きぼう屋

生きているから生きている

妄想の果ての偽装

2007年04月21日 | 平和のこと
昨日の朝
京都地裁へ
京都での親子タウンミーティングで
参加者を公募しておきながら
いわゆる今の文部科学省や京都市教育委員会にとって
都合がいいと思う人はさくらで用意し
都合がわるいと思う人は
「抽選でもれました」という嘘でもって
参加させないという
あの全国的に報道された偽装問題の裁判


都合がわるいとされた人が
わたしの大好きな人たちで
愛と思いやりにあふれ
他者のためにこれでもかと生きる人

なのに
京都市教育委員会は
あぶない人だから
警察沙汰になる人だから
参加させないようにと
内閣府に申請

どう考えても
きわめて平和な人たちなのに
彼らからみたら怪獣のように見えるらしい

しかしここにひとつの今の現象がある

今の政府のえらい人や教育委員会のえらい人は
つまり教育基本法を改悪して喜んでいる人や
平和憲法を改悪したいと思っている人は

自分と異なる意見を持つ人が
まるで怪獣かのように怖くてしかたがなくなるという現象

でも実は人間みんな意見なり個性なり行為が異なるわけだから
きっとあらゆる他者がこわいという現象であり

道ですれ違う人がみんな怪獣に見えてくるというような現象であり
だから犯罪者と呼ばれる人がひとりあらわれると
学校中あげて大警戒しないとならないと思ってしまうような現象であり
朝鮮民主主義人民共和国はなにしろ怪獣だと認識するしかない現象であり

だから
そういう怪獣をやっつけるために
憲法も法律も変えないと気がすまないという現象であり


だからこそ
自分たちもまた武器や国家神道という思想でもって
怪獣になるということに躍起になるという思想であり


実はこれは
他者と現実において確実に出会うことができないゆえに
そのような本当の意味での精神力・対話力がないゆえに
妄想ばかりがひろがり
みんなが怪獣にみえるという

実は妄想の中で生きているという

そう妄想に生きるしかない
そういう現象だ

だから
妄想でもともと生きているから
世の中を嘘で固めても
それに気づくこともできない

歴史を嘘で固めても
タウンミーティングで偽装しても
ほかにもあらゆる偽装をしても

そうするしか生きる道がないという悲しい現象



国と京都市を訴えていますが
そのそれぞれの答弁書
国は
「京都市教育委員会が、具体名をあげてはずせと要請してきた。不正だった」
とのこと
京都市は
「ただ客観的事実を知らせただけで、内閣府が勝手に不正した」
とのこと

やれやれ


しかし
今の内閣も教育委員会も
悪い意味での宗教だわなあ