思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

ロジャー・パルバースの「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」 翻訳者の心

2011年09月05日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 昨年Eテレでは「ギフト~E名言の世界~」という番組が放送されていました。外国や日本語の名言を英語で紹介するもので、出演者は

●講師:Roger Pulvers (ロジャー・パルバース)
 
劇作家、演出家、東京工業大学世界文明センター長。米国出身。オーストラリア国籍。カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業後、ハーバード大学大学院ロシア地域研究所で修士号を取得。1967年に初来日。

●紺野美沙子(こんの みさこ)
 
俳優。東京都出身。1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン役で人気を博す。以降、「武田信玄」「あすか」など多数のドラマに出演。テレビ・映画・舞台に活躍する一方、1998年からは国連開発計画(UNDP)親善大使を務める。


(Eテレ「ギフト~E名言の世界~」から)

のお二人で、英語は得意ではありませんが大変勉強になる番組でした。

 このこのお番組で宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の名言英語訳が紹介されました。

 後でも紹介しますが、この詩は東日本大災害被災後にアメリカで行われた世界の宗教者の集まりで紹介され今では世界的に有名な詩となっています。

 最初に名言役を紹介する前にパルバース先生の日本の文学作品の翻訳にあたっての特に宮沢賢治作品の翻訳にあたっての姿勢についての話から入りたいと思います。

 パルバース先生は、今年の1月の「こだわり人物伝~宮沢賢治~」で第4回目に「永久の未完成」題して宮沢賢治を語っていました。


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)

 この「こだわり人物伝~宮沢賢治~」番組は私にとってとても重要な番組でした。宮沢賢治の世界をあまり知らなかった私にとって非常に勉強になりました。その中でもパルバース先生の話は、日本語の文学作品を母体の英語圏の言語改訳思考によって理解していくという私自身の思考の世界を探究するものにとってはとても意味深いものがありました。

 まず最初に、番組でも語られていましたが、この「こだわり人物伝」で使われたテキストに「賢治の化身となって訳す」と題して次のように書かれています。

<引用『こだわり人物伝2010・12遠藤周作~2011・1宮沢賢治』(NHKテレビテキスト)から>

 宮沢賢治の作品を翻訳する場合、おそらく他のどの日本作家を翻訳する場合より大きな問題が生じる。大きな問題とは、彼独自のユニークな言葉遣いだ。
 
 賢治の日本語は、ひらがなが続くと思うと難しい漢字がばっと出てきて字面が読みにくいし、唐突にエスペラント語や科学用語が出てきて飛躍があるからわかりにくい。まるで外国人が書いているような日本語だ。
 
 翻訳する際、ぼくはいつも賢治になりきって「もし賢治が英語で書くとすれば、どんな文体を使い、どんな単語を選ぶだろう」と想像する。そうするとトランス状態のようになる。賢治が使う言葉には、あまり耳にしない音、あまり目にしない単語がたくさん出でくる。だから、辞書の言葉をそのままあてはめるのではなく、賢治が使いそうな英単語を想像しなくてはならない。

 たとえば「銀河鉄道の夜」に出てくる「停車場」を station という単語では雰囲気を伝えられない。そこでぼくは whistlestop という単語をあでて、小さな辺境の地に佇む駅と、出発を告げる汽車の警笛が空に響いているような感じを同時に出そうとした。

 ぼくはまた「そらの野原」 the field of the sky  のような表現が好きだ。こうしたものは、味わいといい視野といい、本当に賢治らしい表現だと思う。

<以上上記書p136~p137から>

「station」と「whistlestop」確かに雰囲気的に地上なら広大な草原の中にある小さな駅を想像しますし、広大な宇宙空間もそんなイメージでとらえることができそうに感じます。

 次に車内の二人。特にジョバンニに次の出来事が起こります。


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)

 実際には水死している友人のカンパネルラ、夢の中ではジョバンニとともに銀河鉄道に乗っています。検札の車掌が巡回に来てジョバンニの切符を確認に来るのです。そこで賢治が教示したいことは何かです。

