きぼう屋

生きているから生きている

孤独死

2010年04月07日 | ホームレス支援のこと
キリストが十字架で死に復活することを覚えているときに

仲間が孤独死を迎えた

ホームレス生活状態であった彼は
大きな病気が見つかり
入院を経て
生活保護を受けてアパートで生活をされていた

若菜さんが20日前に繁華街で元気な彼と会った
また仲間たちもちょうどそれくらいまで直接会っていた
その都度彼が元気であるという報告も受け安心していた

みんななんとなく安心していた
年度の変わり目でなんとなく忙しかった

そういう日常的な感覚や生活という
極めてふつうのことが

彼を孤独死へとおいやってしまった


いつもの仲間たちの感覚ならば
そしてそれは実に優れた感覚であるわけだけど
先日月曜日の炊き出しが終わったら
おそらく数人が会いに行っただろう

でも
そういう優れた感覚も

彼が死んで二週間以上経ったことを知ることができなかった


私たちの関係性と活動の限界

というかたちで簡単に終わらせることは出来ない


わたしは
彼の最期を
孤独にしてしまった


悔しさと悲しさを祈りの中で味わい
出口の見えない反省を
しかししていく

キリストだけは彼の最期に伴われたことを信じつつ