なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ294 死ぬ権利

2020年12月27日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第294回。12月27日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。

22日火曜日、屋根の雪下ろし、ニラ小屋飲み会
23日水曜日、BPキャピタル、オンライン懇親会
その他法事が2件。
というような1週間でした。

今週は雪も落ち着き楽な1週間でした。一昨日から少し降りましたが。

お寺の年末には新年を迎えるための準備が色々あります。
その一つに年回正当簿の作成があります。
来年の年回忌を過去帳から拾う作業ですが、それは現在パソコンでできるのでとても楽です。
それを本堂に張り出すために一枚一枚の札に書き出す作業は手書きでやっています。
で、それを書きながら色々と思いを巡らすのです。
「この人はとても丈夫で死ぬようではなかったのにな」
「あんなに強がっていた人もやっぱり死んでしまうんだな」
「若くして突然亡くなった時は家族は大変だったな」
等々、その人の顔とその時の様子を思い出しながら書いていきます。
そして思うのです。
当たり前のことではあるけれど、みんな死ぬんだな、と。
年賀状は、宛名が一人ずつ減っていくけれど、過去帳は増えるばかりです。
あなたも私も、そう遠くないときに鬼籍に入り、名前ではなく戒名で呼ばれるときが来るのです。
それは万人に平等のことですから、憂うることも恐れることもなく、安心と言ってもいいことです。

最近「死ぬ権利」ということを考えます。
と言っても、自死やその幇助、あるいはいわゆる安楽死のことを言っているのはありません。
「権利」というと誤解があるかもしれません。
命は、自分の意思とは関係のないところで生まれ、自分の意思の及ばないところで死んでいきます。お任せする以外にない命です。
なので、権利で生まれたわけでも権利で死ぬわけでもありません。
ところが、「おまかせ」とは言えないような死があることも事実です。
本人の意思とは関係なく、もっと言えば、変な言い方ですが「命の意思」とも反するところで「強制的に」生かされている命もあると思われます。
ですから、正確には「自然に死ぬ権利」と言った方がいいかもしれません。「自然に」という定義も難しいですが。

父親がまだ自分の意思を伝えられる状態の時、「もう生きていたくない」と漏らしたことがありました。
そう言葉で伝えられる状態ですから、周囲は「何言ってんだ」と打ち消していました。
その後どんどん状態が悪くなり、言葉が出なくなり、表情で訴えることもできなくなり、病院のベッドで点滴を打ちながら常に眠っているような状態となりました。
毎日病室を訪ねていましたが、ある日突然、鼻に管が挿され栄養剤が注入されていました。
いつからそのような処置をするという説明もなく、いつの間にか「こんなことになってしまった」という感じでした。
しかし、それをどう受け止めていいか分からず、それが必要なことなのか必要でないのか、病院に任せていいのか任せる以外にないのか。ぼんやり眺めることしかできませんでした。
看護師の話では、朝と晩の決まった時間に栄養剤を流し込むということでした。
注入されている時、見ていると苦しそうに顔をゆがめることもありました。
その時の父は、意思を伝えられないだけで意識がなかったのではないと思われます。
もし意識があり意思があったのだとすれば、それはどんな思いだったのか。
後から思えば、「静かに死なせてくれ」と願っていたのではなかったか。
結局父は、その栄養剤が喉に詰まって窒息して誰もいない病室で亡くなりました。12年前のことです。
苦しんだに違いないと思います。
「お願いして早く抜いてもらえばよかった」と後悔しました。
本人が意思を伝えられる状態の時はなかなか終末治療のことについては触れられず、意識が混濁してからは病院にお任せする以外にないというのが医療の現状ではないでしょうか。
家族が病院にお任せする以外の選択肢と方法を持ち合わせていないということも現実だと思われます。
現代の医療が、どんな状態でも命を長らえることを唯一の使命だとしているのだとすれば、もっと限定的に言うと、恢復の見込みのない老人患者を命を長らえさせるためだけに苦しみを伴う医療行為を行うことは、もしかしたらそれは「自然に死ぬ権利」を奪っているのではないかと思うところです。
私が最近の医療の実情を知らないのかもしれませんし、誤解があるのかもしれません。ご批判を待ちます。
現代の我々には「自然な死」を迎えるということは難しいのでしょうか。
医療関係者だけでなく、宗教者や学者、一般市民も巻き込んで、死をどう迎えるのか、その多様性についても議論する必要があるように思います。

今年最後のサンサンラジオとなりました。
どうぞよいお年をお迎えください。また来年もお立ち寄りいただけたら嬉しいです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