Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

「聖ヨハネ病院にて」を読む

2013-09-30 15:21:36 | その他

「葉がなくてさびしからずやまんじゆしやげ」 上林 暁  (昭和51年 永田書房刊 「句集 木の葉髪」192ページ)伊勢原の山里を引き払い、昨年の秋が見おさめになってしまった彼岸花と思っていたが、先週にかけて伊勢原の在所めいた太田地区を流れる渋田川の土手などに咲く様子を眺めることができた。勤務先の敷地を少し外れた板戸川の遊歩道でも固まって咲く彼岸花にでくわした。「あけび」の熟し具合を撮ろうと思っていたデジカメの矛先を彼岸花に変えてみた。

上林 暁の句集は上記が発行部数500という唯一の希少単行本である。中川一政の晩期の絵みたいに言葉の枯れ具合の率直性に唸ってしまうような珠玉の句がたくさん収まっているせいか、季節の移ろいを感受すべき我が宝ものである。「トマト食ふ朝夕つづけて一年中」「あの人の今年の秋も誕生日」「シャガールの額が華麗につゆの雨」「厠より山茶花見ゆる朝月夜」等の句を読んでいると、ジャズピアノだったらエロール・ガーナーとかアル・ヘイグみたいな節まわしが聞こえてくるような寂しい楽しさが味わえる。

彼岸花の連想から久しぶりに上林 暁の旧作小説を読みたくなって書架の裏から廉価版の集英社小型選集をひっぱりだす。昔、読んだ「聖ヨハネ病院にて」「現世図絵」「春の坂」「姫鏡台」などの病妻、故郷の従姉、未婚の妹などの近親者を描いた貧しい暮らしの中で苦渋する心境小説は傍で読む者に涙を誘うような物語ばかりである。「聖ヨハネ病院にて」は昭和21年の発表でこれは上林 暁の病妻ものの頂点に位置する作品だ。昔、読んだ時にはその実話モデルになったカソリック病院は、多摩全生園がある東村山に隣接した清瀬付近の武蔵野的情景を感じたが、これは誤解のようで年譜によれば都下・武蔵小金井の付近にあった精神病院のようである。気が触れて精神を病み、目も盲いてしまった妻との病院における共同起居による付き添い録がすさまじい。そして戦前・戦時中の食糧欠乏の酷い有様。そんなに酷薄な惨劇の描写を読んでいても、病室を巡ってくる黒衣の神父、かしずくように鉦を叩きながら付き添う看護婦の挙措、ミサの模様を記す記述などには、私小説へのモダニズム的スパイスが効果をもたらしている風通しを感じる。おそろしく勘の冴えた上林 暁の奥さんは転院先の病院にて昭和21年の6月に死去している。

ヨハネ会病院から付近の病院へ、犬が牽引するリヤカーに積まれた奥さんの様子を後方から見送りながらも、それを観察しているもう一人の作者がいる。私小説のもたらす濃厚な業の深さを感じる箇所でもある。雑木林を折れて曲がって去って行く様子の最終部分はこの小説を戦後文学の初頭を飾る傑作へと仕上げているようだ。牽引の為に犬が喘ぐ息をリヤカーの上にいる奥さんが、どこからか馬がやってくると幻覚して怖がる個所がいつもながら胸をうつ。

自分の体験でも長期の入院を忌避されてしまった亡妻が転院する日の情景が浮かんでしまう。聖マリアンナ病院を出て近所にある最終ホスピス風の病院への転送に付き添う。むろんリヤカーではなく介護タクシーだったが、最後まで頭が冴えわたっていた亡妻は黙って従っているだけだった。心の内側は知る由もない。聖ヨハネ、聖マリアンナ、それなら今日はレッド・ガーランドトリオが奏でる「聖ジェイムス病院」でも流すことにしよう。


