きぼう屋

生きているから生きている

動く神さま

2010年04月18日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「動く神さま」

神さまって何者?
まずたぶんよくあるイメージと思われるものを紹介します。

それは、
全宇宙を創り、把握する超巨大なで強大な方であり、
その神さまの視点から見ればすべての存在と出来事(特に困窮)はちっぽけだ!
というものです。
またこの神さまは静かです。
超巨大で強大ということは、
スーパーマンやウルトラマンのように戦う必要もないほどに
最初から勝負がわかっているほどの完全な神さまということです。

だから人は静かな神さまの前で静かにすることを心がけます。
そして静かに自分自身が神さまの大きさになり、
ちっぽけなすべてを眺めて安心することを目指します。

しかし!
聖書が語る神さまはそうさせてくれません。
全宇宙の創造主であるところまでは同じですが、
私たちの神さまは、
一つひとつの存在も出来事もちっぽけではなく、
すべてが神さまにあって重たいものだ!
と激しく訴えかけつつ、
全宇宙を支配される方のまま、
一人ひとりの存在と出来事の傍らにやってきます!

しかも最も大きな方でありつつ
「最も小さき者」としてやってきます。
十字架で殺されるほどに小さい者としてやってきます。

そして小さき者のまま復活された方としてやってきます。

そして今も復活の神さまがここにいます。
みなさんの傍らにいます。
みなさんの抱える困窮を身代わりとなり背負っています。
一人ひとりの存在と出来事がいずれも全宇宙の大きさと同じ重みを持っていると激しく訴えつつ、です。

そしてこの私たちの神さまは
したがって、まったくもって静的ではありません。

最も動的です。

全宇宙のすべての存在と出来事のもとへ最も小さき者として寄り添う方です。
しかも十字架を背負いつつ。

この神さまが共にいない存在も出来事も絶対にありません。
すべての存在のもとに必ず共にいます。
すべての出来事を共に担います。

そしてこの動く神さまは、
「神の義と神の国」という目的のために動き、
同時に私たちを動かします。

注意せねばならないのは、
私たちは、自分の目的や安定のためでなく、
「神の国と神の義」のために動く神さまと共に動く!ということです。

動きの基本は
動く神さまと交わるという動きであるところの礼拝です。

だから今日も共に礼拝をします。
また、ゆえに、礼拝は動的です。

動く神さまは、
もちろん!イエス・キリストです!

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今日もステキな主の日でした
ステキな礼拝に食事の交わりに教会学校に例会におしゃべりに営繕作業でした

主と教会家族に感謝感謝



ピキーーーーー

2010年04月18日 | 「生きる」こと
体がだいぶ楽になりました

整体師をされている教会家族に
さっきまで
丁寧な施術をしてもらっておりました

ジョギングしたくなるくらい
軽くなりました

しかし

だいぶぼろぼろ

とも言われてしまいました


首とお腹(内臓)が固いということです


おとといの夜に
体の中が急に動かない感じになったのは
そういうことなのかもしれません


内臓も筋肉ですからねえ
凝るんでしょうか


施術中に気持ちよくて眠りました



時々やってくる

ピリリ

イタタタタ
って
言って

でも

直後に寝息をたてていたそうです


しかし
このピリリが効きます

ピリリどころか
ピキーーーーー
となりまして
かなり効きます

首を押されたら

手のすべての指先まで
ピキーーーーーー
って痛くなるという
なかなか強烈なところもあるのですが

でも

楽になります


仕事で疲れているなかで
夜遅くに
こんなわたくしめのために

ほんとにほんとに

ありがとうございました


明日の礼拝説教をいい感じで迎えられると思います


これからもピンチのときには
遠慮なく助けてもらいますので

こんなわたくしめを

今後ともよろしくお願いします


いやあ

助かったあ