 切符の意味

 切符の緑色の意味

そこには賢治の「死」「自然」の世界があると、番組の中で次のように先生は語っていました。

【パルバース】
 
 ジョバンニとカンパネルラはどこへ行こうとしていたかというとやはり「あの世」へ行こうとしている。しかしそれは絶対にジョバンニの意識にはなく、彼には分っていないのです。


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)

 カンパネラルには分かっているが話さない。突然車掌がやってきて車掌に「切符見せてください」と言われるのですが、ジョバンニは「そんな切符はあったっけ」とポケットに手を入れたら「あれ! 何か入っている?」と取り出してみると、緑色の切符だというわけです。

こいつはもう
ほんとうの天上へさへ
行ける切符だ
天上どこぢゃない
どこでも勝手に
あるける通行券です。
(『銀河鉄道の夜』から)

と言っているわけで、これは「あの世へ行ける切符」ですよね。それが緑色であることは重要で、結局賢治は禁欲で結婚も当然しなかったわけですけど、やはり賢治にとっては自然が恋人ですね。


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)

 緑は彼にとって大切な色だと思います。


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)

<以上番組から>

パルバース先生は、この切符について「人間の想像を自由にする切符」とも言われていました。

 そして最後の夢から覚めたジョバンニは、カンパネルラのお父さんである博士に出会います。


(Eテレ「こだわり人物伝~宮沢賢治~」から)

 ここで賢治は何を言おうとしているのか、パルバース先生はテキストに番組内容よりも濃いめに次のように書かれています。

<引用『こだわり人物伝2010・12遠藤周作~2011・1宮沢賢治』(NHKテレビテキスト)から>

 (小題)griefを描いた「銀河鉄道の夜」

 「銀河鉄道の夜」のラストでは、ジョバンニが夢から醒め、親友のカムパネルラとの銀河の旅は、カムパネルラが他界に向かう途上の旅だったことを知る。銀河鉄道は死者の乗る鉄道だったのだ。
 
 ジョバンニはカムパネルラが川で溺死したことを知らされ、川のほとりでカムパネルラのお父さんの博士に会うと、博士は「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」ときっぱりした口調で言う。

 これはすごい台詞だ。普通の父親はこんなこと言わないだろう。自分の子どもが溺れてまだ生死がわからない状況で、四十五分たったからもう無理だと冷静に息子の死を受け容れ、あきらぬ怒ければいけないと自分に言い聞かせている。そしでジョバンニに「あなたのお父さんはもう帰っていますか」と声を掛ける。刑務所にいると思われるジョバンニの父を気遣ったのだ。

 そのとき、博士の手には時計が固く握られていた。博士は、息子が溺れてから何分たったか知るために、先ほどからその時計を見つめでいた。「青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめでいた」とあるから、樽士が持っていたのは腕時計ではなく懐中時計だろう。

ぼくは劇の演出をするから、そういうイメージが鮮明に浮かぶ。樽士はいま、悲しみをこらえるために握りつぶしそうなくらい固く握っているはずだ。

 なぜ父親は突然の子どもの死に冷静でいなければいけないのか。ここで賢治が言いたかったのは、もっと仏教的な教えである。ザネリの代わりに溺れて死んだカムパネルラは極楽浄土に行けるはずだから、父親はあきらめで安心しなくではいけない。そしで自分が悲しいときでも他人を思いやることを忘れてはいけない、と説いているのだ。

<以上上記書p139~p140から>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 パルバース先生は宮沢賢治の作品を多く英語に翻訳されているのですが、『銀河鉄道の夜』の翻訳に当って語っていました。そういう先生が次にあの有名な「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を訳します。小説と詩との相違、そして名言としてのインパクト。

 「ギフト~E名言の世界~」でパルバース先生は、名言を訳す時のポイントについて次のように話されていました。

【パルバース】

 私はこれまでに小説などの翻訳をしてきましたがね。名言を訳すのはまたチョット違う難しさがあるんですね。

特に気を使うのは、リズムや響きそして言葉の意味ですね。

【紺野美沙子】

雨の中でも強くあれ・・・


(Eテレ「ギフト~E名言の世界~」から)

【パルバース】
この詩は賢治が亡くなった後に発見された手帳に書かれていた詞なんです。



誰に見せるでもなく賢治がこうありたいと自らを鼓舞するために書いたものですね。

 その意味合いをくみ取ってわたしは力強くポジティブな英語にしました。もう一つポイントがあります。この「Storong in the rain」は非常に響きがいいのです。特にストロングという言葉はきれいですね。


(Eテレ「ギフト~E名言の世界~」から)

「Storong in the rain」
「Storong in the wind」

どうですか?