コッペパンをかじりながら

2013-09-26 14:54:38 | JAZZ

自炊生活の苦労は食糧の備蓄にどうしても偏りがでてしまうことだ。今朝も夜勤が終わって戻ってきて冷蔵庫を開けてみる。納豆、豆腐、ヨーグルトの他には気の効いたものが何もない。果物は大きな「新高」という種類の梨が残っている。北洋産赤魚粕漬けが一匹残っているが、昨日食べたばかりだから二日続きは敬遠してしまう。そこで目についたものが昨日、伊勢原の「わくわく広場」に売っていた個人パン店委託ブースコーナーの「コッペサンド」だ。ちょっとした空腹時の埋め草みたいに買っておいてよかった。「子猫のパン屋」さんなのか「高久ベーカリー」なのか「街のパン屋さんドリーム」のものなのか、袋を捨ててしまって忘れている。いずれも茅ヶ崎、平塚付近の個人企業が奮戦している様子がパンの味にも反映している。同じ伊勢原や座間にも「オーケー」「フラワーランド」とか「なかや」スーパーみたいな食糧他分野では下剋上みたいに活性が感じられるのに、パンだけは「ヤマザキ」「パスコ」「神戸屋」等の人が悪いマーケティングパンにいいようにやられている店が多い。あまりのまずさに義憤にかられて個人企業パンを買うのを趣味にして各地を徘徊しているが、このコッペパンもそんな買い置き品の一つだ。

昔、少年時代に横浜の「日本堂(野毛坂、新吉田商店街にあった)」「シベリア」や「甘食」パンに魅せられたみたいにコッペの味もたまらなく懐かしい。コッペパンの中身はピーナツバターだ。目黒の東山の奥まった場所にある孤高のパン屋「関口ベーカリー」にはこのところ、まったく寄り道するチャンスがない。その「関口」ではデリカシーが欠如したコッペよりもちいさなホットドック用のフランスパンに自家製ピーナツバターを挟んで売っていた。作る順序が厳密化しているみたいでこのコッペパンの味に焦がれているのにめぐり合うチャンスはなかなかない。この「関口」の味を思い出しながら食べてみる。パンの味は昭和中期風のバター(マーガリン)不足な淡白味よりも美味だ。しかしピーナツバターはコクが不足しているのにやたらに甘いのが難点である。とびきり苦いブラックコーヒーでこのコッペパンを味わう。添え物は先だってマーマレードと間違えて買ってきてしまった「完熟アルフォンス・マンゴー」のピューレをヨーグルトに垂らして食べてみる。



食後は秋めいてきた空気に溶け込むような北欧ジャズ歌手の好きなLPを流して安らぎを得る。モニカ・ボーフォス(スエーデン)ライラ・ダルゼ(ノルウエー)、カプリスとかジェミニのようなレコード会社は沢山の腹を据えたようなよい群小LP・CDを続出しているので密かに買い集めている。それにしてもサイドメン達の見かけはバイキングの末裔みたいに荒くれ風な容姿をしているのに、歌への心はなんと潤沢な連中が多いのだろう。スペルが読めないのがまことに残念だ。モニカ・ボーフォス、ライラ・ダルゼともにおばちゃんシンガーだが、北欧はおばちゃんシンガーが歌というものを根底からわかっているみたいだ。ボーフォスのLPではロジャース&ハーツの「ユー・アー・ツー・ビューティフル」、ステファン・イサクソンのテナー伴奏がまったく素晴らしい。ライラ・ダルゼではあの懐かしいアン・バートンやカリン・クロッグもよい歌を聞かせている「サム・アザー・タイム」がいい。こちらは長身で髭だるまみたいなトロンボーンが伴奏のソロを沢山とるのだが、こちらもザラザラな感触のロマンティズムを披歴している。台風20号が東に去って、言葉どおりの秋が来ると、予報士は報じていたが、我が寓居にも本格的なジャズタイムが訪れてきている。

仲間いりランプ二千円の価値

2013-09-23 12:10:10 | その他
秋晴れの「やまと古民具骨董市」でバラバラに買った照明シェードとジャンク風台座によるスタンドができあがった。陶器のシェードは、丈が20センチあって長めだからややバランスを欠くけど手元照明にちょうどいい。オーディオ部屋に仲間いりさせると昔からあるような馴染み具合である。もっと首が長い真鍮製の古い台座を見つけるまでの応急品としてしばらく楽しもうと思っている。

