Sightsong

自縄自縛日記

柳田邦男『みんな、絵本から』

2009-04-16 21:40:23 | 思想・文学

インターネット新聞JanJanに、柳田邦男『みんな、絵本から』(講談社、2009年)の書評を寄稿した。

>> 『みんな、絵本から』の感想

 著者の柳田邦男は、何冊か、大人にとっての絵本の価値について著作をものしている。本書のとてもシンプルなメッセージは、おそらく、その手探りでの絵本世界の探索により得られた経験を、正直に提示してくれるものだ。

 ここに挙げられた実例からは、子どもたちが絵本を愛することによって、感性、考える力、ことばを紡ぐ力を育むのだということを読み取ることができる。著者は言う。絵本は、「子どもが自分で時間をコントロールすることができる唯一といえるメディアである」と。そして、それは、大人が読み聞かせることが前提条件となる。

 絵本は、単に、絵とやさしいことばとが組み合わさった書物なのではない。肉声をブリッジとして使い、身体の温かさや匂いに包みこみ、時には行きつ戻りつし、質問をさしはさんだりする、とても柔軟なコミュニケーション・ツールなのだ。さらに、その場限りのコミュニケーションの補助にとどまらず、さまざまなものと結びついた記憶、知性や感性の礎となっていく。

 あらためてわが身を振り返ってみて、反省させられる。子どもとの絵本を介したプロセスを積み重ねていくせっかくの時間を、インターネットやテレビのために、如何に失っているのかということを。

 実際に、魅力的な絵本は多い。子どもに読み聞かせると、なおさら楽しくなる。それは、すぐれた絵本が、読み聞かせのプロセスに乗せるように作られているからだろう。わが家でいえば、「こぐまちゃん」(わかやまけん)、「ミッフィー」(ディック・ブルーナ)、「ころ ころ ころ」、「がちゃがちゃ どんどん」(元永定正)などがお気に入りだ。見たり読んだりするたびに、味がにじみ出てくる。

 大人と子どもとで、もっと絵本を共有しよう。

◇ ◇ ◇

絵本は書物ではなくプロセスだということ。


マラカイ・フェイヴァースのソロ・アルバム

2009-04-16 00:48:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

レコードプレイヤーのカートリッジも取り替えて、部屋も掃除して、そんな目を見張るようなシステムではないけれども、改めてレコードを聴くのが楽しい。もう随分前、ギャラリーでの音楽イヴェントを主催するKさんのお宅にお邪魔したとき、CDとLPとVHSの山に驚いた。しかし、Kさんが発した言葉は、「名盤はあなたの棚にある」だった。もう自分のストックの中身を覚えていられないのだった。

そんなわけで、浮かれて新しい音源を調達するよりも、自分の棚をじろじろと探検する。大きなスピーカーで聴きたいのは低音でもあるから、ベースが主役のLPを探した。セシル・マクビー、ペーター・コヴァルト、バール・フィリップス、チャーリー・ヘイデン、バリー・ガイなど色々とターンテーブルにのせては悦に入る。

なかでもあたたかいのは、マラカイ・フェイヴァース『ナチュラル&スピリチュアル』(AECO、1977年)。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)のベーシストとして有名な故フェイヴァースだが、自身のリーダー作は少ない。完全ソロとなると、この1枚ではないだろうか。よくは知らないが、AECOというレーベルはAECの肝いりのようで、このレコードは、ドン・モイエ、ジョセフ・ジャーマンのリーダー作に続いて3枚目。この後にAECの作品がある。時期的には、ECMレーベルへの吹き込みを開始するころだ(円熟期と言っていいのかな)。

最初はバードコールのような笛、そしてマリンバの演奏。続くベースソロは馥郁たる香りが漂うようで、厚みがあって、そして暖かみがある。B面の後半は弓で弾いているが、最後の最後になって、また指でテンポよく弾き始め、唐突に終わる。何度聴いても魅力的で、タイトルは嘘をついていない。

ところで、船戸博史というベーシストは、「ふちがみとふなと」の人というイメージだったのだが、実はマラカイ・フェイヴァースの死後まもなく、『LOW FISH』(Off Note、2004年)というアルバムを出している。まさにその1曲目が「マラカイのひとりごと」というベースソロ演奏であり、彼に捧げたものだろうか。

他の曲では、主に、中尾勘二(サックスなど)、関島岳郎(チューバなど)という「中央線」な音楽家(というのも何だが)と組んでいる。この2人が入ると、篠田昌巳と組んだ「コンポステラ」でも、その後の「ストラーダ」でもそうだが、裏寂れた哀愁があってたまらない雰囲気がある。何でだろう。