人権論の講義を本日の午前中にさせていただき、さっき帰ってきた。
思いのほか学生の反応がよくてびっくりした。
緊張していた表情が講義の終わりには何かに集中するあの独特の表情に変わっていくのを見ることが出来た。
と同時に
しだいに眠くなる表情とも出会うことができた。
どちらも、学生たちの応答として感謝するしかない。
しかしココ!というところでは
みんな寝ている学生も起きた。
こういうのも面白い。
私の講義の内容や講義法でもなく
学生の授業態度でもなく
学生と私が共有する空間と時間が何かを起こす
というところが学びの真実ではないか。
しかし体力がいるなあ。
かなり疲労する。
なにしろ
90分×2なのだ。
終わったら昼ということもあるが
肉と野菜とアイスクリームをえらく食べたくなった。
脳みそが「血をくれ」と叫んでいたのか。
講義は準備していたことと全く違うことを話しているというものになった。
初めて会う学生であっても
講義の中で具体的に対話があったわけでなくても
その講義を共有するというそれだけの事実が
その時に語るべきことを与えてくれる。
「名前」とは何か?
「名前」を見聞きするときに、共に浮かんでくる様々なイメージは?その質と量は?
「名前」を付けるという行為、呼ぶという行為の本質は?
「名前」が「記号」に成り下がってしまう状況とは?その歴史とは?
いろんな文献・資料からの言葉を用意していたけど
結局
話したのは自分の言葉のみ。
このあたりはすでに自分の言葉になっていたんだなあと
うれしく確認。
「名前」から人権を考える・・・
この講義は
年とる中で
いろんな出会いを経験して
ふと思い出すような
そういうものになったらいい
というものだから
学生の身体でも心でも魂でも
どこかに
そっと
でも
しっかり
ひとことだけでも
ひっかかっていてほしい・・・
さてさて
お見舞いしたい大切な方がいる。
出かけるとしましょうか。
思いのほか学生の反応がよくてびっくりした。
緊張していた表情が講義の終わりには何かに集中するあの独特の表情に変わっていくのを見ることが出来た。
と同時に
しだいに眠くなる表情とも出会うことができた。
どちらも、学生たちの応答として感謝するしかない。
しかしココ!というところでは
みんな寝ている学生も起きた。
こういうのも面白い。
私の講義の内容や講義法でもなく
学生の授業態度でもなく
学生と私が共有する空間と時間が何かを起こす
というところが学びの真実ではないか。
しかし体力がいるなあ。
かなり疲労する。
なにしろ
90分×2なのだ。
終わったら昼ということもあるが
肉と野菜とアイスクリームをえらく食べたくなった。
脳みそが「血をくれ」と叫んでいたのか。
講義は準備していたことと全く違うことを話しているというものになった。
初めて会う学生であっても
講義の中で具体的に対話があったわけでなくても
その講義を共有するというそれだけの事実が
その時に語るべきことを与えてくれる。
「名前」とは何か?
「名前」を見聞きするときに、共に浮かんでくる様々なイメージは?その質と量は?
「名前」を付けるという行為、呼ぶという行為の本質は?
「名前」が「記号」に成り下がってしまう状況とは?その歴史とは?
いろんな文献・資料からの言葉を用意していたけど
結局
話したのは自分の言葉のみ。
このあたりはすでに自分の言葉になっていたんだなあと
うれしく確認。
「名前」から人権を考える・・・
この講義は
年とる中で
いろんな出会いを経験して
ふと思い出すような
そういうものになったらいい
というものだから
学生の身体でも心でも魂でも
どこかに
そっと
でも
しっかり
ひとことだけでも
ひっかかっていてほしい・・・
さてさて
お見舞いしたい大切な方がいる。
出かけるとしましょうか。