きぼう屋

生きているから生きている

国民投票法案反対

2007年04月18日 | 平和のこと
国民投票法案が衆議院で可決され
本当に5月3日までに成立しそう・・・

この法案は国民が直接意思を示すことが出来る
なんていう
きれいなものではなくて・・・

憲法を
戦争ができるように
「国」という枠で国民をまとめるように
変えたいがための
憲法改悪手続き法案
というのが本当のところ

この法案
実はよく見てみると
国民の25%の賛成で憲法を改悪できる仕組み
これって改悪したい組織の票でなんとかなるという仕組み

さらに
憲法改悪か否かをお互いにキャンペーンするのに
組織としてしてはだめということだけど
でもテレビCMはがんがんOKという
つまり金を持っているところが一方的にキャンペーンできる仕組み

さらにさらに実は
憲法改悪に反対する大きな組織は
すでに日教組が日の丸君が代問題で
憲法改悪に力を使えないように仕組まれ

法案によれば、自治労などの大きな組織の動きを止める仕組みがかっちりしているし

解放同盟は不祥事がどんどん明らかになるという仕方で
実は憲法改悪反対と叫ぶことすらできない状況になっており
というか
こういう時期だから、こういうことが明らかにされてきたという
とても政治的なことであり・・・
無論こういう不祥事はとんでもないことだが・・・

また貧しい人を増やすことで
自分の生活問題に集中させて
憲法どころでない!
と言わせるのも仕組まれている
と思ってしまうのは私だけか・・・

本夕は
あまりにあまりに悲しすぎることに
長崎市長が狙撃され・・・

憲法改悪に反対する政治家が
強烈に動きづらくなることは間違いなく・・・

なんでこんなにも憲法を変えたくなってしまうのだろう・・・


わたしは1970年生まれ
戦争が終わってから25年

最近よく考える
25年って、戦争ついこの前終わったというくらいの時だと・・・

私の実感としてみてみるなら
今から25年前
わたしは小学校6年生
つまり
修学旅行で細川たかしの「北酒場」を熱唱し
テレビはガンダムに夢中になり
まんがはキャプテン翼で
ちまたでは聖子ちゃんカットのお姉ちゃんがあふれ
といったような
これらはみんな
ついこの前の話であって・・・

もうちょっと考えると
わたしの人生を大きく変えた地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災は
今から12年前だけど
つい
ほんとについこの前のことで・・・

ってなると

戦争はおわってほんのちょっとで産まれたわたしが
戦争をヒトゴトにできるはずもなく
だからそこから産まれた平和憲法を簡単に変えることができるはずもなく・・・

とまあ
何が言いたいかというと・・・

わたしたちは
自分が実際に生きている70、80、90年くらいが自分の生きる歴史のスパンではなくて

ちょっと前でしかない25年
いやいや
きっと戦争体験者で良心的な方なら
62年だってほんのちょっと前のことだろうから

そういう範囲でのちょっと前の歴史から
同時にちょっと後の歴史
つまり
いまの子どもたちが成人し、さらにじいさん、ばあさんになるまでの歴史も含めて
そういう歴史のスパンのすべてが
わたしの歴史となるというような

つまり
この200~300年という歴史のいのちたちと
わたしのいのちが響きあうという
そういういのちといのちとの出会いを繰り返すという
真実のいのちの歩みをするならば

憲法を変えたいなんて思うはずもないのではないか・・・
と思ったりする

もっというと
いのちといのちとが出会い響きあうということ
そこに行き着く想像力があるということ
が欠如しているとき
つまり
自分とほんの狭い周辺、いいところ、国という枠の中に
(しかし「国」という枠にこだわる者は実は極めて自分とその周辺の枠しかないわけだが)
閉じこもり
閉じこもるゆえに
その外側がこわくなり
信頼すると言う事柄は
(だからもちろん愛するなんて当然)
忘れてしまうというか消えてしまい

自分が閉じこもっているという基準でもって
憲法をそういうものに変えたい
となるのではないか

だから
閉じこもり
国民を縛りつけ
さらに信頼できない者は排除するという
憲法にどうしてもなるという・・・

まさに
歴史がない
ということなのだろう・・・

なんか
根暗だよなあ

おっと古い言葉でありますが

いやいやでも
ほんのついこの前の言葉なのでありますよ