MA社会研究所情報

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1950年6月北朝鮮が侵攻。朝鮮戦争にイギリス軍も参戦。英国戦車センチュリオンが活躍。

2014-02-07 14:58:04 | 社会
第二次世界大戦は1945年にドイツと、日本が降伏して終わったが、資本主義の米国と共産主義のソ連の対立が深まる情勢になった。1950年6月に共産主義の北朝鮮が資本主義の韓国に突然侵攻し、韓国軍は南端の釜山周辺に追い詰められた。米国のマッカーサー元帥は日本に駐留していた第8軍を朝鮮に送った。米国だけが介入するとまずいので国連軍という錦の御旗をかかげた。フィリピン、トルコ、フランス、タイ、南アフリカ諸国の一部が派兵に応じたが、頼りになるのはイギリス軍だった。香港に駐留していた第27旅団3000名が出動命令を受けた。2000名の先発隊は軽空母と、巡洋艦に乗って朝鮮の釜山に上陸し8月29日に反撃に転じ北進を始めた。9月1日に戦闘が始まった。米軍が朝鮮半島西岸の仁川に上陸し、連合軍の反撃が始まった時期だった。イギリス兵は米軍輸送機に乗って韓国の首都京城に着陸し朝鮮半島の西岸に向かった。イギリス軍は米軍の指揮下で戦闘に参加した。米国第8軍の任務は北朝鮮の首都平壌を攻略することだった。平壌の南部には北朝鮮軍が防衛体制をとっていた。イギリス兵部隊と北朝鮮部隊がすれ違うことも起きた。北朝鮮軍はイギリス兵をロシア兵で味方だと思い、たばこをくれた。南部から退却してきた北朝鮮軍にイギリス軍が遭遇し降伏させたりした。戦車隊は38度線の南に戻れという命令が出て、戦車隊はどこまで下がればいいのかわからず、釜山から船に乗って日本に渡ってしまった。芸者ガ―ルに会えるとイギリス兵は喜んだが、日本に着くと朝鮮の戦場に復帰せよとの命令が来た。国連軍は平城に迫っていた。敵中で孤立している米軍のパラシュート部隊を救出するようにとイギリス軍に命令が出た。イギリス軍は白兵戦までして北朝鮮軍を追い払いパラシュート部隊を救出した。10月末に、中国の毛沢東主席は北朝鮮を援助しなければいけないと宣言し、林彪司令官の命令でチャルメラのようなラッパの音とともに中国軍が反撃を開始した。中国軍の攻撃で米英軍は総崩れになった。中国軍が電話交換所を攻撃し、イギリス軍はバラバラになった。1951年1月韓国のソウルにも中国軍が迫ってきた。疲れ切った第27旅団は第28旅団と交代した。イギリスのセンチュリオン戦車は機動性も良く、主砲の威力も強く中国軍のロシア製のT34戦車を1発で撃破でき、米軍と協力して中国軍を38度線まで押し戻した。イギリス軍は朝鮮戦争で865名の戦死者を出し、2589名の負傷者を出した。休戦から1年以上もたった1954年11月に最後のイギリス兵が韓国を離れた。現在も北朝鮮は好戦的なようで、戦争がはじまりそうで心配なことだ。