Sightsong

自縄自縛日記

「建築はどこにあるの?」、東京スカイツリー

2010-06-15 23:19:26 | アート・映画

千葉県民の日とやらで小学校が休み。自分も休みを取り、息子を連れて、東京国立近代美術館「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」展を観てきた。展示物の写真を撮ってもよいと大々的に謳ってあり、欧州や豪州の美術館ではそれがむしろ普通だが、ここではネットでの拡がりを期待しての動きだろう。

7人の建築家による、建築をコンセプトとしたインスタレーションである。それぞれ面白く、手法的にもうなってしまうものもある。しかし、ここでの問いかけは、「建築はどこにあるの?」だ。

ひとつはノスタルジアの世界を侵犯する建築。今回もっとも印象深かった作品、菊池宏「ある部屋の一日」を眺めて感じたことだ。ミニチュアの家、庭には樹木や奇妙なクリスタルがある。片方から光が当てられ、そして家は回転し続けている。家から見れば、回転するのは光、太陽の光のほうである。そして家には2つのカメラが取り付けられており、横の部屋でその映像が投影されている。まるでシャープでない映像の甘さ、滲みが、あまりにもノスタルジックで、数分間での1日の体験がとても強い印象を残す。


菊池宏「ある部屋の一日」 回転する家


菊池宏「ある部屋の一日」 家の映像

ギミックとして面白いのは、赤い無数の平行したレーザー光を暗い部屋で照射する、内藤廣「赤縞」。レーザーのなかを歩くと、自分の身体が設計に還元される。建築家のことばを使えば、人間が動くことでこそ空間が生まれる。しかし還元されたものとはいえ、設計は建築家以外にとってはリアルなものではない。


内藤廣「赤縞」 ストライプのシャツを着た私の腕に直交するレーザー光のストライプ

神保町で用事を済ませ、錦糸町で上がったばかりの8ミリフィルムを受け取る。千葉県のわが家からも遠くに見える東京スカイツリーが、ここでは冗談みたいに大きく現れる。建築家以外にとってのリアルは所詮現物に過ぎない。

まだ夕方までに時間があった。息子と町工場が多い界隈を歩いてスカイツリーを目指すことにする。辿りつくまでの30分弱、ときどき雑居ビルの切れ目から姿を見せるスカイツリーは、どんどん大きくなっていく。

到着して見上げたら、笑ってしまった。

現在398メートル、第一展望台のあたりまで組みあがっている。計画は634メートル。つまり現在の1.5倍程度にまで高くなる。わが家から遠目に眺めるスカイツリーは、その手前にある小さな船堀タワーより少し高く見える程度だが、あと1年半も経てば、風景がまたかなり変わってしまうことになる。東京タワーではモスラが繭を作った。霞が関ビルにはシーボーズが宇宙に帰りたくてよじ登った。さて、スカイツリーを愛する怪獣は何だろう。


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