きぼう屋

生きているから生きている

生と死

2007年07月07日 | 教会のこと
生と死を
あまりにも壮絶な事柄として
身に受けた
木曜、金曜、土曜

この三日間の中で不思議と重なって起こった出来事は
その重なったものとしてであると同時に
それぞれが個々の出来事であるごとく個々のものとして
私の人格の決して少なくない部分を
変革するに十分なものとなった

生の重みと
死の重み

どちらもちっぽけな私をつぶすには十分な重さであると同時に
しかしその重い生と死という頑丈な土台の上に私があるということを
確認できたときでもあった

逆に言うなら
生は軽くなるはずなく
死も全く同様である
ということ

死の重みを受けた直後だったからこそ
生の重みを覚えてすべてをかけて動くことができた

生の重みを受けた直後だったからこそ
死の重みを丁寧に受けることができた

泣きながらの司式となった告別式

それは
集うことのゆるされた者への
新しい生への招きとなっただろうか


心身があまりの疲労に動くことを拒否している
しかし
中心ががっちりぶれないゆえの安定感がある

明日の礼拝の週報と説教は
間に合うのだろうか

間に合わないなら
それは
それでいい

むしろ間に合わないのが良いのかもしれない

生と死の重みが
明日の礼拝で語られるためには・・・

はっきりとあまりにはっきりと

言えることがある


神は共にいる