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自縄自縛日記

新崎盛暉さんの業績を振り返り引き継ぐ会

2019-03-20 18:12:27 | 沖縄

法政大学において、「新崎盛暉さんの業績を振り返り引き継ぐ会」(2019/3/16)。

法政大学の沖縄文化研究所は、1960年代に中野好夫が新崎盛暉とともに運営していた沖縄資料センターを母体とするという。ここに法大総長であった中村哲と文学部教授であった外間守善が助力してできた。最初に、会を主催する同研究所から、いまも沖縄大学のウェブサイトに残る新崎氏のモットー「戦略的な原則堅持と限りなく柔軟な現実対応」が紹介された(http://www.okinawa-u.ac.jp/faculty/teachers/273)。

糸数慶子さん(参議院議員)は、先日の県民投票を受けての県民大会が同じ日に開かれたため、ヴィデオでの参加となった。新崎さんとのつながりは、糸数さんが沖縄で平和教育のバスガイドをしていた時代に遡るという。このことが、のちに沖縄大学の講師を経て、沖縄社会大衆党から県議会に出馬することに影響しているようだ。

岡本厚さん(岩波書店)は、1960年代からの新崎さんと「世界」誌との関わりについて話した。これが沖縄の実態を日本に発信する大きな役割を果たした。施政権返還後しばらくは登場しなかったものの、1985年の新川明との対談では「沖縄にとって復帰とは何だったか」という問題意識を示している。復帰は問題の解決ではなかったのではないか、ということだ。そして、「構造的沖縄差別」、すなわち従属的日米関係のしわよせだというとらえかたに、多くの人が共感したと話した。基地の縮小は大いにあり得たはずだったが、日本政府こそがこれを維持しようとした。このことを新崎さんは問い続けた。

屋嘉宗彦さん(前沖縄文化研究所所長)は、新崎さんは復帰の総括が十分ではなかったと考えていたと話した。「本土並み」という言葉に象徴されるように、関心とオカネが安易に本土との格差是正に流れ込んだ。しかしそれは批判されるべきものだった。それを踏まえて新崎さんは「脱北入南」を主張した。すなわち、北の端っこに参加することに夢中になる共同覇権主義ではなく、また安泰と安定と収奪を伴う先進工業国の平和ではなく、自然環境を大切にし、限られた富を大事に分かち合い、異なった価値観を認めるという南の思想である。屋嘉さんは、その上で新崎さんが掲げた目標は、決して抽象的なものではなく、基地や日米安保の解消という具体的なものだったと評価した。

第2部では多くの方々が短いスピーチを行った。

●参照
『けーし風』読者の集い(35) 沖縄戦非体験者として伝える戦争/追悼・新崎盛暉先生
新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
『けーし風』 


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