Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

9回裏のさよならヒット風

2013-02-22 10:29:16 | クラシック
レコファンの町田店があと三日(24日)かぎりで閉店になる。ここが撤退すると町田散歩の折に中古CDやLPを物色できる店はなくなってしまう。またささくれ立った無味乾燥の郊外タウンへと加速するのかと思うと淋しくなってしまうものだ。ユニオンもあるのだが、こちらはジャズ系が殆ど死に体の様相でどんどん売り場が小さくなっている。

メダルト・ボスあたりの「現存在分析」を一知半解に通暁した視点で、隣り合っている客を「現存在分析」すると、その顔相や骨相はいかにもクラブジャズ乃至半グレならぬ半ジャズ相貌めいた町田風類型を感じる。デフレと非消費性向、おまけにダウンロード社会の加速現象という社会変化もある。店側の苦慮も半端じゃないと思う。たしかにターミナルにひしめいている相当数の若者にはJポップファンはいても、ジャズ系などは極小なのだろう。単価も低い。売り上げは多分前年割れに間違いない。一人前の高い賃借料も想像できる立地だ。こう不景気ではでかい面積など維持できるわけがない。悲鳴が聞こえてきそうである。そこで元零細社長は効果は無理だけど一助になればという気持を抱いて最後の餌漁りとコーヒー粉の特売品の買出しを兼ねて町田へ向かう。

やはり期限をビルの入り口で表示しているPOP広告のせいか?平日にもかかわらずお客はどのジャンルにも多い。レコファンではLPのレア盤を発見するのは難しい。ジャズにしてもクラシックにしてもその多くは国内プレス品だ。たまに海外盤が混じっているが、それも1980年代以後に発売されたジャケ裏にPOSコードのバーがプリントされた再発品である。とうぜん魅力を感じないものだから、足早に通過することが多い。

CDに関してはインポート盤の在庫にも力をいれていたせいか、けっこうよい買い物ができたと思っている。閉店告知を見てから三回ほどやってきてもCDではどちらのジャンルにしてもよい収穫に恵まれている。最近では国内のTDKが発売した古楽器チェロ奏者、鈴木秀美が演奏する「ドメニコ・ガブリエリ チェロ作品全集」などが代表例である。新しく到着した古いバイタボックススピーカーでよく聴いているこの中の「無伴奏チェロによるリチェルカーレ」第2番等はレコファンの気まぐれ徘徊が招いた最良の出会いと思っていつも感謝している。さて補充に力が入っていない様子のジャズコーナーを諦めて、いつもパスするクラシックLPコーナーをめくってみた。バッハやベートーベンのLPはボックスものを含めて在庫の数も多い。気力は減退気味ながら、ふと目を止めると、よく目につくありふれたCBS発売ではないグレン・グールドのコロムビア盤が現れた。

これは珍しい。バーンスタインが指揮したベートーベンのピアノ協奏曲第4番だ。それもモノラル録音の方である。年譜を調べていないが、相貌から推測するとグールドがブラームスの間奏曲集(インターメッゾ)を録ったころと同じ肌艶の張り具合である。1957年頃だろうか?バーンスタインも若い。コロムビアはステレオ導入が早いが、この頃はモノとステレオ盤を別々に発売していた。このLPはコロムビアのモノラル表記であるML5662が印字してある。スタンプはグレーの6アイズで、溝の彫りもあるから正真正銘のモノラルということだ。

よいLP収穫には恵まれなかったレコファンだが、定価を1680円に付けている。まんざら無知な鑑定ではないが、都心のすれたレコード屋さんならこの盤質程度で5000円は付けるだろう。野球で喩えると9回2アウト、ランナーを二塁に置いて三遊間に強襲安打を放ったみたいな快感である。さらば町田レコファン、機会があったら渋谷や大森にも行くからね。という境地である。