フィラメントが見える電球と締めて2250円の完動品ライトになった。我が部屋の照明品としては最低価格になるが、この薄い陶器で仕上がっているターコイズカラーは、1950年代のリバティーレコードがステレオ化する前のセンターラベルの色に似ている。我が家にも幸いジュリー・ロンドンのモノラルLPなどにこのラベルがあるから、傍らにこうした色調のライトをおいてLPレコードを聞けるのもささやかな幸せの一つだと思う。



先日寄った成城学園の駅前北口には「カフェ・ブールマン」がある。古くからあったカフェを建築士で四谷時代のお客でもあった北九州は小倉出身のYさんが引き継いだジャズのかかる店だ。サンスイ時代に輸入されていたJBLのSP LE8Tなどのスピーカーがリークの真空管アンプで粘っこく鳴っているところが都内にごまんとあるジャズカフェのモダンだけな平凡性を軽く凌駕している。ここでは美味い深煎り焙煎コーヒーが供されるが、調度品のさりげないものにも目を奪われる。

窓辺においてある壊れた金管楽器のユーフォニューム、店主の手元を照らす鋳物仕立てのごつくて小さな黒い肉挽き機のような照明、よくある「カフェ ラミル」風とみまがうタイプの店だが、細部には偏屈なこだわりが生きているところが面白い。そうしたいいものを記憶の隅っこにインプットする。そうしてある日、形こそちがうが同じ匂いがするものを発見して喜悦する。こんどの陶器製シェードとの出会いには意外にも、「カフェ・ブールマン」の室内からの感覚的啓示が影響しているようだ。

やまと古民具骨董市散歩

2013-09-21 20:26:45 | その他
東京地方の日の出はいま時分で5時半くらいだろうか。深夜に真上に位置していた十六夜の満月は4時台にはけっこう西の空に移動している。19日の満月は珍しいことに湯河原の釣り帰りに遭遇した。根府川の江之浦付近の海沿い道路へと135号線が山坂道から変わったあたりの海の上から現れた。それは見事な「天満月」の形容がふさわしい大きな月だった。帯のような光が仄かに漆黒の相模湾の海面を照らしている。これは贅沢な景色の占有だと思いながら、各地で眺められた月への心情を歌った名曲の馴染みある旋律を思い出しながらクルマを走らせる。

ディック・ヘイムズが歌った「ムーライト・ビケイム・ツー・ユー」ギリシャのナナ・ムスクーリが歌っている「ノー・ムーン・アット・オール」あのジョニー・ハートマンが歌っている「バーモントの月」あたりは秋口の部屋を彩る永遠のフェイバリッツソングにちがいない。

しばらく月を眺めたあとで仮眠してから起床する。空はやはり秋晴れの日曜日だ。気晴らしに三カ月ぶりの「やまと古民具骨董市」散歩を思い立つ。横浜駅のトーシロー氏とはジャズ・オーディオ以外の陶磁器趣味交流も長い。渋谷と代官山の境目で自分が開いていた多目的スペースで「北大路魯山人展」あたりを行った頃が、彼の骨董マイブームへの点火を促したきっかけではないかと思う。そのトーシローさんと大和駅付近で待ち合わせの為に、旧友の濱野氏からいただいた原付二種のスクーターを走らせて向かう。


晴れているせいか骨董市は混雑している。夏と秋がせめぎあっているような気候のせいで、会場に現れる女性客の姿も、夏があったり、秋があったりばらばらな様子が面白い。混雑した会場を二時間程度冷やかす。葉山の秋谷海岸で一軒家骨董店をかってしていた青年も店を開いている。骨董界のトレンドを象徴するみたいにスエーデンなどの1950年代風オブジェにずいぶんと傾斜している様子だ。


自分はいつものガラクタ均一セールの山から、沖縄赤絵の「からから」酒器で現代風過剰光沢がないものを数点購入する。これは野花の一輪挿しにフィットするもので、コザ市の窯で作った昭和テイストなよい雰囲気が気にいっている。最大の収穫は店主がトイレなのか食事なのか留守の店で発見した「陶器製ランプシェード」だ。これは灯りの大先輩トーシローさんも激賞している。この傘を留守番役に1000円にしてもらう。ガラスでもなく金属単一でもない陶器傘であるにも関わらず、モダンな形状と緑色の塗装が珍しい。帰ってから、向いている古い台座に当てはめる為のよい苦労が生まれた。名品やブランド品をはなから意識していないで感覚一発で漁る為の漁場が少しは残っているところが「やまと古民具骨董市」の面白いところである。

