Sightsong

自縄自縛日記

燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展

2007-07-16 20:39:42 | アート・映画
銀座の資生堂ギャラリーで、「時光 - 蔡國強と資生堂」展を観た。

蔡國強(ツァイ・グオチャン)は、廃木や金、そして火といった極めて原初的な素材を用いたインスタレーションやパフォーマンスが印象深い。今回は、蔡の火薬ドローイングの新作が出品されるというので、足を運んだわけである。

その、ドローイングは5点のみ。中二階にある小品を覗けば、春夏秋冬それぞれをモチーフとした巨大な作品である。作品はもうひとつ、空中に無数の黄金船が曳航している。

これは和紙だろうか―――その上に、墨とも焼け焦げとも見える痕跡がある。実際、焦げて孔が開いた箇所もある。その上に、蔡自身によるメモ書き、それからわずかに金色のような色もあしらってある。燃えて焦げた水墨画、ワビサビだ。痕跡とメモを凝視していると、いろいろな焼け焦げ=生命が、網膜にも痕跡を残していくような気がする。

春は、花からの流れにある魚が夜と被る。夏は、枝垂れ柳のようなフォルムの周囲に、亀や赤トンボが居る。秋は、落葉、菊、夕陽。冬は、松、梅、それからカラス。

ゲルハルト・リヒターやマーク・ロスコのように、作品の皮膚上で眼が蠢くので、数はこれくらい少なくてよかったと思った。

出品作品と同様に、これまでの蔡の活動を振り返るヴィデオがとても面白い。1995年に、東京都現代美術館に出品された「三丈塔」(廃船の朽ちた木を使った塔)は、その後、ヴェネチアビエンナーレでは、ロケットのように斜めに設置され、噴射口では中国の旗がいくつもはためいていたことを知った。それから、米国の各地で小さな「キノコ雲」を作るパフォーマンスも、実際の映像を観ることができた。

火薬に集約される人間の一面にある暴力的本性が偏在するとき、戦争が発生する。芸術やスポーツは、そうした人類の根源にある衝動を浄化する役割を担うものだ」(1986年の蔡の発言、『美術手帖』1999/3)

木や紙、建物といった、火という暴力に弱いものを使うことも、そのヴァルネラブルな特性ゆえに、何か精神性のオーラをまとってみえる。決して不快ではないしこりが残る。


「ART IN JAPAN TODAY」(東京都現代美術館、1995)より、「三丈塔」。私はこれで蔡の存在を知った


「キノコ雲のある世紀―Projects for 20th Century」(米国各地、1996)。『美術手帖』(1999/3)より


記念に、角度によって画像が変わるポストカードを買った。ポーランドで赤い旗(!)を燃やすパフォーマンス「Red Flag」(2005)。天安門事件により故郷喪失に直面した蔡の作品には、きわめて政治的な側面もある



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。