、人の手によるものですが、その後の広範な広がりは植物による自己保存の性質によるものです。たゞひたすらに、なるがままに、されるがままを利用して生息の拡張を図っています。

 場所は安曇野市の西側の常念岳のすそ野にある「国営アルプスあづみの公園」近くで県道25号線(通称山ろく線)と同公園へ向かう道路の交差点の一角です。

 写真は昨日です。まだ色は薄くその黄色に惹かれたわけではなく、朝日に照らされた常念岳を見たときに気がついたものです。状態として昨年もあったのでしょうが気がつきませんでした。

 今年は気がついてしまいました。たゞ単に咲いているだけの話し、たゞ単に秋風の涼しさの中に見ているだけ。遠くに常念岳が朝の光を浴び輝いている。たゞ単にそれだけの風景ですが、たゞ単にでは済まない安曇野の風景を感じます。

 ついにアワダチソウは安曇野の自然に同化したのでしょうか。とけ込んだのでしょうか。

 「おのずから」でもなく「みずから」でもない倫理学者竹内整一先生の言うところの「あわい」の世界なのでしょうか。その著『「おのずから」と「みずから」』(岩波書店)の中の「どうせ」という日本語の論理再考で「たゞ」という言葉を、京極摂政藤原良経の

人すまぬ不破の関屋の板びさしあれにし後はたゞ秋の風

という和歌を取り上げ次のように語っています。

 人が住まなくなった不破の関屋の板廟は荒れ果てて、ただ秋風だけが吹いている、という情景を歌ったものである。問題は、日本人が、こうした、わびしさ極まりない情景を歌ったものに、ある種名状しがたい親しみ・安らぎのようなものを感じ取っている、というようなところにある。これははたして、「自己自身を否定して物になる、物になつて見、物になつて行」っている歌だろうか。「突き抜けている」といっていいかどうか、といった問題である。
 森本哲郎『日本語 表と裏』は、この歌を、「どうせ」という言葉の語感によく見合うものとして挙げ、そこに、無常にあって、無常を直視せず無常に甘えるという日本人の傾向を指摘している。この歌がはたしてそうであるかどうか、また「どうせ」の認識がすべてそうであるかどうか、は保留するにしても、第二章で見た結果先取の「どうせ」の発想にはそうした傾向がともないやすいことは事実である。<以上同書p227-p228>

「どうせ」という日本語をテーマにするのでないので情景だけを主眼にします。竹内先生は森本哲郎先生の著書を参照されています。実際森本先生は「どうせ」という日本語解説の中で藤原良経の和歌を上げながら解説しているのですが、森本先生はこの和歌の「たゞ」という言葉に注目しています。「どうせ」は次の段階でも話です。

 森本先生はこの和歌について次のように語っています。
 
 この歌に人びとが感嘆を惜しまなかったのは、とくに「たゞ」という措辞に対してであった。右の歌は、人の住まなくなった関屋の板びさしは荒れ果て、そこにただ秋の風だけが吹いているという侘しい情景を嘆じたものであるが、日本人は侘しいと思いながらも、こうした情景に限りない親しみを感じとるのである。そこで、訪れるものはただ秋風だけ、というその「たゞ」という言葉を日本の歌人たちは、玄妙不可説、すなわち何とも名状しがたい玄妙さと賛嘆し、正徹(しょうてつ)のごときは、「あな、おそろし」とまでいっているのだ。このような二字でかくも深遠な心情を表現したことは、おそろしいまでだというのである。
 その深遠な情感というのは、いうまでもなく、秋風が無常を奏でているということに対する日本人のあきらめと同時に、一種の安堵感である。この世が無常であることはたしかに悲しいことだ。しかし、それが明らかである以上、あきらめるほかはない。そして、あきらめてしまえぼ、そこに安堵感が生まれる。もはや、じたばたしなくてもすむからである。この歌の「たゞ」という措辞が日本の歌人に至言のように響くのは、無常な現実をあからさまにではなく、あの「洛中洛外密屏風」の絵に描かれている垂れこめた雲のように、秋風がそれとなく無常を奏でているからである。・・・・・(以上同書p40)
                                        