【紺野美沙子】
名言は耳で聞いたイメージも大切・・・・・

【パルバース】
詩ですからね。

<以上番組から>

 この「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の詩は、3.11東日本大震災後ワシントンの大聖堂で世界の宗教家が集まり被災者追悼式が行われその際に英語訳で紹介されました。


(Eテレ「こころの時代~共に生きるか覚悟~山折哲雄」から)


(Eテレ「こころの時代~共に生きるか覚悟~山折哲雄」から)

その際は、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は、

Unbeaten by rain
Unbeaten by wind

と訳されているものが使われていました。

 そんなことを思いながらいたところ、アメリカのとある寺院のサイト

Manitoba Buddhist Temple
http://www.manitobabuddhistchurch.org/jodoshinshu/unbeatenbyrain.html

で、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を、

Unbeaten by rain
Unbeaten by wind

と訳していることを知りました。

その他には、

I will will not give in to the rain
I will will not give in to the wind

訳もあるそうです。なぜワシントン大聖堂で、

Unbeaten by rain
Unbeaten by wind

という訳の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」が使われたのか、それについて詳しいサイトがありました。

絵本のPictio
http://www.pictiobook.sakura.ne.jp/favorites-picturebooks/161/
http://www.pictiobook.sakura.ne.jp/works/1345/
 
ここではこの訳がどのように多くの人々が関わっているかが分かります。

「Storong」と「Unbeaten」と「I will will not give」

そして環境、すなわちその時の私の立ち位置、ここでは心の立ち位置

in the rain

 by rain

in to the rain

私は日本人ですので「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」で、その詩の意味を理解しようします。
 
 宮沢賢治が病状の中で中で書いた「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」という詩。それぞれの思いで訳されています。

 ロジャー・パルバース先生の strong これは私感ですが一番宮沢賢治に近いように思います。

 ロジャー・パルバース先生の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」英語訳は、

STRONG IN THE RAIN

Strong in the rain

Strong in the wind

Strong against the summer heat and snow

He is healthy and robust

Free of all desire

He never loses his generous spirit

Nor the quiet smile on his lips

He eats four go of unpolished rice

Miso and a few vegetables a day

He does not consider himself

In whatever occurs...his understanding

Comes from observation and experience

And he never loses sight of things

He lives in a little thatched-roof hut

In a field in the shadows of a pine tree grove

If there is a sick child in the east

He goes there to nurse the child

If there's a tired mother in the west

He goes to her and carries her sheaves

If someone is near death in the south

He goes and says, ‘Don't be afraid'

If there's strife and lawsuits in the north

He demands that the people put an end to their pettiness

He weeps at the time of drought

He plods about at a loss during the cold summer

Everybody calls him ‘Blockhead'

No one sings his praises

Or takes him to heart...

That is the sort of person

I want to be

原文の心とは作者の心、この心をしっかりつかみ別の言語に訳する。パルバース先生のみごとなところは、賢治の心から小説と詩との違いも含め見事な訳だと思います。

訳者がしっかりしているから心が生きるのであって、間違えるとあまりにも排他的な強さになってしまいます。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (suamakun)
2013-02-27 10:30:09
「雨ニモマケズ」の英語訳を探していて、こちらのブログを拝見しました。
とても参考になりました。
ありがとうございます。
Strong in the rain というのは、雨は勝ち負けや挑む対象ではなく、どういう状態の中でも自分が揺れることなく自分であり続けるということですね。
返信する
負けない (管理人)
2013-02-28 05:13:59
>suamakun様
 コメントありがとうございます。時々宮沢賢治を取り上げています。その中でこのロジャー・パルバース先生の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」英語訳の記事に注目していただきありがとうございます。
 この

