サックスのみのソロを聴くのは割と襟を正すようなところがあって、それというのも、何も助けのない時空間で吹くのは特別なことに違いないからだ。それでも阿部薫などはどうも作り上げられた幻想としか捉えることができず、苦手である。尤も、直接的であるから苦手だと意識するわけではある。
若松孝二『エンドレス・ワルツ』(1995年)において、阿部薫の音を吹きかえたのは柳川芳命だった。そうは言っても、阿部薫とは違う。そもそもこの若松孝二らしからぬエネルギーを持たない映画は、主演の選び方において重大な間違いを犯している。(ところで、公開後しばらくして、フェダインのライヴを聴いたとき、この映画にも出演していたサックスの川下直弘さんが、「まだ観ていない。レンタル屋にあるかな」と呟いていた。)
このプレイヤーが羽野昌二と共演した記録も聴いてみたくはあるのだが、まずはソロ『地と図 '91』(Art Union Records、1991年)でも個性が出ているような気がしている。ライナーノートで本人が「サックス本来のもつメロディー楽器としての機能に立ち戻り、「唄う」ことに視野を広げてみた」と書いているが、実際に聴きこんでみると、眼前に現れるのは「ど演歌」である。ど演歌と言って悪ければ、新井英一を聴くようなアジアン・ブルースである。特に5曲目、アルトによる演奏の情念の鬱屈さは吐きそうだ。(勿論評価している。)
『浦邊雅祥ソロ』(PSF、1996年)も、ここのところ頻繁に聴いている。まだ一度も訪れたことがないのだが、明大前のキッドアイラック・ホールで記録された1時間弱の演奏である。観客が息を潜める中、高音で、まるで削った金属塊に魂を込めて投げ出すような感覚、それが断続的に繰り返される。大変な緊張感である。
この強度が何なのか、実際に演奏に立ち会ってみるまでは判断できない。
●参照 サックス・ソロ
○マッツ・グスタフソンのエリントン集
○ロル・コクスヒル
○ジョン・ブッチャー
○ペーター・ブロッツマン
○リー・コニッツ+今井和雄『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』