竹内、森本両先生の文章をたゞ引用した、というわけではないのです。セイタカアワダチソウのある風景を和歌ではなく、次の詩にしてみたのです。

常念の 山の裾野にたどり着き 根張りの後は たゞ秋の風              

 「自己自身を否定して物になる、物になつて見、物になつて行」って、情景として、風景としての安堵感を表現してみたわけです。

 ここでたゞ言いたいのは、安曇野の自然に溶け込みつつあるセイタカアワダチソウの姿です。

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馬頭観音のある風景(9月)

2012年09月14日 | 風景

 春の霧と馬頭観音のある風景をアップしたのが3月の末でした。昨年の連続テレビ小説「おひさま」が放送されているころによく紹介してた風景です。

 番組では馬頭観音は映されませんでしたが、馬頭観音のすぐわきの山に続く農道は、子どもたちが常念登山に向かう山道として使われていました。

 もうじき稲刈りが始まる季節になります(場所によってはすでに稲刈りが始まりました)。昼間は残暑が厳しい中なのですが朝夕は寒さをましてきました。そんな気温の温度差が霧を発生させています。

 好きなんです、霧と馬頭観音と田園。脇に非舗装の道が山へと続く。こんな風景がいいんです。

 毎日通勤時間帯に見ている風景なのですが、車を止め写真を撮りたくなる時があるんです。昨日の早朝の風景で、霧と馬頭観音のタイトルにはほど遠い風景でした。

 もう少し早ければ霧の風景にもなったでしょうが、霧は山裾まで後退してしまいました。

 唯一性、一回性のその時の感覚感情でしょうか、撮りたくなるんです。

 


安曇野の桜のある風景

2012年04月21日 | 風景

 桜開花の波が安曇野にも。

 安曇野市中央図書館の桜が満開でした。バックに北アルプスの常念岳、蝶ヶ岳が見えます。

 来週の昭和の日の祝日(29日)に、『早春賦』誕生99年、第29回早春賦まつりが開催される、穂高川右岸にある早春賦歌碑にも行ってきました。











 ご覧の通りの桜が満開、ワサビ畑の緑、常念岳連峰の積雪の白.

 

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道祖神と水車小屋のある安曇野の風景

2012年04月07日 | 風景

 昨年震災後の4月から信州安曇野を舞台に半年間放送されたNHK連続テレビ小説“おひさま”も次のカーネイションも終了し、日ごとに記憶の奥深くに去って行くような気がします。

 今年の3月で道祖神や水車小屋のセットの管理者NHKとの契約が終わるとのことで気にかかっていましたのでさっそく早朝から行ってきました。

 常念岳山麓は小雪が降り、うっすらと雪景色になり気温もかなり低いのですが、とても好きな風景ですので苦になりません。

 主人公家族が、初めて東京から安曇野に引越しをしてくる途中で見る風景、そして村祭りで子供たちが双体道祖神に化粧をほどこす登場する場所です。


(NHK[おひさま紀行~ドラマの舞台を訪ねて~」2011.4.2から)


(NHK[おひさま紀行~ドラマの舞台を訪ねて~」2011.4.2から)


(NHK[おひさま紀行~ドラマの舞台を訪ねて~」2011.4.2から)

 双体道祖神や化粧を施す風習については以前ブログに書きました。











(NHK[おひさま紀行~ドラマの舞台を訪ねて~」2011.4.2から)


撮影当時の化粧もまだ薄らとのこっていました。今日はあいにくの天気、太陽が石面に当ると光り輝くのですが、待てど雲は下がらず残念ですがで、閑散とした静かな趣のある風景になっていました。 

 セット入口にある案内板の横に鉄板を引いた駐車場ができていました。









一時期人や車で大騒ぎでしたが今はその数も減りこのくらいの駐車場で足りているようです。

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