Strong in the rain

Strong in the wind

Strong against the summer heat and snow

外来語としても強さの感覚が、日本語として人間を実存的な面から見ての意志の強さの表現に自然と落ちつくような気がします。無理がなくしかも力強くありたい感情が伝わってきます。

 いろいろ訳がありますが、ロジャー・パルバース先生の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」英語訳が好きです。

>雨は勝ち負けや挑む対象ではなく、どういう状態の中でも自分が揺れることなく自分であり続けるということですね。

>負けない

 己への叱咤だと思います。

 そういう意味を与えてくれている、まさにその感応がそこにあるように思います。

コメントありがとうございます。
返信する
絵本のPictioへのリンク切れています。 (管理人)
2013-02-28 05:23:51
絵本のPictio出の解説はとても勉強になったのですがアクセツできないようです。
返信する
素晴らしい (momomsato)
2013-03-17 14:50:21
英語の宮沢賢治さんの雨ニモマケズを探してました

私は、長岡輝子先生に30年以上前に朗読の指導を受けたものですが、この詩の最後の部分がこちらの英語が一番日本語の朗読の感情を入れやすいと思いました

響きが大切です

一般の訳は響きが違うのですね~

勉強になりました
返信する
コメントに感謝 (管理人)
2013-03-18 19:32:36
>momomsato 様
 コメントありがとうございます。
 長岡輝子先生に朗読の指導を受けたとのことうらやましいです。方言を使われる方がその方言をもって宮沢賢治の詩を朗読されたCDを何回聴いたでしょう。

 言葉は表現です。概念が抽象化されていても使う人にとっては、自己の表現として発せられています。オノマトペは当に心で感じる、聞こえる音、聞こえない音を言葉と表現します。方言もその地方の人が、言葉として歴史的な身体の記憶の伝承で引き継がれ、より自分に近い、近いというよりもそのものの表現であると思います。

 最近耳目について特に視点を耳において、聞こえること言葉を話すことの純粋経験、意識以前、前意味(意味を解せない初原的な状態)を考えています。

 朝の目ざめに眩しさがあるように、最初に聞こえる音は混沌の雑音であると思います。それに人生何十年かの今現在までに習得した聞き分けの能力によってそれが人の言葉、鳥の声、電車の走る音・・・・聴別(識別に対するという意味で)して意味理解をしていきます。

 特にオノマトペが日本だけではないのですが、比類のないほど多いのは特殊性がそこにあるように思います。特に東北地方には多いようです。金田一春彦先生が驚きの中で「東北には河の中を歩いている馬のひづめの音(擬音語)ある」ということを語っていました。

 話が長くなりました。最近パルバースさんが今先月の末に『賢治から、あなたへ』を集英社から出されました。

 その中で「雨ニモマケズ」の中ごろにある、

アラユルコトヲ

・・・・

ヨクミキキシワカリ

の文字で囲まれた部分があります。中間にあるのは「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という言葉ですが、パルバースさんはこの「アラユルコトヲ・・・・ヨクミキキシワカリ」の十六文字が「この詩の全体を支える柱、あるいは中心軸になっていると思う」と書いています(上記書p98)。

 そこで英語訳を見てみました。

He does not consider himself

In whatever occurs...his understanding

Comes from observation and experience

And he never loses sight of things

わたしは英訳が得意ではないので一般的な翻訳機で翻訳すると、

彼は、彼自身を考慮しません
起こるものは何ででも ... 彼の理解
観察と経験から生まれます
そして、彼はものを決して見失いません。

機械翻訳でもこの程度の表現があります。それは何故か。
パルバースさんは日本語を熟知しそれを英語で表現するからだろうと思うのです。人にやさしく翻訳機にもやさしい、難しさがない、迷いのない訳なのだろうと思います。そこには当然音のもつ調子も含まれていると思います。

Strong in the rain

雨ニモマケズ

これは個人的ですが感動的です。

と長い語りになってしまいました。コメントありがとうございます。これも一期一会です今後もよろしくお願いします。

あわてて書き再考はしない癖がありまして、また思いつきで書きますので文面に難解な点があります。気合で読んでください。
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