きぼう屋

生きているから生きている

夏目と聖書と戦争といと小さき個人

2007年02月04日 | 「生きる」こと
昨日(3日)京都に小森陽一氏(近代文学研究家・東大教授)が来ました。
彼の新著を記念する講演会です。

わたしは出版社から書評を依頼された関係で
講演会のあいさつをしました。

あいさつは5分の持ち時間。
「講演会に関するあいさつを自由に」という注文。
講演会とかけ離れたことをしゃべると思われてしまったようですが
その通りでした。

この5分でどうやって伝えたいことを伝えようか・・・
直前まで考えました。

「9条 ことばの力 平和の力」
という本で
樋口、夏目、宮澤、大江の小説の
歴史的背景から見えてくることばの力の本質と
9条の文言の力の本質が重なるという
そういう本なので

まずは
守ろう憲法と平和きょうとネットが
9条の会や小森さんと今後直接かかわる取り組みを紹介。
3.17の憲法セミナーと
5.3の憲法集会への参加を呼びかけ。

で、
小森さんの本の通奏低音を
神学的な言葉に翻訳して感想を述べるという
そんなことしてみました。

つまり
いと小さき者の声のなかに、我々が生きるに欠かせない力ある言葉がある・・・
といったような感じで・・・

小森さんの講演は面白かったです。
前半は講演で、
後半は演説でした。

ご自分の歴史を振り返りつつ語り始めました。
なるほど
少し装飾しすぎだなあ・・・
歴史を限定しすぎだなあ・・・
聖書のプロとして歴史批評を大切にする者としては思いつつ・・・

しかし、これくらいにしないと
自分史なんぞは語ることなんぞできないなあ
と思いました。

そういう点
信仰告白ってのは、
生々しい自分史を語ることが出来るという
やはり特別な場だなあとも思いました。

今回は夏目漱石の小説を解釈してくれました。
これが
聖書解釈とまず同じだなあと思いました。
また
小説が戦争の時代へのメッセージになっている点がだんだん明らかになってきたのも
聖書解釈と同じで・・・

つまり解釈学が発展したのだなあと再確認。
また、日々聖書解釈とたたかいつつ
時折夏目などを読むわたしは
当たり前のように夏目をそのように読んでおりまして・・・

実は聖書と向き合う作業の繰り返しは
信仰者の生活の繰り返しは
国語の専門家からはかなりお褒めいただける生き様なのだろうなあ
と、思ったりもしました。

この本
読まれよ
かなりよいですぞ。

で、

本当は講演会後、
小森さんと一緒に食事をする予定だったのですが、
聞きたいこといっぱいあったのですが、

一方で昨日は寄り添いネットのボランティアスタッフが
御所と鴨川をパトロールしてくれておりまして
で、ぐっと冷え込んだ京都ですから
体調の悪い仲間もおりまして
御所で寝起きしていた方がひどい高熱で病院に搬送されたという連絡が入り
一緒の食事はできませんでした。

が、
彼の講演趣旨からいうなら
まさにこういうホームレスのひとりのいのちとことばを
受け取り語ることが文学なわけですから

わたしは
講演で聞いたことを即実践したわけでもあって・・・

というか
聖書を読んでも漱石を読んでも
倫理は同じというわけで・・・

歴史といのちを突き詰めると
そこに行き着くのだろうと

そんなん思ったわけでした・・・