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自縄自縛日記

ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』、『ビリディアナ』、『皆殺しの天使』、『砂漠のシモン』

2018-01-01 23:15:09 | アート・映画

青山のイメージフォーラムでルイス・ブニュエルのメキシコ時代特集。

この日3プログラムをまとめて観たのだが、時系列で並べると、『アンダルシアの犬』(1929年)、『ビリディアナ』(1961年)、『皆殺しの天使』(1962年)、『砂漠のシモン』(1965年)。

ブニュエルがサルバドール・ダリと組んで撮ったデビュー作『アンダルシアの犬』はスペイン時代のフィルムなのだが、短いこともありオマケ的な併映。しかし昔VHSで観て以来だからありがたい。何しろ有名な眼球のシーンには、どうしても叫びそうになってしまう(苦手)。それは置いておいても、いかにも天真爛漫に脈絡のないものを並べるという、本来のシュールレアリスム映画である。掌に穴が開いて蟻がうごめいていたり、それが女性の腋毛に重なったり、腐った獣の死体が登場したりと、趣味はやはりダリのものだ。ブニュエルは翌年の『黄金時代』(1930年)でもダリと協力しており、権威否定という点では、むしろ第2作のほうで完成度を増している。

その後、ブニュエルはフランコ政権のスペインから逃れアメリカに流れるわけだが、ここで、皮肉なことに、あいつはアカだとダリに宣伝される。そんなわけで、メキシコに活動の場を移したわけである。

『ビリディアナ』、『皆殺しの天使』、『砂漠のシモン』をまとめて観ると、確かに恐れることなきあまりの罰当たりぶりに驚いてしまう。

『ビリディアナ』では、貧しい者を純真な存在ではなくむしろ汚れまくった存在として描いており、人々を導くはずの宗教の面子なんてあったものではない。天使のような心のビリディアナが、やはり薄汚れた金持ちの世界に何のためらいもなく組み込まれるなんてシニカルを超えて身も蓋もない。

『皆殺しの天使』は、金持ちのパーティの偽善欺瞞をこれでもかと描いており、反発されるのもやむを得なかっただろう。会場に金持ちたちが入っていく場面、乾杯の挨拶をする場面がなんの必然性もなく繰り返され、それをむき出しの違和感としているところなど、狂いそうにおかしい。プロット的にはのちのパリ時代に明らかに受け継がれている。

『砂漠のシモン』でも、痙攣しそうに笑いそうになる。中世の砂漠地域で、棒の上にずっととどまる苦行者シモンを描く作品である。かれの起こす奇跡なんてすぐに民衆に消費され、価値なきものになる(笑)。シモンを誘惑しようとする悪魔もえげつないのだが(棺桶が砂漠を自走する場面では、セルジオ・コルブッチ『続・荒野のガンマン』や、ヤン・シュワンクマイエル『ファウスト』を思い出させられた)、それがエスカレートして現代社会にいきなり変わる場面では、さらに声を出して笑いそうになってしまった。いきなりジェット機が轟音を発しながら飛んできて、シモンと悪魔とは若者が踊り狂うナイトクラブにトリップするのだ。どうかしている。

この後、ブニュエルはパリに行き、手始めに、さらに罰当たり度をグレードアップした『昼顔』(1966年)や『銀河』(1969年)を撮る。しかし、生々しい破壊力という点では、メキシコ時代の作品はのちの傑作群に決して負けていない。

●ルイス・ブニュエル
アレホ・カルペンティエル『時との戦い』(1956年)(ルイス・ブニュエル『銀河』、1969年)
『夜顔』と『昼顔』、オリヴェイラとブニュエル(1967年、2007年)
ルイス・ブニュエル『黄金時代』(1930年)


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