Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

織部と筍煮

2012-04-29 14:07:16 | 
24時間とおしの勤務が明けて日向の山里へ戻ると時計は9時を廻っている。ゴールデンウイークはこれを一日おきに繰り返すと聞いて腰が引けたが、途中にある深夜仮眠で熟睡できたせいか、帰ってきてもなぜか睡魔がやってこない。

借家の敷地は日向薬師の参道に直面している。篤実な家主さんは季節ごとにこの広い敷地に気を配っていて、この冬場には繁っていた竹薮を間引きして積みおきしていた竹の廃材もどけてくれた。おかげで日向薬師へ向かって歩き始めた所に鎮座する江戸時代後期頃の石仏がとてもよい視界を我が家の窓辺にも提供してくれるようになった。

近場のハイキングにはこの付近を歩くのが絶好と思っている人も多いみたいで、GW初日の晴天に恵まれた今朝は鶯の声に混じって人の声も頻繁に聞こえてくる。整理した竹林の竹の子がそろそろ気になってきて地面をためつすがめつしていたら、ちょうど堀り応えのよさそうな中型の竹の子を三本も見つけた。さっそくシャベルにて掘り下げて朝の収穫にする。柔らかな筍を堪能する調理といっても鰹節の出汁で煮こむ母親料理以外のメニューが思いあたらない。皮を剥いでしばらく茹であげることに。掘ってからすぐにに茹でるせいか、灰汁の泡もあまり浮かんでこない。
茹で上げた筍を輪切りしてまっとうに取った鰹出汁に醤油、清酒などで味付けを重ねる。正統派の柔らか極まりない筍煮つけができあがった。筍煮を生かす容器はなにがよいものか?思案していたら、しばらく使っていない美濃地方の現代作家の手になる織部の角向付が思い浮かんできて取り出す。昔、多治見でレンタカーを借りて荒川豊蔵がその昔、発掘したという黄瀬戸の出所でもある大萱付近を廻ったころの購入品だ。
そういえばあの時分にも、山沿いの川ベリでは、山吹の花が垂れていたことを織部に収まった筍煮をつまみながらふと思い出す。

レトロな午後

2012-04-20 20:48:30 | クラシック
四月も半ばを過ぎているというのに朝晩の冷え込みがきついが、南の部屋へ射しこんでくる光りは柔らかく春である。火鉢の中で飼っている二匹の和金も餌を投げ込むと水面へのジャンプが力強くなっている。

優雅さには程遠い労役から解放されて久しぶりの音楽時間がやってきた。いつものフィッシャー製真空管アンプとデッカのスピーカーで聴く一曲目はたまに引っ張り出すアンヌ・ビルスマの弾くCBS版バッハの無伴奏チェロ組曲第6番だ。「アルマンド」あたりからスタートすれば午前の柔らかな光と溶けこんでちょっぴり鬱屈した気分を鎮めてくれることに希望を託すことに。

魂の沈静作用は3~4分程度の「クーラント」「サラバンド」「ガボット」「ジーク」へ潜り込む過程でいつもながらのように心に点滴をもたらす。その作用は和洋の隔絶にも関わらず「般若心経」を唱和するような気持と同根な感情を味わうのもバッハがもたらす不思議な普遍性の一つだと思っている。

午前中のバッハタイムが終わってコーヒーで一息いれていると近在に住むKさんが約束時間にやってきた。アメリカ製ヒースキットのプリアンプの不調がようやく治ったとの朗報だ。治ってきたヒースキットとKさんが自作した入魂のパワーアンプを持ち込んでデッカのスピーカーを鳴らしてみる。これは正解だ。先日来の硬く高域に寄っていた音調がもっと中音の美味しい領域を拡大してKさんの家で聴いた印象とは違っている。
Kさんの作ったパワーアンプはRCAの71Aという直熱三極管でそのパワーは1ワットにも満たない。1W弱のアンプがデッカのコーナー型スピーカーをとてつもなく朗朗と豊かに鳴らすことに驚く!ヒースキットはペケかと危惧していたが、かって聞いたことのある同時代のマッキントッシュのプリアンプC-8などにも優るとも劣らないことがKさん自作のアンプとの組み合わせて実感された。

これは好きなボーカル、それもこれらのアンプやユニットと同じ時期に収録されたものを聴くに限るという結論にお互いが達した。マキシン・サリバン、ペギー・リー、マリーネ・ディートリッヒ、4~50年代の懐古な空気は色濃く流れるのに声のニュアンスはリアルで隈取はあくまで鮮明で近頃聴いた音では出色な再生音だ。
これは日向の家に同好の人々を呼んで、このシステムで好きなボーカルの会を開くしかないね。というKさん共々の結論になって5月半ばに今日二人が聞いたシステムを再現する会を開くことになった。





