きぼう屋

生きているから生きている

受難週

2010年03月31日 | 教会のこと
今週は受難週

われらの神は受難の神

感情的に完璧でもなければ
けっして苦しまないなんていう神ではない

神を形而上的な完成形で捉える瞬間に
人間は間違いをおかす

神は苦しまれる
神は我らと共に苦しまれる
神は我らのかわりに苦しまれる


本日
キリストがすべての受難を背負ってくれているという真実の中で
Hさんの大きな手術が行われました

私の体の一部がなくなっても神の愛はなくならない!

Hさんの手術を前にしての信仰告白はステキです


手術直前の時間
Hさんのもとには
私のほかにHさんの職場の同僚もいてくれました

同僚の方は3年前にHさんと同じ大きな手術をされた方とのこと

絶え間なくHさんにことばをかけつづける同僚さんの
しかしそのひとつひとつのことばが
同じ体験をしていることと
Hさんを愛されているゆえなのだと思いますが
明るくさわやかで
さらに精密で隙がなく

わたしは驚くしかありませんでした

Hさんは同僚さんのおかげでかなり不安を払拭できたと思います

同僚さんと主に感謝



年度の最終日だからでしょうか
精神が重たくなったり逆にふわふわして安定しなくなったりする仲間から
連絡がたくさんきました

4月を迎えるということは
幼い頃からの繰り返しの中で
身体が何かを覚えているゆえに
逆に不安を覚えるようです

だからわたしは単純に
いつでも明日はただの明日でいつでも明日は新しい明日
と一緒に認識する作業をしました


気づけば朝と昼の食事を取る暇がありませんでした
夕方3時くらいのようやく食事
昼の子どもたちの残したチキンライスをかき集めて食べました
うまかった!!

そして
締め切りの過ぎている原稿を仕上げます
なんとかうまくいって送信

そしてMちゃんの転会クラス
バプテスマクラスと転会クラスはすこぶるしあわせ

それが終わって
いよいよ受難週祈祷会

Yさんが90分前にきて会場準備をしてくれました
感謝

MちゃんとWさんも開始前に種無しパンを焼いています
これまた感謝

そしてマタイ福音書の受難と十字架の場面を丁寧に輪読
証を分かち合い
主の晩餐式

受難週祈祷会はひとつの杯からみんなで飲みます

そして本日の祈祷会
Tさんが約40年ぶりに参加

涙が出そう

Sちゃんの参加も同じく!


十字架のキリストこそわれらの主