立春の空気

2013-02-04 14:15:57 | クラシック

二十四節季の「立春」を迎えた。旧暦の「如月」に替わってこの三日間はだいぶ空気も和らいできた。夜勤の早朝仕事で短い時間ながら戸外に出ることがあるが、正月明けの頃とは体感温度が違っている。座間の部屋も最初にストーブを点ける時のセンサーの感知気温が14℃くらいにまで上がっている。「大寒」の頃は9℃だった。防音施工してあるマンションの気密性にたすけられて、この冬に使った灯油は18リットル缶がたった二本という嬉しい省エネ結果になっている。日向薬師時代は同じ時期は5℃くらいだった。このまま春を迎えてくれたら嬉しいが、そうは問屋が卸さないところがお天気のきまぐれというものである。これからまだまだ雪の日があったりするのだろう。久しぶりにミケランジェリのドビッシーが聴きたくなって前奏曲集の1・2などをバックに古本屋で購入した買い置き本を読み進める。ついでにボードレールの「悪の華」をピエール・ブランシャールが朗読しているアシェッテ盤のLPレコードでも聴いてみようとたくらんでいる。

古本の中には堀江敏幸の「雪沼とその周辺」(2003年新潮社刊)という少し前に出て話題になった短編集が入っている。どこか田舎の架空の町とそこで生きる時流の職業からずれた人々の淋しげな日常描写と温度感の伝わり方に温もりが溢れている優れた短編集だ。これを読んでいたら、「レンガを積む」という短編のタイトルにふと目がいった。スピーカーの設置をめぐる対策レンガの話である。同じ次元の話ではないが我が身にも話が及んできて、気に病んでいることがまた浮上してきた。

デッカ・コーナー型スピーカーの再生音が日向薬師時代の水準に達していないことをやはり感じる。余って膨らんでいる低音が部屋の中をループしてボンついている。そのせいかピアノなどの硬い高域成分がどこかうるさく感じることが多い。システムは同じものでこうも平凡な再生音ではしょうがない。ピン・ケーブルやスピーカーの位置の変更などで対策をしてみるが、いまのところミケランジェリのもたらす天才的な「鬼気」や「静謐」の真髄を感じる手前を彷徨っているような残念な状況が続いている。それでも二月の半ばにやってくる同じ英国はバイタボックスの古い小型スピーカーと我が家にてやや低迷しているデッカスピーカーとの聞き比べが実現できることが昨日決まって楽しみが一つ増えた。ミケランジェリのドビッシーはそこでまた出番がきそうである。

雪景色

2013-01-14 12:56:53 | クラシック
冷え込みが緩い早朝だと思って寝室のカーテンを開けたら雨が降っている。これに大粒の霙が混じっていたが、しばらくすると案じていた雪に変わってしまった。初雪である。昨日は母親の臨時外出の希望に応えた。半日程度の座間滞在だが、過度の心配性による抑制なき繰言の多いことは相変わらずだが、認知症めいた言動は90歳を経た今もない。食欲は施設の効率的な合理主義メニューと相反したものを巧みに思案して希望するところがいかにも母らしい。食うや食わずの戦後時代に、晩ご飯のおかず代に窮していても、好きな市川歌右衛門や月形竜之介などが主演した時代劇の映画見物には出かけていたという狡知は今でも失われていないようだ。ありあわせの材料で作ったお好み焼き、残った肉じゃが煮、黒糖入りのパン、ネーブル、つぶ餡のよもぎ団子、量は控え目ながらも平均的になんでも嬉しそうに口にする。生きている証しなのだなと思う。好き嫌いをしないこともやはり長生きの秘訣なのだろうか。昨日襲ってきた母の毒気を拭おうと、今朝は北側の部屋を温めてから、静粛にLPを聴くことにした。

結露した硝子窓の外側にある広場はすでに雪が積もっている。西の方から吹き寄せている雪を眺めていたら、珍しくグレン・グールドのピアノが聞きたくなった。昔、鑑賞したCBS制作になるレーザーディスクビデオのパンフにハンチングを被った冬装束姿でスタインウエイのピアノ倉庫にピアノを物色訪問する彼の写真に魅せられたことがある。雪の午前にふさわしいLPを物色してみる。発売当時に、今は早稲田で建築学の教授をしている鈴木了二さんから薦められて買ったハイドンが晩年に作った「6つのピアノ・ソナタ」のほのぼのとして透明な旋律のイントロが脳裡をよぎった。グールドのLPはバッハからワグナーまで30数枚ほど所有している。しかしハイドンのピアノソナタはその一群では見当らない。引越し後の未開封荷物に入っているのか、30数枚にはダブルジャケットLPの該当品がない。しかたないから、70年代に収録したバッハの「ビオラ・ダ・ガンバとハープシコードの為の3ソナタ」を聴く。チェロのレナード・ローズとの競演だ。これは新譜で買ったLPだ。

