Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

晩夏・道すがら

2011-08-31 22:00:16 | 自然
束の間に晴れ渡った午後、都下に住む女友達と武蔵野線の新小平駅で邂逅する。付近の西武国分寺線、鷹の台駅付近を流れる玉川上水を囲む疎林をまじかに佇む学舎の思い出話に相槌を打ちながら最初に目指す場所が小平市内にある森田ガーデンだ。新興住宅に侵食されるエリアながら篤志な地主によって守られている稀少且つメルヘンチックで和洋感覚のバランスが調和した庭である。季節を彩る花の群生が自慢の庭園は夏花と秋花がせめぎあう端境期だ。いささか叙情性を欠いているキバナコスモスの集落に点在する赤マンマや女郎花が大らかに青い夏空と親和している風情をしばし楽しむ。このガーデンの齎す美点は花壇臭くない野放図ぶりにある。


蕎麦店の「松根」もこのガーデン内で店を構えている。モダン蕎麦店というより質素な昭和風民家蕎麦店である。中高年女性で維持する蕎麦店へ紛れて入った時に危惧すべき要素は吝嗇(ケチ)である。鎌倉や京都などでの経験がそのような既視イメージを先験化させているが杞憂で済んでよかった。盛り付けは普通、蕎麦の味は手打ち蕎麦ではスタンダード、天麩羅種につかっているミョウガ、ゴーヤなども奇を衒ったところのない、旬への繊細な思いが効いている女性らしい小技の妙技を感じた。小粒な漬物達も冴え渡った味だ。花と緑を愛でながら適量な味わい深い蕎麦を嗜む。四季にはそれぞれ風景の利得を満喫できそうな都下の隠れ里に満足しながら、次に青梅街道を避けて青梅市・成木在のノスタルジックな風景を味わうべくクルマを走らせることにした。

金魚の新居

2011-08-26 08:05:48 | 自然
旧盆があけて益子付近をまわった頃から秋の気配を感じていた。その頃は幽かな気配なのに昨晩あたりは、その気配の嵩(かさ)が増えている。倉庫でPA機材の払底処分を目指して汗をかいていても、どこか噴出し方に抑制があるようだ。倉庫側に面した北向きの荒地では、早咲きのコスモスに赤トンボが羽を休めている。

8月の上旬に水槽内の水がヘドロ化しつつあった金魚を庭先に転がる火鉢へ引越しさせた。人が近づけば、餌をねだって水面を跳ねる金魚も、唐突で荒っぽい強制移住にふくれたのか?三年以上の仲なのに、そのご一週間くらいは底の方で警戒してプイと横を向いている。火鉢に溢れる水草を覆ってやりメダカを棲ませたいのが本音だが、容器としては合格でも深さの丈が足りない。水が冷え込む冬場に自然温度で越冬する為には、火鉢でも甕でも60センチくらいは欲しい。使っていた水槽はもう古いのか?どこかパッキンが緩んで漏水し始めていた。マンション生活していた頃にも金魚を飼っていたことがある。裏の保存里山に棲む絶滅種になっている「ほとけどじょう」も掬ってきて越冬させたこともある。その頃は自分で「駄金」と称していた和金より上等の種類を飼ったことがあるが、壮年期の仕事優先生活で目が配れずによく失敗したものである。

日向へ移ってからは水道水の質が上がったせいか、放任主義が効を奏したのか、三年以上たっても「駄金」は丈夫である。亡き家内が鼻に挿していたカニューラと同じビニール状のエアポンプで少量の酸素を補給してやれば元気に泳ぎまわっている。近在に住む妹は無類の片付け魔でなんでもよく捨てる。金魚の仮住まいとなった山水画をあしらったこの火鉢も捨てる寸前にもらったもので、しばらくはよく干した水を補給してやれば、これからの秋冬には住まいとしても似合うしお洒落ではないかと自賛している。

益子的

2011-08-22 13:25:51 | 旅行
いちばん手前の唐辛子が顔をだしている茶色のお猪口が愛知県の常滑焼。猪飼真吾作の真焼という常滑独自スタイルになる細かい窯変の塵模様のような即興的肌合いに見所がある。背後の大ぶりな湯呑茶碗の3点は、購入した時が数年ごとにずれた自分で「益子的」と評しているお気に入りのふだん使いだ。

左のグレーに化粧掛けした茶碗は山口陶器店で昔買ったもの。絵柄がなく素地に潜んでいる無骨な土の粗さ、腰の張った高台への稜線は益子の風土が育てた気脈を感じる。このようなさりげない力量を醸す陶器が1000円台で売っていないことと、探し出すことが至難になってしまったのも益子の退廃と退嬰があるのかもしれない。真ん中は灰釉の肌にざっくりとした鉄絵をラフに流し掛けた湯呑、これは「つかもと」の一般販売品で見つけたなかなかの逸品だと思う。

右も数年前に「つかもと」で見つけた黄瀬戸風に薄く化粧した粗い地肌へ一筆で鉄絵を刷きおろしした模様が気にいったもの。こちらは外貌の風流に反してでこぼこの地肌が、異物感を与えて使用感はよくない。どちらも煎茶用に使っている。柿釉という茶色を彩色した伝統益子作品も最近の一般品で風流や格調に富んだ無名の良品に出会うことは、稀になってしまった。

