昨日
孤独死されたKさんの遺骨をあずかることとなる
それは同時に
血縁に引き取り手がなかったということでもある
だからこそ
僕らが覚える
私の牧師室に
ちょうど一年前にガンで逝去されたHさんと
Kさんの遺骨が並ぶ
ふたりはお互いに気にかけあっていた仲間だ
わたしはおふたりと
牧師室で出会う
後悔の思いが繰り返し強くあらわれるが
同時に
あたたかい気持ちにもなる
キリスト教会において
遺骨にて死者が共にいるという感触を覚えるというのは
あまり語られてきていない
しかしそれは
すべてを単体から
個人から
はじめるという思想に
聖書をあてはめるかたちで
信仰理解をしてしまっただけだと思う
すべては共同体からはじまる
しかも共同体がキリストの体としてはじまる
つまり他者と共に
というところからはじまる
という聖書の根幹からして
死者もなお共にいることを
体の一部である骨から覚えることは
信仰なのだ
***************
昨晩の炊き出し
わたしは市役所前の活動を終えて帰ってきたが
その後京都駅へ行ってくれるボランティアたちもいる
家についたころ
チーム京都駅より電話が入る
男性物の上着はないか?
というもの
若菜さんが教会にある物資倉庫に探しにいく
でももう一度電話が入る
ボランティアのKさんがその日着ていた上着を渡したとのこと
kさんはキリスト者ではないけれども
わたしはキリストの精神を見る
これによって
寒さをしのげる当事者はもちろん
自分の上着を渡した仲間がいるという
寄り添いネット共同体も
精神がほんとにひとつ深まる
寄り添いネットをはじめてよかったと思うひとつの瞬間
感謝だ
孤独死されたKさんの遺骨をあずかることとなる
それは同時に
血縁に引き取り手がなかったということでもある
だからこそ
僕らが覚える
私の牧師室に
ちょうど一年前にガンで逝去されたHさんと
Kさんの遺骨が並ぶ
ふたりはお互いに気にかけあっていた仲間だ
わたしはおふたりと
牧師室で出会う
後悔の思いが繰り返し強くあらわれるが
同時に
あたたかい気持ちにもなる
キリスト教会において
遺骨にて死者が共にいるという感触を覚えるというのは
あまり語られてきていない
しかしそれは
すべてを単体から
個人から
はじめるという思想に
聖書をあてはめるかたちで
信仰理解をしてしまっただけだと思う
すべては共同体からはじまる
しかも共同体がキリストの体としてはじまる
つまり他者と共に
というところからはじまる
という聖書の根幹からして
死者もなお共にいることを
体の一部である骨から覚えることは
信仰なのだ
***************
昨晩の炊き出し
わたしは市役所前の活動を終えて帰ってきたが
その後京都駅へ行ってくれるボランティアたちもいる
家についたころ
チーム京都駅より電話が入る
男性物の上着はないか?
というもの
若菜さんが教会にある物資倉庫に探しにいく
でももう一度電話が入る
ボランティアのKさんがその日着ていた上着を渡したとのこと
kさんはキリスト者ではないけれども
わたしはキリストの精神を見る
これによって
寒さをしのげる当事者はもちろん
自分の上着を渡した仲間がいるという
寄り添いネット共同体も
精神がほんとにひとつ深まる
寄り添いネットをはじめてよかったと思うひとつの瞬間
感謝だ