乙一のせつない系でもかなり人気のある原作の映画化だ。僕は乙一が大好きで、映画化されとなると、いつも自然と映画館に足を向けている。でも、この作品が一番感動度が低かったかなあ。
小説と違い映画ではどうしてもリアリズム的な感覚がスクリーンを支配する傾向がある。だから、この、傷のムーブといった概念が映像化されるとどうもカリカチャーされてしまい、乙一の本質に入っていくことを阻んでいる。俳優も観客を想定した . . . 本文を読む
黒澤の「羅生門」と比較するのはどうかと思われるが、かなり意識して作ったのは事実だろう、当時の映画としては、映画のための映画づくりのような作風を感じる。
長谷川一夫の行動はまあそれほど意味を考えなくてもいいと思いますが、やはり 京マチ子の犠牲的精神性は日本映画には今までなかったものでしょう。キリスト的な受難劇に近いです。そのため西洋の人々にはこの映画を評価でき得る素地があったのでしょう。セットの素晴 . . . 本文を読む
戦国時代の悲劇時代ものとしておなじみの千姫様のお話であります。秀頼と寄り添いながら無理やり炎の大阪城から脱出する有名なシーン、またその後のご乱交など読み物話としての芯は抑えている。
まあ、あでやかな京マチ子を見ているだけでいい映画なのかもしれないが、当時の映画風俗としての大衆の好みが感じられる映画でもあります。
50年たった現代においてはさすが見るべきところもあまりないが、当時の時代性を十分感じる . . . 本文を読む
またまた難波の国際シネマまで「京マチ子名作映画まつり」を見に行く。
入場者はどう考えても僕より10以上は上のかなりお年を召した方が多かったように思います。と言って、僕も彼らから見れば同じように思われているかもしれませんが、、。
まず「女の一生」。言わずと知れた森本薫の新劇の名作です。と言って、僕自身初めて見たのですが、、。
なるほど、話の展開が新劇的ですなあ。どう考えても、リアリティに欠けている。 . . . 本文を読む
原作森本薫の「女の一生」と言えば西洋のモーパッサンと並ぶ名作であるが、恥ずかしながら今まで読んだこともなく、この映画で初めて感得した次第であります。
映像も演技もかなり練られていて、当時としてはかなり秀作の分類だと思わせるが、どうも僕は最初の京マチ子が東山千栄子の家に入るところから審美的なのであります。ましてや、素姓の知れぬ女中代りに使っていた女を長男の嫁にして、実質後継ぎを目論まれていたこと自 . . . 本文を読む
いい映像もあるが、時代性もあるのだろうけれど、女が肉体を武器に社会的にのし上がっていくストーリーというのが陳腐であります。
しかも、舞台が日本舞踊という代物なので一般人、特に現代人には決して近しいテーマではないというのはいうまでもない。
京マチ子が自分の師匠である細川ちか子に行ったと同じ行為を弟子である若尾文子に受けるというのも、想像通りでありしかもあまり派手でもないのでインパクトもない。取り巻き . . . 本文を読む
名作『月の扉』――その後。
石持浅海ファンであれば、ぞくぞくする話題作だ。見た目と実際の真実との境目をミステリー仕立てで追及。相変わらずアッと驚く真実はミステリーの醍醐味だ。
特に本作には「月の扉」の11年後の後日談が収録されており、不思議とこの作品が一番もたついているが、逆に石持浅海ファンとしてはほほえましい限り。 . . . 本文を読む
粋な映像で、絵画的濃淡のある色調は素晴らしい。しかも、台詞が少なく表情で人間の心理を探っていこうとするピリリとした一発触発の演出が通りの端役にまで行き届き、2時間半緊張感が途切れることはない。
しかし、前作「ブローバック・マウンテン」とは違い、アン・リー、驚くほどスパイ映画に入り込み、恋愛にそれほど拘泥せず、静と動、偽物と真実、人の探り合いという心理映画的対比にこだわっている。
前作に映画の雄大な . . . 本文を読む
カラス、オナシスともにいわゆるそっくりさん俳優であります。驚くほど似ているので、それだけ彼らの私生活も覗きの感覚になってしまうことに気付く。
超セレブの二人と周囲の取り巻きの豪華船上パーティーなどもう雲の上の人種の飽くなき欲望は、男はビジネスに結びつき女はつましい愛を求めるものであった。
こういう映画から僕らが得るものは何かというと本当に疑問に思えるわけで、そっくりさん俳優の使用というだけでそこに . . . 本文を読む