きぼう屋

生きているから生きている

バザー奉仕という救い

2010年10月31日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

*****************

「バザー奉仕という救い」

いよいよ今週水曜日はバザーです。
礼拝堂はすでにバザーの品が並んでおります。
ぜひその圧巻な光景を見ていただきたいと思います。

今年も夏から昨日まで多くの仲間がバザー準備に主体的にかかわられています。
そのゆえにここまでの準備が出来ています。
そしてこれは実は神の業以外のなにものでもありません。

まず、当教会のバザーの特徴が神の業となっています。
バザーでは教会が地域の拠点となっています。
つまり地域の方々が1万点以上のバザーの品を献げてくださり、
そして同じく地域の方々がバザーで必要なものを購入します。

バザーに関しては、地域全体が教会の出来事に与ります。

そして地域の仲間たちのために、
教会の仲間が夏から奉仕しています。

これは決して楽な奉仕ではありません。
でも奉仕の時間は間違いなく幸福です。

それは、徹頭徹尾他者のために行動しているからです。

地域の仲間が喜ぶために、
彼らのホストとして行動しているからです。
つまり愛を生きているからです。

この他者のための行動は、
すべての献品を手に取り、整理し値段付けをする中で、
奉仕者が欲しくなる品とたくさん出会うけれども、
しかし、それをフライングして先に購入するという、
よくあることが当教会では起ることなく、
バザー当日に地域の仲間たちがそれらの品に出会えることを心から願う、
というほどの高価な行動です。

バザー奉仕がアルバイトだったらいったいどれだけ収入があるでしょう?
でも収入もないのだから数品くらい先に買ってもいいのでは?
という誘惑は、
人を神の愛から強烈に引き離すものであり、
当教会の奉仕者がそのことを熟知していることに私は感謝するしかありません。

私がこの間ほぼ確信していることをここでもお伝えしたく願います。

人が救われ幸せになり明るくなるのは、
他者のために生きるとき!
であります。

それは他者のために生きることがわたしのため!という理屈も必要としません。

端的に他者のために生きるときに、
人は本物の幸いを得ます。

そのときに、人は神が自分のために生きている奇跡に同時に出会っています。

だからバザー奉仕は私たちを救う神の業。
感謝し祈りつつ当日を迎えましょう。