釣果ゼロの日

2013-09-19 21:51:07 | 
本日休診のドクター桜井氏を座間駅前で拾ってクルマにて湯河原・新崎川へ向かう。絶好の川釣り向きの気候だ。目標は野生化したニジマスと毛バリの鮎である。桜井さんは天然ヤマメが狙いだ。管理釣り場をさけて拾い釣りがいいという案で意見が一致した。途中の相模川、酒匂川のような神奈川の大河川は台風18号の増水のせいで未だ水色は茶褐色で平水に戻っていない。その点、箱根山系の急斜面に大きな石がゴロゴロしている新崎川は夏枯れの水不足も癒えて濁りの片鱗もみられない。

こんなによい釣り日和は滅多にあるものではないとほくそ笑みながら、桜井氏が新宿駅で買ってきた「崎陽軒」のシュウマイ弁当で朝・昼食を兼用する。シュウマイ弁当はとても上手くまとまっているが、時間変化にナーバスになりやすい種類の弁当である。今日は白米の乾燥も潤いを感じる。マグロの照り焼きも木を齧っている感覚がない。朝イチ作成の鮮度が行きわたっているようだ。やっぱりシュウマイ弁当は美味いなと食べながら、そこのTVコマーシャルに出演していた旧馴染みの横浜「ミントンハウス」通称「おいどん」氏の原始共産制っぽい土俗顔を思い起こす。今日は腰までに及ぶウエーダーも履いていてよい釣りができそうだと思った。

しかしよいことは続かない。支度をしていたら愛用の竿ダイワ製「深山」の先端がなにも圧力をかけていないのに、折れてしまった。控えを持参していないから道糸がすっぽ抜けしない為の川べり工作を強いられる。老眼も進んでいるので厄介なことと思って、作業を進めていたが、傍の桜井氏は15センチくらいの天然ヤマメをもう釣り上げている。ようやく段差のある流れ込みへ仕掛けを投入するが、ヤマメ、鱒の引きは見られず、旺盛な食欲のアブラハヤばかし10匹くらい上がってくる。これはハヤには失礼ながら釣果の数には算入できない。アブラハヤのいる場所には渓流魚は潜んでいるのが鉄則なのだが、竿先の折れに出鼻をくじかれた気分になる。晴れ渡る空に太陽の照り返しが強く、日陰のポイントが少ない。これでは釣りにならないということで、河岸を下流に移してみる。

下流では小型の鮎が海から上がってきて育っているのも新崎川の特徴だ。持参の茹でシラスを口に含む。これを噛んで砕く。アジの生身を口に含む方法もあるが、これは生臭いので敬遠する。それを下流へ向かって噴き出すのだ。ハリには同じシラスをつける餌釣りだが鮎の反応はない。そこで虫を形どった毛バリの三連仕掛けに玉ウキを流す「チンチン釣り」も試すことにした。しかしかかってくるのは、これまた良質水質のバロメーターにもなる「カジカ」が立て続けに三匹ということで餌にも毛バリにも鮎は反応してこない。諦めて最上流の公園付近で日が傾き始めた時間にイクラ餌で試してみる。清冽な水流の少し緩んだポイントを流すがやはり駄目だ。


こちらが諦めて彼岸花が咲き始めている様子やハギ天国みたいな幕山公園をふらついている隙間に桜井さんは粘り勝ちする。いずれも小型ヤマメながら難関渓流で4匹という釣果をあげた。幕山公園下のパン屋さん「和しょい」は堅実に盛況の様子で安心する。本日は「イチジクとチーズ入りカンパーニュ」「黒ゴマあんぱん」を購入、おやつとして黒ゴマ餡パンを食べてみるが、これもコクと香りが兼備していて小麦といううものの実体感を満喫する。釣りは駄目だったが、パンは美味いという連休日になってしまった。