Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

ベン・シャーン展の幸せ

2012-01-27 21:15:28 | その他
雪が積もった翌朝、都内、鎌倉、横須賀に住む友人たちとしめしあわせてベン・シャーン展にでかける。内陸の伊勢原付近で舞っていた小雪も保土ヶ谷バイパス付近を走っているとあとかたもなくなっている。逗子インター、逗葉道路経由で葉山・一色海岸沿いにある神奈川県立近代美術館・葉山館が目的地だ。まだ結婚前だったが、亡妻は横浜の繁華街に面した実家の一角で画廊喫茶を開いていた。実家の和菓子舗の軒先を借りていた関係でその名も「こづち画廊」と称してアマチュア画家の企画展等を開いていた。現代思想や戦後文学等への造詣は自分の方が小生意気にもブッキッシュだったが、現代絵画については亡妻が接触していた人脈から得た知識を「門前の小僧習わぬ経を読む」風に咀嚼しながら色々な画家が齎す表現と風合いを覚えていったものだ。ジェームス・アンソール、デビュッフェ、ホルスト・ヤンセン、フォンタナといったモダンアートの範疇に入る画家を知る過程でベン・シャーンの画業も断片的には知っていた。

ベン・シャーンは20世紀の境目付近に生まれて192~30年代からリトグラフ、写真、グラフィックデザイン、絵画の諸分野を横断する仕事を重ねた人だ。今度の展示会はその軌跡を丁寧に追いかけた素晴らしい企画だと思う。写真家の江成常夫展を東京都写真美術館で観覧した直後にネット上でどなたか見識に溢れる人のブログを読んだ時の言葉を思い出す。「石原都政で唯一の善政は江成常夫展を実施できる写真美術館だ。。」たしかそんな趣旨だったが、なんだか捉えどころのない黒岩知事を擁する神奈川県も同様な無意識的な善政を施しているものとベン・シャーン展に行ってみて感心した。

海辺の静かな美術館に一時的に収まったベン・シャーンの膨大な画業から寄せてくる大きな感動を一言で言い表すのはとても困難だ。ユダヤ人移民の子で差別、貧困、大不況、戦争が日常茶飯だった20世紀半ばのアメリカで鍛え抜かれたベン・シャーンの視覚はどの作品もハードボイルドに対象を図太く射抜く。1930年代から頭角を現して後に活躍する写真家のウオーカー・エバンス、ジャズ写真で有名なウイリアム・クラクストン同様、対象は都市に這いつくばって生きている下層労働者、中西部の貧農、路上を遊戯場にする子供、荒涼とした都市建築物や田舎道の景観、どこにもアメリカの雑味成分なブルース感覚が溢れている。若年期からアメリカを感じる自分の三大アーティストである文学のヘミング・ウエイ、ジャズのスタン・ゲッツ、画家で写真家でもあるベン・シャーンにはいつも畏怖を感じてきた。晩年の叙情とアブストラクトを両義的にハーモナイズしたリルケの「マルテの手記」を素材にした詩的絵画の一群をまえにして思わず心の中に嗚咽が走ってしまった。「星屑とともに消え去った旅寝の夜々」などという美しいタイトルを見てしまったら、今宵はビル・チャーラップトリオやレスター・ヤングが奏でる「スターダスト」でも聴かずにはいられなくなってしまう。


雪景色

2012-01-24 11:50:17 | 自然
いつもの戸外労働をする担当場所の水はけがとても悪く、昨日は悪戦苦闘、作業着も長靴もまとわり付く粘土質の泥でいくらふりはらってもおちない。パラついてきた午後の雨で泥まみれ作業は早上がり、室内で発掘土器のカケラをブラシで水洗いする作業に動員される。大小さまざまなカケラの多くは古代人が日用雑器で使った赤茶色の土師器の類。洗って並べられた土器の色は微妙に鮮やかだったり、煤けていたり、用途を度外視したユーモアと孤独が漂っていてパウル・クレー的構図に通じるものがある。たまにその中に黒灰色で薄い肌の固く焼きしまっている須恵器のカケラを見ることもある。古代における技術革新が生み出した陶器だ。ちっぽけな須恵器のカケラにも形を意識する作り手の内圧感が伝わってくるから不思議だ。やはり宗教祭礼用具として作られた須恵器が後に備前・常滑あたりへ繋がっていく藝術的必然性を小さなカケラからも教えられることに。
夕暮れから強くなった雨足は深夜に雪になったようで、今朝の日向を囲む山々は一面の雪化粧。家からの視界に馴染んでいる竹林、樫、もち、欅、大きな古木の梢は雪に覆われて光りも白い。今日の雪を予感して週休日を申告して帰ってきたが、本日お目当ての三浦半島で開かれているベン・シャーン展へは滞りなく向かえるのか?クルマや庭の雪をはらいながらそわそわする一日の始まりである。



