Sightsong

自縄自縛日記

『沖縄学入門』 政治・社会

2010-06-01 00:03:06 | 沖縄

早稲田大学琉球・沖縄研究所では、毎週金曜日、「沖縄学」という講座を開いている。早稲田の学生だけではなく、私のような外部の社会人でも受講できる、開かれた場となっている。勝方=稲福恵子/前嵩西一馬・編『沖縄学入門 【空腹の作法】』(昭和堂、2010年)は、そのような研究所がテキストとして編纂した書である。

14章からなる言説は、ひとつひとつが短すぎて、誰にとっても文字通り入門でしかあるまい。ただ、その奥は深く、学生なんぞがこれを使い、忘却するだけにしてしまっては勿体ない(私は学生という愚かな存在が嫌いである・・・自分だってそうだった癖に)。

それはともかく、まずは第11章以降の「社会・政治」から読み始める。

■ 「周辺社会の人の移動と女性の役割―――奄美・沖永良部島民のアイデンティティと境界性―――」(高橋孝代)

ここでは、沖永良部島が、政治的・文化的に揺らぐボーダー上にあり、「日本/沖縄」、「鹿児島/沖縄」、「奄美/沖縄」といったさまざまなフィルターにより見え隠れする存在として分析されている。歴史的には、薩摩の役人が持った「現地妻」が社会構造に与えた影響がある。それにより形成された権力が地域差を生み、現在でも、自らのアイデンティティを沖縄、鹿児島のいずれに見出しているか、有意な差がみられるという。

■ 「「集団自決」と沖縄戦―――戦場における「国民道徳」と「従属する主体」―――」(北村毅)

いわゆる「集団自決」が、「日本軍や戦争体制によって強要された死」であったことを説いている。覚えておくべきデータとして、座間味島における「集団自決」の死者135人の構成がある。年齢的には、10歳未満が3分の1強、成人までが半分強。性別的には、女性が3分の2弱。すなわち、家長に近い者たちが肉親を殺害した現象であった。

著者は、これを「「天皇の軍隊の強制と誘導」によって肉親同士の殺し合いを強いられた結果」であると表現している。国家が長期にわたり構築した恐怖のシステムが強力であったからこそ、主体的に行動したということである。そうしなければ、肉親も自分も米軍に残虐行為をされるものという前提があった。なぜそこまで米軍を「鬼畜」として恐怖したか。かつて日本軍がアジアで行った残虐行為があったからだ、という重要な指摘がなされている。

■ 「基地が沖縄にもたらしたもの―――名護市辺野古区を中心に―――」(熊本博之)

辺野古はかつて、いまは名護市の一部となっている久志村のなかにあった。林業に依存する地域であった。戦後、米軍が銃器演習のため山林を接収し、土地を所有していた住民には軍用地料が入りはじめる。また、第三次産業がいびつに膨らむ(いまでは再びシュリンクしている)。そのように、米国によって生活形態を強引に変えさせられた経緯があった。その後、名護市と合併し、軍用地料収入は名護全域に流れ、また人口が少ないため発言力も失ってしまう。

著者は、そのような位置に追い込まれたことを、辺野古の新基地への賛成派がいる背景として説いている。条件闘争を前提とせざるを得ないというわけである。こうして追ってみれば、地元には賛成している人が結構いるんだよと嘯く言説が、いかに知的に退行した精神から出ているのか解ろうというものだ。

●参照 琉球・沖縄研究所
戸邊秀明「「方言論争」再考」
水島朝穂「オキナワと憲法―その原点と現点」


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