金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』(『アリランのうた』制作委員会、1991年)を読む。序文は朴寿南による。
1944年、植民地朝鮮において、著者は日本軍に召集される。お前たちは皇軍の軍属となる、陛下の赤子として光栄なことと思え、仕事場は銃声の聞こえない後方だ、と訓示され、玄界灘を渡り、下関、小倉、長崎、鹿児島、奄美大島を経て那覇に否応も無く連れてこられる。そして軽便鉄道で嘉手納に移動し、名護、ふたたび那覇、糸満。勿論、銃声が聞こえない場所などではありえなかった。
短い手記ながら、凄惨な場面が続出する。逃亡者を連れ帰ってきた日本兵は、朝鮮人軍夫たちに仲間を叩けと竹棒を渡す。力を加減するともう一度やらされるため、力一杯打たざるを得ない。著者はこのように言う。「それでも自分たちはいわゆる”大東亜共栄圏”の主といっているのだ。」
米軍が上陸してからは文字通り地獄と化した。日本兵からは差別され、その一方では日本兵と同じように最後まで戦い死ねと強制する。都合のいい支配者だけの論理であった。
名護では、「女子挺身隊」という名のもとに強制的に朝鮮から連れてこられた慰安婦11人を目にする。輿石正『未決・沖縄戦』(じんぶん企画、2008年)、朴寿南『アリランのうた オキナワからの証言』(1991年)、福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』(海風社、1992年)でも触れられているように、沖縄本島においても、名護ややんばるにまで朝鮮人の慰安婦が連行されてきていたのである。片や支配国の兵として、片や慰安婦として、沖縄で出遭うというおぞましさよ。
慰安婦としての個々の声や実態は、1965年に日韓の政府間で手を打ってからむしろ明るみに出てきているという。
ところで、朴寿南『ぬちがふう』は完成したのだろうか?
●参照
○朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』
○沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
○オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦
実は昨年、『アリランのうた』と未完の『ぬちがふう』の上映会で求めた本なのですが、今に至るまで棚に積んでいたのでした。
朴壽南さんの『ぬちがふう』は制作中ですか。重すぎるテーマなのですね。