きぼう屋

生きているから生きている

共同体

2010年04月17日 | ホームレス支援のこと
昨日

孤独死されたKさんの遺骨をあずかることとなる

それは同時に
血縁に引き取り手がなかったということでもある

だからこそ

僕らが覚える


私の牧師室に
ちょうど一年前にガンで逝去されたHさんと
Kさんの遺骨が並ぶ

ふたりはお互いに気にかけあっていた仲間だ

わたしはおふたりと
牧師室で出会う

後悔の思いが繰り返し強くあらわれるが
同時に
あたたかい気持ちにもなる


キリスト教会において
遺骨にて死者が共にいるという感触を覚えるというのは
あまり語られてきていない

しかしそれは

すべてを単体から
個人から
はじめるという思想に
聖書をあてはめるかたちで
信仰理解をしてしまっただけだと思う

すべては共同体からはじまる
しかも共同体がキリストの体としてはじまる
つまり他者と共に
というところからはじまる
という聖書の根幹からして

死者もなお共にいることを
体の一部である骨から覚えることは

信仰なのだ


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昨晩の炊き出し

わたしは市役所前の活動を終えて帰ってきたが 

その後京都駅へ行ってくれるボランティアたちもいる


家についたころ

チーム京都駅より電話が入る


男性物の上着はないか?
というもの

若菜さんが教会にある物資倉庫に探しにいく


でももう一度電話が入る


ボランティアのKさんがその日着ていた上着を渡したとのこと


kさんはキリスト者ではないけれども

わたしはキリストの精神を見る



これによって
寒さをしのげる当事者はもちろん

自分の上着を渡した仲間がいるという
寄り添いネット共同体も
精神がほんとにひとつ深まる



寄り添いネットをはじめてよかったと思うひとつの瞬間

感謝だ