きぼう屋

生きているから生きている

キリストにあって

2010年04月16日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

そのまえに
この間ブログを更新できていなくて
ご心配くださり連絡をくださった皆々様
感謝でございます

えらくせわしい日々を過ごしておりました

そして昨晩
夕食前
急に体力が消えていく感触を覚えてしまいました
表面に筋肉は動くのにその中身に力が入らない感触です

仕方がないので
その日中に寝ることを決意し
11時に寝ることができました

でも
朝から頭痛がしてまして
ちょっとゆっくりせねばならないようです

ちょうど
わたしは第3金曜日の午前中に休むことにしているので
(夜中にホームレス支援がある日なので
 他の休みは毎週水曜日の午前中にできるだけ取ろうと思っていますが
 こちらはあんまり取れませんねえ)

朝のとりなしの祈祷を終えたあと
リラックスするために1時間ほどジョギングし
(筋肉もちょっと硬かったようで
 ジョギング後はちょっと楽になりました)
シャワーをあび
でもやっぱり頭痛がするので鎮痛剤を飲み
さらにちょっと楽になって
今に至っております

若菜さんも
この間本調子ではありませんが
先日孤独死された方のこともあり
だいぶしんどい状態なので

みなさま
ぜひともお祈りしていただきたく
切にお願いする次第なのであります

ほんとに
切に

では今週の週報巻頭言です


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「今年度もキリストにあって」

2010年度が始まりました。
先週がイースタープログラムでしたので、教会学校は本日がスタートです。

昨年度までは少年少女、青年のみんなが小学生と子どもクラスのリーダーとなり、
その年代のクラスがありませんでしたが、
若者が増え今年度はユースクラスも設置されたことをまず主に感謝します。

さて、まず各クラスのリーダーと在籍者は、
毎週一度はメンバーの顔を想起しとりなしの祈りをしましょう。

これを難しくは「万人祭司」と言い、
バプテストをはじめ、プロテスタント教会が大切にしていることです。

またそのための知恵として書記活動があります。
各クラスで書記を選び、
毎週誰が顔を合わせ、誰が休みだったか、
を、記録し共有できれば幸いです。

次に、キリストにある生活を考えてみましょう。
本日は簡単にみっつに分類します。

それは、
① 礼拝する、②十分の一献金をする、③証をする、
です。

まず「祈ることと聖書を読むことは入らないのか?」という起こるべき問いに応えます。
私はこのふたつは、
「二人または三人が集ま」ってなされるならキリストにある!と思いますが、
個人による場合は、
キリストにある出来事か、自分で自分を報いる行為か、紙一重なので、
あえて今回は含めませんでした。

そして挙げさせていただいたみっつはすべて他者を必要とし、
キリストの体を実感させる出来事です。

だから私たちは、自らがキリストにあるかを確認するとき、
このみっつが整えられているかを吟味すると有益です。

礼拝するとは、
礼拝に参加することと、
無理な場合は連絡し、とりなしを依頼することです。

十一献金とは、
十分の九を神からのギフトとして丁寧に用いることと、
十分の一をキリストの体なる教会の神の国建設にささげることです。

証しするとは、
十字架のキリストに引き受けられた罪の告白と、
しかし罪人である自分が赦され愛と和解に導かれることを他者に表現することであり、
それゆえ自分を通して他者がキリストの体なるにつながること=伝道です。

新年度は、このみっつを丁寧に吟味し、
これらが整うところから、
他の事柄も整うことを味わいます。

新年度もキリストにあって歩みます。

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