当時は横浜郊外にあるマンションが生活の場だった。マイクロの砲金製ターンテーブルにシュアーのカートリッジ、JBLかTADの大型15インチ3ウエイスピーカーでよく再生したLPである。物量的には当時の方が上にもかかわらず、再生音は古風装置に輪をかけた現用システムのほうがより鮮烈な臨場感に溢れていることが、なんとも皮肉なことだと思う。ローズの正鵠な匠風セロ奏法に比して、グールドのピアノはなんとも異形で破風であることが競演ものでは際立ってしまうようだ。そこでセロニアス・モンクを聴くような姿勢になってグールドらしい、トリッキーなデーモンが迸っているソロ演奏にしばらく浸ることにする。

1955年の有名な処女作LP「ゴールドベルグ変奏曲」のすぐあとに収録したベートーベンのソナタ集だ。23歳のグールドがピアノに向かって惑溺している肖像のモノクロジャケットはダン・ウエイナーの傑作写真を使っている。グールドの全LP中で一番好きなデザインが、もう少しあとの「インターメッゾ」とこのベートーベンのモノラル盤である。幸いにも自分が持っている初出のモノラルLPはDJコピー用に配布された非売品のサインが入っている。このソナタ集をいつも聴く時の私的段取りだが、いちばん濃いデモンが迸っている作品32でグールド性に浸ってから、逆に平穏な作品31を聴くことにしている。イントロのモデラート・カンタービレなどは、以外や雪景色の背景にも合うものだと改めて思った。

レトロな午後

2012-04-20 20:48:30 | クラシック
四月も半ばを過ぎているというのに朝晩の冷え込みがきついが、南の部屋へ射しこんでくる光りは柔らかく春である。火鉢の中で飼っている二匹の和金も餌を投げ込むと水面へのジャンプが力強くなっている。

優雅さには程遠い労役から解放されて久しぶりの音楽時間がやってきた。いつものフィッシャー製真空管アンプとデッカのスピーカーで聴く一曲目はたまに引っ張り出すアンヌ・ビルスマの弾くCBS版バッハの無伴奏チェロ組曲第6番だ。「アルマンド」あたりからスタートすれば午前の柔らかな光と溶けこんでちょっぴり鬱屈した気分を鎮めてくれることに希望を託すことに。

魂の沈静作用は3~4分程度の「クーラント」「サラバンド」「ガボット」「ジーク」へ潜り込む過程でいつもながらのように心に点滴をもたらす。その作用は和洋の隔絶にも関わらず「般若心経」を唱和するような気持と同根な感情を味わうのもバッハがもたらす不思議な普遍性の一つだと思っている。

午前中のバッハタイムが終わってコーヒーで一息いれていると近在に住むKさんが約束時間にやってきた。アメリカ製ヒースキットのプリアンプの不調がようやく治ったとの朗報だ。治ってきたヒースキットとKさんが自作した入魂のパワーアンプを持ち込んでデッカのスピーカーを鳴らしてみる。これは正解だ。先日来の硬く高域に寄っていた音調がもっと中音の美味しい領域を拡大してKさんの家で聴いた印象とは違っている。
Kさんの作ったパワーアンプはRCAの71Aという直熱三極管でそのパワーは1ワットにも満たない。1W弱のアンプがデッカのコーナー型スピーカーをとてつもなく朗朗と豊かに鳴らすことに驚く!ヒースキットはペケかと危惧していたが、かって聞いたことのある同時代のマッキントッシュのプリアンプC-8などにも優るとも劣らないことがKさん自作のアンプとの組み合わせて実感された。

