きぼう屋

生きているから生きている

イースターな一日

2007年04月08日 | 教会のこと
イースターという一日を終えようとしており・・・
心地よい疲れを覚えつつ・・・
なんとなく終わってしまうさみしさを覚えつつ・・・

朝の最初のイースター礼拝
商売をしている仲間と一緒の礼拝
時間をきっちりしないと
開店準備に間に合わないから
いつもはちゃんとやるのだけど・・・
なぜか
わたしの話が長くなってしまって・・・
礼拝の最後まで参加できない仲間をつくってしまいました・・・

ごめんなさい・・・


朝のいわゆる通常の時間のイースター礼拝
青年たちによる聖歌隊讃美からはじまる・・・
喜びにみちた元気な讃美
復活はコレくらいドカンと始まるんだなあと感激しつつ

その次の会衆みんなでの讃美はいつもの倍の声が集まりまして・・・
青年たちが讃美に込めたものが共鳴したようでありました。

聖歌隊の讃美も心がこもっておりました。
ウチ
つまり京都教会の聖歌隊は
いつも不思議と見事な響きをかもし出すんです。
なんでだろう・・・
高校生から80歳近くの方までが一緒に歌うのですが・・・
心震える響き・・・
決して音楽的に上手いということではなく・・・
伝わる響きなのです・・・

わたしのイースター説教は
自分の中学校時代からの
自分の中に抱え込んできたいわゆるダブルスタンダードから産み落とされてきた
生々しい歴史を語るところから復活を語るという
大冒険をしまして・・・

妻に言わせると説教中の説教ということでしたが・・・

正直終わってみるとしんどいもので・・・

途中何度胸がつまり泣きそうになったか・・・
まだまだこういう話をするには修行が足りないことがわかりました・・・


なによりも感激したのは
イースター礼拝に参加し、喜びを分かち合うために
体調を懸命に整えて教会にひさしぶりに来ることができた
高齢者や病の方がおられたこと

主に感謝。
祈って祈って祈ります。

午後は鴨川河原で祝会

たくさん集まった子どもたちは
キャンディハンティング

青年たちがギターで讃美をリードしてくれて
みんなで讃美
「君は愛されるために生まれた」

輪になってみんなでゲーム

0歳から88歳までが一緒に祝いました。

そして教会としての企画は終わったけど
河原で残る人は残って余韻を楽しみつつ・・・
子どもたちはあばれつつ・・・

するとそこにいろんな人がなんとなく加わってきました・・・

荒神橋の下で生活するおっちゃん
長男の小学校の同級生家族
長男が保育園時代の同級生の家族
教会学校にきている仲間の家族
長男と同じ小学校に通う顔だけ知っている上級生たち
関西のほかの教会の青年たち

これまた教会のひとつの姿で
京都教会の特徴だなあと
感激しつつ

子どもたちの野球の万年キャッチャーをつとめました。

で、青年たちは

つい先ほどまでつるんでおりまして・・・
そうそうこれなんだなあと
うれしくなりました・・・


青年たちも教会をあとにし・・・

なんとなくさみしく・・・
でもうれしい疲れもあり・・・


青年たちがつるんでいるあいだは
わたしたち家族は
友人家族と夕食へ。

リラックスできるひととき。
これまたしあわせでした。。。


明日から次男が小学校へ。
はやいなあ。。。