2月11日はいつもの真空管アンプとビンテージスピーカーでジャズを聴く会 

2012-01-22 14:32:21 | JAZZ
好きなCD/LPを持ち寄って聴く会を昨年の晩秋から始めて今度が三回目になる。西独時代のELACプレーヤーMIRACHODEもバリレラ針を得て冬場も絶好調だ。
今回は2月14日の「聖バレンタインデイ」も近いことがあって超ベテランリスナーの代表みたいな桜井さん、佐々木さんが少しこなれて傍流にあるような「マイ・ファニイ・バレンタイン」でも持って来られそうな気配がする。自分はLP時代に収録されて没になっていた曲がCDになってボーナストラックとして甦った佳曲を何曲か紹介したいと思っている。

2012年2月11日(土・祝日)13時~17時 

会場 日向薬師音の隠れ家居間

交通 伊勢原駅北口発 神奈中バス日向薬師終点下車1分

会費1000円 (珈琲・紅茶飲み放題 ケーキ・お菓子付き)

定員15人




冬夜の温もり

2012-01-18 19:54:15 | JAZZ
厳寒の戸外で肉体労働を二日続けて今日は休み、ゴム長靴の先を伝わってくる地面の冷気のせいで右足の薬指にシモヤケができて痒くて痛い。あれだけ恐れていた腕の筋肉痛は繰り返す鍬による土剥がし作業で馴れてしまったようだ。傷みらしき自覚もない。初老期から壮年期の腕力を二ヶ月で取り戻したようで最後の拠り所は肉体しかないと思っている今後に微かな曙光をもたらしている。他人へは粋がって「有償筋トレ」などと称していたけどまさしく「筋トレ」にちがいない。朝の寝床で東の方の山の際から顔を出す太陽の光りを眺めていたら、休みを申告してしまったことが悔やまれていつもの休日より早めに起き上がる。
先日どんど焼きをした広場から眺める日向の山すそに広がる棚田の景色は一面の枯野だ。それでも雑木林を掠めてくる太陽光には春の諧調が含まれているような気がする。借家の敷地内の蝋梅がねっとりと重い香りを放っている。年が変わって綻んだ蕾がゆっくりと地味に開花する模様は枯れ景色の中の救いである。水仙、菜の花、梅と続いていく春への兆しを最初に伝える嬉しい花がいつもの蝋梅だ。
オフ日といっても安閑としていられない。ネット販売の機材をパソコンでだらだらとアップしていたら弱い冬の陽はすでに山の方に隠れている。ロールパン、珈琲、キウイとりんごのヨーグルト和え、丸大食品の不味な茹でウインナを二本という遅い昼食を摂っていたらすでに夕暮れになっている。町田か横浜市内への散歩も目論んでいたが、けっきょく時間切れになって外出は控えることに。
暮色が立ち込めて冷気が強まってきた。でかい音で暖をとるしかないと思って最近入手したCDをいつものフィッシャーKX-200真空管プリメインアンプとデッカのスピーカーで鳴らす。
TONI SORA&IGNASI TERRAZA TRIO NIGHT SOUND スペインの若手ジャズメンによるワンホーンアルバムだ。ブルーノートにはスタンレイ・タレンタインがまったりとブルースを吹くBLUE HUOR という名盤があるが、さしずめこのNIGHT SOUNDはBLUE HOURの現代ジャズバージョンみたいなもの。ピアニストのIGNASI TERRAZA この人のピアノがよい錘を作っていて同じスペインのピアニストで若き日に相当聞いたテテ・モントリュー的流儀を持っているのにおしゃべりピアノでないところが素晴らしい。TONI SORAのテナーサックスはグラント・スチュアートやハリー・アレンに通じるジャズの伝統保守主義の良き芯を体得している若手だが、この二人が醸しだすコンビネーションは涙ものだ。
スタンダードの「You've Changed」クインシー・ジョーンズの作った沈鬱な名曲「Quintessence」冬の夜半に温もってくるペーソスに溢れたこの二曲を何度も何度も聞き返していたら時計は早10時を廻ってしまっている。

日向の道祖神まつり

2012-01-14 19:49:58 | その他
隣地と白髯神社の土手にたぶん江戸時代後期頃に作られた石仏が祀ってある。小高い斜面に弱い冬の光りが射してカップルとおぼしき道祖神は顔の造作も見えないのにいつも幸せそうな表情をしている。近所に住む方に尋ねたらこの道祖神は昔は日陰道の方に祀ってあったとのこと。

古くから日向の山里集落に住む人々は、この道祖神を讃えて新年の最初の伝統行事を行っているらしい。旧年に各家庭、日向薬師、神社で使った注連縄、松や竹、絵馬、だるまといった縁起物のアイテムを一同に集めて来てこれを広場で火にくべる、いわゆるどんど焼きを行う、それがたまたま本日行われた。ひとしきり威勢よく燃える炎の加減を眺めながら集落の人々はお神酒などを酌み交わして新年の豊作と健康を祈願するのだ。

火勢が一段落したあとは、竹ざおの先端に紅白の串団子をホイールに包んでくべて温める、昔ながらの楽しげな習俗も見られる。戸外の気温は8℃、広場を通り抜ける風は冷たいが、焚き火の周りを伝わってくる予熱の温もりがとても気持よい。里山の真似事生活を始めて丸四年、新参者としてどんど焼きを体験する貴重な新春を迎えた。