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やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ412 親の葬式

2023年04月16日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第412回。令和5年4月16日、日曜日。

松林寺の枝垂桜が満開となり、遅ればせながら最上にも春爛漫の季節がやってきました。
桜が咲けば種蒔きの季節となっていて、周囲の農家もその準備に追われています。
我等が酒米「出羽燦燦」も昨日種蒔きをして、来月20日ごろに田植えとなる段取りです。
数量は昨年同様、約2400㎏の収量を目指します。
2年目の酒の味も大変好評で、多くの方にリピートで飲んでいただいています。

さて、4月に入り慌ただしく色々な用事が動き出しています。
今年は法話も以前のように予定に入って来ています。
次々埋まっていく日程表に、この3年間は楽だったんだなあと惜しむような気持ちがない訳ではありません。
感染症もさほど気にしないようになったということでしょうか、これまで規制されていた火葬場の人数制限がなくなり、先日、地元の自宅葬では大勢の親戚が集まり、終わってのお斎は座敷いっぱいの人が、大声で飲んでは食べていました。
97歳のお婆ちゃんということもあり、葬式かお祭りか分からないような賑やかさでした。
コロナ前に一気に戻ったような懐かしさを感じました。
これが田舎の儀式であり、良さでもあると思います。
感染対策を理由にして、積極的に家族葬を選択するのは如何なものかと歯がゆい思いをしていました。
人は家族だけで生きてきたわけではありません。親戚や地元、友人や仲間と共に、時には助け合い、時には支え合いながら生きてきました。
亡くなる本人が何か挨拶できるならば、きっとお世話になった人々一人ひとりに感謝の言葉を述べたいに違いないと思います。
その気持ちを汲んで、その場を設定するのが遺族の務めでしょう。
親の葬式を「家族で済ませました」というような、物事を処理するようなことでは相済まぬことと思うところです。

テレビコマーシャルで、「80歳からでも入れる保険」というような内容でよく言われるのは「子どもたちに迷惑をかけたくないでしょ」というフレーズ。
よくないですね。親の側がそう考えるべきだという誘導が社会の意識をつくっていくことになりかねません。
親の葬式を迷惑だと捉える社会はおかしいです。もちろん、この場合は「お金を遺さないと迷惑をかける」という意味ですが。
少し前の葬式の際も、「父親が何にも遺してなかったから」と費用について嘆いていました。
遺産があろうがなかろうが、親の葬式を勤めるのは子どもの務めですよね。
それほどお世話になってきたのだから、当然のことです。
自分の葬儀代を自分で遺しておかないと安心して死ねないというのでは、親はかわいそうです。コマーシャルの弊害です。
田舎では、そのために地域での「悔やみ」の慣わしがあったものでしょう。
あそこからはもらっているから返さなければならない、というある意味保険のような慣わしで、生前に出していた香典は自分の時に返ってくる、それで葬式を出す仕組みだった訳です。
家族葬というのは、その仕組みを壊すことでもあります。

「野辺送り」という慣習がありました。
その言い方は土葬時代の名残りかと思いますが、墓までの葬列を野辺で見送る慣習です。
村の仲間をみんなで見送る、という別れの儀式でした。逆に「むかさり」は、花嫁をみんなで迎える入村の儀式でした。
村に迷惑をかけた「村八分」の制裁があっても、二分だけはつき合いをした、それが火事と葬式。
葬式は、個人、家族の儀式ではなく、村の行事だったのです。
都会では無理にしろ、田舎であればこそ、そんな土着的なつき合いを田舎の特徴、良さとして残していきたいと思うところです。
感染対策がゆるくなり始めた今元に戻そうと努力しなければ、地域のつながりを断ち切る事例が既成事実となってしまいます。
そんなうっとうしい田舎のつき合いが嫌ならば、どうぞ都会に出てください。
田舎には都会の良いものはありません。逆に都会には田舎の良さがないでしょう。
どんな理由にしろ、今生きている所でこれからも生きていくならば、無いものを求めて悲観するのではなく、あるものを享受してそれを喜びとしなければ、楽しい人生を送ることはできません。
今、ここ、を自分の足で立つ、生きる、その覚悟から人生の喜びは生まれると、私は思っています。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



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2 コメント

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「迷惑」をかける!? 冗談じゃないぜ!!! (大閑道人)
2023-04-16 05:57:09
私は、このようにお話ししています。
「迷惑をかける」ではなくて、「お世話になる」といいましょう。

なぜならば、
「迷惑をかけた」 → 「ごめんなさい」
「お世話になった」 → 「ありがとう」

あなたは、
「ごめんさない」と「ありがとう」と
どちらを聞きたいですか?
どちらを言ってほしいですか?

もし、
「ありがとう」と言ってほしのならば、
相手だって「ありがとう」と言ってほしのです。
だから、「お世話をかけるね、ありがとうね」といいましょうよ。

同じ行為であっても、
「迷惑」と名付ければ、それは「迷惑な行為」になります。
「お世話」と名付ければ、それは「好意」になります。

しかも、
「ごめんなさい」も「ありがとう」も
その発言に伴う動作は、全く同じです。

いかがでしょう。

「迷惑」と「お世話」の違い。

受け取る側ではなくて、発する側が決めている、とは思いませんか???
Unknown (三部義道)
2023-04-16 19:49:47
なるほど、そのように勧めたらいいですね。

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