酷暑の益子旅で生活に彩りを添えるスタンダードな陶器類に5割の視線を注ぐ!後の5割は青空に行き交うオニヤンマ、揚羽蝶、睡蓮鉢を泳ぐメダカ、これらの小さな生物の祝祭と町を覆う溢れかえる緑を吸い込めば、益子行きの目的はそれなりに達成されてしまうことに気がついた。

益子の夏 

2011-08-19 17:32:22 | 旅行
ここ2年半ほど訪問していなかった間に益子も茨城沖や東北大震災による数回の地震被害にあったと噂を耳にしていた。その被害は想像できないけど散乱した陶器類の片付けに苦労している人々の苦慮が想像できた。クルマを走らせて内陸の益子へ至る茂木や那珂市の町並みは何事もなかったように、延々と続く広大な田圃にだいぶ育った稲穂をそよがせていていつもと変わることのない夏景色である。しかし目を家々の屋根に転じてみれば、そこかしこに崩れ落ちた屋根瓦の修復風景が半年近くたった今でも見えていて、益子町へ入っても事情は同じようだ。

旧盆明けのシーズンオフのせいか益子の町並みは閑散とした空気で、観光バスも共販センター内で見かけることはなく生活雑器のような陶器でもゆっくりと物色できる利点が大きい。盆地で暑いと云われる益子だが、背後の低山の溢れる緑は蒸し暑さを鎮めてくれる。日陰に入って時折汗の肌を通過する微風の冷却効果は抜群である。掛け流しの釉薬が垂れる大きな甕や睡蓮鉢の道端に転がる風景は遠路を益子までやってきたという旅情を高めてくれる。「つかもと作家館」を細かく見学すると益子を知らしめた大家の作品も中堅、新進陶芸家の作品が網羅されていて、益子の現況をしることができる。

今回のお目当ては作家館、益子陶芸メッセの各展示館、益子参考館などを軸に、一般陶器販売店を見学することだ。臨時休館の参考館は見学できなかったが、他は益子らしさを満喫できた。かっての大家の凄さをあらためて実感、中堅クラスの低迷、新進のクラフト志向と幼稚志向(カジュアル化)への二極分裂、トータルの印象は益子の相対的低迷である。これは多分、日本の陶器を売っているどこの町でも同じことだと思っている。
一般店に溢れかえる駄もの陶器から益子の片鱗をうかがわせる愛すべきDNAを感じた何品かを買ってみた。鉄絵の縦縞湯呑、糠釉の片口、シンプルな円模様が大胆な小皿、灰釉の土瓶、次回はこれを紹介したい。

偶然、駅前で。。

2011-08-16 16:04:41 | その他
田舎に住んでいるのに田舎がないせいもあるのだろう。旧盆の頃は近くの集落が動いている気配を感じる。ひきかえて自分は無聊な気分に囲われてまわりの夏雲の移ろいを眺めていたりする。親しい友人とどこかで落ち合う約束をしていたが、この猛暑に腰が引けて午前中に取りやめた。午後になって急に散歩がしたくなって小田原の町をあるくことにした。スクーターを走らせていると、近在の農家では玄関と道路の境目付近に旧盆用のお飾りグッズが軒並み連なっている。晩になればそれぞれの軒先で小滞在した祖霊を送り火で送り出し、夜道を照らす楽しげな習俗の光景が浮かんでくる。

急行電車が新松田を過ぎると小田原は間もない。駅前の路地へ入って遅い昼飯を思案していたら背後で呼び止められる。
なんと半年ほど顔を合わしていない横浜のギタリストOさんだ。
Oさんは70歳を優に超えている。そのOさんが自転車装束できめている。はるばる横浜の栄区から40数キロの距離を踏破してきたらしい。昨年の今頃、大船にある鎌倉藝術館の前にある路面カフェで雑談したときの印象では血色のいい顔色が残っていた。秘訣は休日ごとに湘南地方の自転車散策にあったのだ。小田原といえば小田原城のお堀に面した、小田原で一番小さなカフェの「ケルト」のことを自分のブログで紹介したことがあった。Oさんはすでに「ケルト」も自転車散策の寄り場にしていたらしく、すぐに反応をいただいたことがあった。

ちょうど昼飯も兼用できるカフェを捜していたと応えたらすぐに一昔前のコーヒー専門店風な店が良いと案内され、雑談をすることになった。自分はハヤシライスのコーヒーランチにする。すでに昼を終え、「ケルト」にて美味いコーヒーも嗜んできたOさんの注文は氷あずきだ。氷あずきをつつきながら、Oさんがお得意なスマートフォンの使いこなしについてしばし耳を傾ける。流行のフェースブックとも一味異なる「Qボトル」なんていうものを進歩的なOさんは、上手に使いこなしてコメントのサンプルまで見せてくれる。Oさんの話を聞いてようやくipodとipadの違いが分かるようになった。

70?才恐るべし!という実感を深めた即興的小田原散歩の午後になったようである。