『世界』2012年6月号(岩波書店)が、「沖縄「復帰」とは何だったのか」と題した特集を組んでいる。
1972年5月15日の沖縄の施政権返還からちょうど40年。もっとも、「施政権返還」という言葉を使ってみたところで、「復帰」というダイレクトな用語をオブラートでくるんでみた程度のことでしかない。「復帰」という言葉が孕んでいる前提は、「本土」という言葉と同じであるからだ。何に復帰したのか、何が本土なのか。
■ 新川明「みずからつくり出した矛盾に向き合う」
なぜカッコ付きの「復帰」と称するのか。新川氏は、「復帰」という言葉が他ならぬ沖縄人自らがつくりだしたものであることを指摘しつつ、所詮は1879年から1945年までの百年に満たない期間支配下にあった国家への帰属への再「復帰」に過ぎなかった、それに抵抗感や違和感があるのは当然だと喝破する。なぜなら、植民地支配という構造が、皮膚感覚として沖縄人に感知されているから、である。
氏は、教科書をめぐる問い直しの盛り上がりにも関わらず、壕での「慰安婦」や「住民虐殺」という説明板を容易に撤去してみせた沖縄県庁の対応を不安視する。その先には米軍基地や自衛隊の受容がある。
■ 澤地久枝「「フロントライン」沖縄が逆照射する日本」
ここでは、「密約」問題から、平和憲法や米軍支配へと話を展開している。オバマ大統領の登場や原発震災にも関わらず、「日本は変わるチャンスを逃し続けている」との指摘がある。しかしそれは上からの政治レベル、マスメディアのレベルでの視線であり、実は個人の横へのつながりが出てきている、とも。
■ 西山太吉「日米軍事力の一体化を見つめる沖縄」
自身の体験に基づく日米安保の構造から、現在の米国の国防戦略にただ追随する日本のあり方を批判する。突破口として指摘されているのは、対中国を含めた共存と交流の多極化、それから米戦略における拠点分散(沖縄、グアム、オーストラリア、ハワイなど)である。
■ 山田文比古「沖縄「問題」の深淵」
沖縄振興策や抑止論の限界を説きつつ、氏は、日本の安全保障のためには日本全体で負担すべきだとする。
■ 西谷修「接合と?離の40年」
「復帰」40年は、沖縄によって日本のあり方が問われる40年でもあった、とする。なぜならいつまで経っても、いや時が経つにつれて、原発と同様に、「留めたはずの接合部がいつまでも軋みを立て、そのつど社会的な違和が表面化してくる」からである。如何にそれを糊塗しようとしても、その限界が次第に顕在化してくる、ということである。
シンプルながら重要な指摘がある。
「どうみても日本列島はアジアの弧として位置しているのに、この国は敗戦以来、まるで太平洋を内海としてアリューシャン列島からオーストラリアまでをつなぐ大国アメリカの眷属であるかのように振る舞おうとする。そのために「近隣諸国」をあらかじめ「敵視」し、そこに新しい関係を編みなおすという発想がもてない。それはグローバル化が進み、かつ世界の200年にわたる西洋的統治構造に寿命がきたと見えるこれからの世界のなかで、致命的な宿痾にもなりかねない。」
■ 仲里効「交差する迷彩色の10日間と「復帰」40年」
映画『誰も知らない基地のこと』と、北朝鮮による「衛星」発射に備えた巧妙な軍備推進とを重ねあわせつつ、仲里氏は、沖縄への相反するふたつの視線について指摘する。「9・11」以降、「もっとも危険な地域」とみなされ、そして「3・11」以降、「もっとも安全な地域」とみなされた沖縄。そのねじれた視線には、それぞれの場所で住民として日常を生きるという観点がすっぽり欠落している、という。すなわち、「北朝鮮」スペクタクルも、「避難」も、擬制である、というわけである。そして、この擬制の植民地支配構造を新たな構造に転位するには、抵抗のなかから身体化された言語が必須なものである、とする。
■ 前泊博盛「40年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」
もはや基地経済神話は崩れ去っている。むしろ基地を通じた支配のために、自立経済の創出の芽がつぶされてきた、という指摘である。米軍基地の跡利用のひとつの可能性として、嘉手納基地が、民間航空会社に賃貸され、あるいは格安航空会社がハブ空港として利用するとしたら、その経済効果は莫大なものとなるだろう、と示唆している。
■ 新城和博「郊外化と植民地化の狭間で」
「おもろまち」に典型的に見られるように、過去の記憶を刻んだ土地がまったく姿を変えている。新城氏はこれを<郊外化>というキーワードで視ている。道や街は効率化され、それぞれの足許の豊饒な街は消え、機能は<郊外>へと移転する。米軍基地さえも、陸から海へと<郊外化>する。もとよりこれは、日本から視えない・視ない沖縄での振る舞いという現象だったはずであり、それが沖縄の内部で進行している、ということか。
■ 加治康男「グアム移転見直しで浮上する米軍のフィリピン回帰」
本論は特集とは異なるが、沖縄の米軍基地を位置づけるうえで示唆的である。米国の軍事戦略において、フィリピンのスービック基地が重要化してきている。下地幹郎衆議院議員がワシントンの仲介人として動き、そして、鳩山首相(当時)の脳裏にも、決して口外できないスービックの名が浮かんでいたはずだ、という。鳩山の「腹案」とは、スービックだったのか?
●参照
○知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』
○60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
○エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
○辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
○森口豁『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』
○森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』
○森口豁『アメリカ世の記憶』
○森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
○森口カフェ 沖縄の十八歳
○テレビドラマ『運命の人』
○澤地久枝『密約』と千野皓司『密約』
○由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
○久江雅彦『日本の国防』
○久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
○『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
○終戦の日に、『基地815』
○『基地はいらない、どこにも』
○前泊博盛『沖縄と米軍基地』
○屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
○渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6)
○押しつけられた常識を覆す
○『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
○大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
○鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
○アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
○二度目の辺野古
○2010年8月、高江
○高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
○高江・辺野古訪問記(1) 高江
○沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
○ヘリパッドいらない東京集会
○今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
○今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
○ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』
●『世界』
○「巨大な隣人・中国とともに生きる」特集(2010年9月)
○「普天間移設問題の真実」特集(2010年2月)
○「韓国併合100年」特集(2010年1月)
○臨時増刊『沖縄戦と「集団自決」』(2007年12月)
○「「沖縄戦」とは何だったのか」特集(2007年7月)
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たいへん興味深いプログラムです。都合が合えば参加させていただきます。