これは好きなボーカル、それもこれらのアンプやユニットと同じ時期に収録されたものを聴くに限るという結論にお互いが達した。マキシン・サリバン、ペギー・リー、マリーネ・ディートリッヒ、4~50年代の懐古な空気は色濃く流れるのに声のニュアンスはリアルで隈取はあくまで鮮明で近頃聴いた音では出色な再生音だ。
これは日向の家に同好の人々を呼んで、このシステムで好きなボーカルの会を開くしかないね。というKさん共々の結論になって5月半ばに今日二人が聞いたシステムを再現する会を開くことになった。





LP熱再燃

2012-01-09 13:11:49 | クラシック
新年の遺跡バイトも5日から始まった。雲の隙間からほどよく太陽が射しこむ天気の日が多く戸外労働にはちょうどよい。あまりに快晴になると今度は北西からの冷たい風が肌を刺すことを体験的に知っているからだ。新年早々に削りとった土が次々に湧いてくるみたいでその膨大な量の処理作業に辟易としていた矢先に三連休が始まってくれて安堵する。

昨日は川崎在のHさんがモノの受け取りを兼ねて日向にやってきた。七沢温泉郷にある立ち寄り湯にも一緒に足を伸ばすことにした。ポピュラーな七沢荘の駐車場を覗いてみたがクルマの数がいつもの数倍もあって敬遠して「玉川館」を選ぶ。よく手入れの届いた木造建築の風格は界隈では一番の宿だ。内湯だけのコンパクトな浴室だけに素っ気ないが、ヒバだかヒノキだか分らない木製の浴槽が素晴らしく身体に馴染む。泉質はとろっとしてぬめりが強い七沢温泉独自な薬効を感じさせるもので湯船に浸かっていると一挙に温泉気分で安らぐ。館主は我々みたいな有象無象の立ち寄り客にも礼節のこもった挨拶で送迎するところがはい!一丁上がりといった「七沢荘」あたりとの客あしらいの違いだろうか?枯木立に沈む夕暮れの「玉川館」を眺めてまた寄ってみたい好印象を抱いた。

温泉のあとは自宅の居間で12月に不調だったドイツ、エラック社のアナログ・プレーヤーをHさんにみてもらう。こちらが気が付かなかった裏にある電源配線の端子の外れを締め付けてオートマティック動作が見事に復活した。ついでに12月の再生音で気になっていたシュアーカートリッジとの相性の克服を図る。何か音がほぐれたりないという粗野感を感じていたからだ。借りていたトーレンス150につけていたGEのターンオーバータイプではないバリレラカートリッジ、これが特別に素晴らしい。これをつけるしかないと確信して自分だったら失敗するリード線の微細な端子へのモノラル配線変更をHさんにお願いする。エラックのシェルは専用タイプで難敵だ。ハンダ処理をHさんにお願いして時々、右チャンネルの音が出たり出なかったりした症状もついでに対策をしてもらう。謝礼は米国盤のダブリ買い置き未開封LP「ケント・グレントリオ」にて勘弁してもらった。所要二時間の甲斐あってエラック「ミラコード」は復活!バリレラのモノラル針にふさわしい50年代半ばのLPがいい。ふだんは埋蔵材でしかないクラッシックLPの音がデッカのコーナー型スピーカーとマッチして人が変わったみたいに響く。20センチという狭小ユニットの限界を曲折したボックス内のロードと箱材の共鳴を利用して豊かな音場を企図した開発者の感性に大いなる拍手をおくりたい。いつも言う70年代の悪しきオーディオ剛性思想の囚人になった人びとには理解できない世界だね!Hさんと呟やきながらほくそえむ。

悪戯でひっぱりだしたアメリカハイドン協会でプレスしたハイドンの弦楽四重奏全集、これはシュナイダーカルテットの演奏だが、作品103をしばし聴く。ニュートラルで明晰なハイドンの曲としては珍しくロマン的心情の破片が散在する12分程度の小曲ながらこれにHさん共々陶然とする。これをきっかけにエンジェル盤のピエール・フルニエのシューマン「チェロ協奏曲」など次から次に古典愛聴盤が登場。再賦活したアナログプレーヤーを武器にしばらくはまたまたLP熱が再燃する気配の新春になってしまった。