雨のち山吹

2012-04-15 14:15:39 | 自然
昨日の雨で遅かった今年の桜も終わりかな?と思いながら晴れ渡った日曜日に自宅の廻りをぶらぶらしてみた。コースは日向薬師の参道を登って霊山寺の境内を経由、尾根道を降りて日向渓谷にかかる神明橋から日陰道を辿って自宅へ戻るというおよそ一時間の道のりを楽しんだ。
日向薬師の霊山寺は本堂の大改修工事中ながら宝仏殿を開放しているせいか、参拝客がたくさん訪れていつもより人気の多い日曜日だ。狭心症を病んだ後に数回登った時の息苦しさが今は嘘みたいに消えていることを明治期に寄進された参道の中腹に設置された石仏を眺めながらふと思い出す。

尾根道に通じる崖沿いの眺望は桜や雑木の若葉が混在して春めいた萌黄色の淡い彩りが素晴らしい。谷筋には山吹の花が垂れて春というよりは初夏を告げているようだ。
山道に咲く「マムシ草」「きぶし」といった地味な植物の春を愛でるのも嬉しい時間である。どこか山の斜面から鶯や中国渡来という「ガビ鳥」の変幻自在なさえずりも聞こえてくる。
今朝、寝床で遠くの方から聞こえてきた「ガビ鳥」の鳴き声は幻聴ではなかったようで、これから夏にかけて山里はこの怪鳥のさえずりに包まれることが多い。
日陰道には急傾斜した地形のせいか細い沢がたくさんあってこれが日向川の本流へ繋がっているようだ。そんな沢筋の水がなんとなく停留する場所で伊勢原に在来する「黒めだか」の群れを発見した。昔、横浜郊外に住んでいた頃、保全林の中で生きながらえた小川へ「かわにな」を採取しに出かけた時に捕獲した「ほとけどじょう」を思い出した。
休日散歩の締めくくりは日陰道を出てきた集落の無人販売所でオレンジピールを発見!
ミカン農家が作った副産物らしい。甘い糖衣を咬んでいくと次は幽かな苦い味が訪れる。
帰ってきてこのピールを齧って、「グリッシーニ」という細いスティック状のイタリア製乾パンを味わうティータイムを過ごしていたら、いつのまにか晴れ間の空はどんよりと雲ってきて春らしさを実感する。

川越ぶらり

2012-04-01 18:28:52 | 旅行
この四月からダブルワークを始めることになってしまった。これを機に土日も仕事で埋ってしまうこともあるから、どこか散歩でもしておきたい気分になって急遽、埼玉にある「小江戸」川越まで友人と連れ立って散歩をきめこむことにした。

生憎、金曜日から吹き荒れている春の南西風は土曜日には勢いを増して関東の平野部まで到達すると猛烈な砂塵を巻き上げている。所沢から川越へ通じる県道から見える雑木林は畑で巻き上がった黄色い砂塵で遠くの景色が遮られてしまうほどで、満開を迎えたばかりの道端に咲く辛夷の梢が傾ぐ様子が哀れだ。

川越の町へ着く頃はどんよりとした曇り空で今にも雨が降り始めそうな気配になっている。
川越といえば10月の秋祭りが賑やかで有名だが、春の祭りもあるらしい。ちょうど散歩を始めたメインストリートの「蔵の街」付近では春祭りのイベントに遭遇する。火縄銃を抱えた旧川越藩士の装束を纏った現代の武将達が実際に火縄銃の砲撃演技を見せている。
一斉に発射する銃撃音はズドン!と腹に響いて沿道に集まった観衆を沸かしている。
川越の中心ともいうべき「蔵の街」付近には昔ながらの酒屋、乾物、刃物屋、和菓子屋、木工細工屋の類が並んでいる。それぞれ工夫を利かせた店舗イメージを演出していて現代生活と折り合いをつけようと努力している様子が伺えて楽しい。

連れ立った友人は一角に並ぶ骨董屋で昭和初期くらいの染付草花模様の手塩皿と枇杷色をした円錐形の萩焼の一輪挿しを買う。どちらも数百円と安いが、品格を感じさせるよい買い物だと思った。少し外れにある芋菓子の老舗「芋十」ではアレンジ芋菓子の隙間に様々な骨董品が調度されていてこのなかには、益子あたりのとても存在感がある古いすり鉢があって目を引くがどうも非売品の様子で気になっている。
街をしばらく見学しているうちに風も雨も強まってきて、雨宿りを強いられることになってしまった。見学の前に腹ごしらえした川越名物と称している「太麺焼きそば」の店が外れだったから、休憩のコーヒー店は外すわけにはいけない。行きがけの沿道にあった一軒家風のカフェが気になっていた。名前を「mono moon cafe」という。このお店は
当りだった。カフェの灯り、テーブル、椅子、焙煎コーヒー、器具、どれも拘っているだけに俄か仕立てのレトロ風情のお店とは一味違ったその居心地に満足する。