MA社会研究所情報

宇宙、世界、日本の歴史や未来。日常生活、社会情報を、しぐれ猫がお伝えします。

建国記念日。日本は倭と呼ばれていたが、7世紀の天武天皇の頃に日本と呼ぶようになった。

2014-02-11 18:40:06 | 社会
2月11日は日本の建国記念日だという。日本が始まった時代を書いた古事記は天武天皇の命令で製作され712年に完成した日本最古の歴史書だ。日本の神話では天照大御神を中心とした天の高天原と、大国主神の出雲を中心とした地上の神々が住む葦原中国があったという。やがて天照大御神の子孫が出雲も統治することになる。大国主神は国を譲り渡す条件として立派な神殿を作ってほしいといった。こうして高さ48mの出雲大社がつくられた。出雲には死後にいく黄泉の国への入口があった。天から天照大御神の孫のににぎのみことが現在の宮崎県日向の霧島山、高千穂の峰に降り、国家の安定を願って地面に刀を突き刺した。天の逆鉾という。神武東征神話は天照大御神から6代目の子孫が南九州の日向から出かけて、奈良県の大和を征服し初代天皇に即位する物語だ。神皇正統記や江戸時代の国学、水戸学で神国日本という主張になり、明治以降の軍国主義教育の基になった。倭建命やまとたけるの関東や九州への東西遠征も有名だ。古事記の時代の人々は、三角形のかやぶき屋根の竪穴式住宅に住み、掘立式の柱の上に倉庫を作っていた。男性は衣という筒袖の上着とズボンのような袴を着て、女性は羽衣のような衣と長いスカートのような裳を着ていた。武人は兜をかぶり、よろいを身に着け太刀をもっていた。縄文時代ではくるみ、クリ、ドングリのような植物や、イノシシ、シカなどの動物が食料だった。魚取りもおこなわれた。大量のいるかを食べていた。弥生時代には本格的な水稲耕作が始まり、米が食べられるようになった。神話の時代の生活がうかがわれる。
日本は倭といわれてきたが、7世紀後半の天武天皇の頃から日本というようになったようだ。