9月21日に開催予定の
関西地方連合信徒大会に
講師としてお招きする加藤享牧師と電話でお話しました
加藤牧師は77歳
70代80代の方々とお話できることは恵みです
わたしは多くを学ぶことができるゆえに
おじいさんおばあさんと話すのが大好きです
ただし
心の曲がっているおじいさんおばあさんのお話は全く聞くことができませんが・・・
これは牧師としては失格なのですが
わたし無理なんです・・・
キャリアとか
格好とか
知識とか
そういうのはあまりわたしには関係がなくて
心がまっすぐな先輩の話のなかに
きらきら光る宝物を発見してしまうのです
でも心のまっすぐな人は
まっすぐなゆえに
敬遠されている場合もあるのですが
でもわたしの短い経験では
この曲がった世の中で
知らず知らずに心も曲がるとき
心のまっすぐさと対立してしまう
という動きなのだなあと思ってもおりまして
単純に心がまっすぐ
ということを死守することが
実は強烈なたたかいであったりするわけです
そんななかで
加藤牧師のまっすぐさにはいつも驚かれます
無論
わたしの心も曲がっているところが多々あるので
ぐさっ
ちくっ
というところもあるのですが
これを繰り返し受けることがわたしの心をまっすぐにすることになるなあ
と思っています
「礼拝と生」
というテーマでお話いただきます
そこで今加藤牧師が考えておられることを伺い
私の意見を生意気にも述べさせていただくというやりとりを
一時間強させていただいたのですが
いいねえ
礼拝
それは
牧師も信徒も
命をかけられる唯一のもの
牧師はまず説教に命をかける
その内容は生涯かけて研鑽すべきであるし相互批判をすべきである
さらには
聴く方々へ目も心も体もまっすぐ向けること
服装から声の調子まで主の日に向けて整えること
という身近なことにも命をかける
(けっこうこの身近なところに真理が隠れていると昨今わたしは考えております)
信徒は礼拝を守ることに命をかける
それも身だしなみや時間ということも含めて命をかける
さらには
教会や礼拝が疲弊している今であっても
礼拝に癒されることを信じるゆえに命をかける
神に癒されるからこそ礼拝に命をかける
といったことを伺いました
さらに
教会でなんらかの奉仕があるとか行事があるとかで教会に行くのではなく
礼拝に命をかけるから教会に行く
というのも面白かったです
しかも
元気いっぱいだった若いころを反省しつつ語っておりまして
心がまっすぐなんだなあ
と感動しました
わたしなら
徹底して
主語をキリストにしますけれども
加藤牧師の主語が人間行為にあるのは
まさに時代の言葉なので
こちらが解釈すればよし
というわけで
もう何度か対話を重ねて
信徒大会を有意義なものしたく願うのでした
心がまっすぐ!
これだなあ
関西地方連合信徒大会に
講師としてお招きする加藤享牧師と電話でお話しました
加藤牧師は77歳
70代80代の方々とお話できることは恵みです
わたしは多くを学ぶことができるゆえに
おじいさんおばあさんと話すのが大好きです
ただし
心の曲がっているおじいさんおばあさんのお話は全く聞くことができませんが・・・
これは牧師としては失格なのですが
わたし無理なんです・・・
キャリアとか
格好とか
知識とか
そういうのはあまりわたしには関係がなくて
心がまっすぐな先輩の話のなかに
きらきら光る宝物を発見してしまうのです
でも心のまっすぐな人は
まっすぐなゆえに
敬遠されている場合もあるのですが
でもわたしの短い経験では
この曲がった世の中で
知らず知らずに心も曲がるとき
心のまっすぐさと対立してしまう
という動きなのだなあと思ってもおりまして
単純に心がまっすぐ
ということを死守することが
実は強烈なたたかいであったりするわけです
そんななかで
加藤牧師のまっすぐさにはいつも驚かれます
無論
わたしの心も曲がっているところが多々あるので
ぐさっ
ちくっ
というところもあるのですが
これを繰り返し受けることがわたしの心をまっすぐにすることになるなあ
と思っています
「礼拝と生」
というテーマでお話いただきます
そこで今加藤牧師が考えておられることを伺い
私の意見を生意気にも述べさせていただくというやりとりを
一時間強させていただいたのですが
いいねえ
礼拝
それは
牧師も信徒も
命をかけられる唯一のもの
牧師はまず説教に命をかける
その内容は生涯かけて研鑽すべきであるし相互批判をすべきである
さらには
聴く方々へ目も心も体もまっすぐ向けること
服装から声の調子まで主の日に向けて整えること
という身近なことにも命をかける
(けっこうこの身近なところに真理が隠れていると昨今わたしは考えております)
信徒は礼拝を守ることに命をかける
それも身だしなみや時間ということも含めて命をかける
さらには
教会や礼拝が疲弊している今であっても
礼拝に癒されることを信じるゆえに命をかける
神に癒されるからこそ礼拝に命をかける
といったことを伺いました
さらに
教会でなんらかの奉仕があるとか行事があるとかで教会に行くのではなく
礼拝に命をかけるから教会に行く
というのも面白かったです
しかも
元気いっぱいだった若いころを反省しつつ語っておりまして
心がまっすぐなんだなあ
と感動しました
わたしなら
徹底して
主語をキリストにしますけれども
加藤牧師の主語が人間行為にあるのは
まさに時代の言葉なので
こちらが解釈すればよし
というわけで
もう何度か対話を重ねて
信徒大会を有意義なものしたく願うのでした
心がまっすぐ!
これだなあ