Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

にんまり「無銭優雅」な春日和

2015-03-21 20:27:46 | その他

専用庭のピンク雪ヤナギが満開になった。街路で見かける白い木蓮も一斉に満開になって里も街も春を讃えている。いつものメンバー6人がJR品川駅構内で待ち合わせして京急立会川駅近くの大井競馬場駐車場をめざす。4か月ぶりのフリマ見物に集まったお彼岸の祝日である。朝方に雨の気配があったせいか出展者の数はいつもより少ない。

同行の佐々木さんと巡回するコースを逆さにしてみようということになった。これもゲン担ぎの一種である。木山捷平が敗戦時の満州生活を描いた小説「長春五馬路」に登場するような「ボロ屋」「バッタ市」を発散する一角が、このフリマ会場にもあって、在庫品はただアナーキーに雑然と路上へ放りだされている。そこを疲れが溜まってこないうちに先に見物するという戦術である。ほとんどが無料回収のゴミの山といった駄物類に目が眩むコーナーだ。この中から質のよい物を掘り出すのも人生における研鑽という風によい方向に解釈してしばらくキョロキョロしていたらやっぱり手招きしている陶器が現れた。

 

松の自然釉薬が厚くたっぷり流れ落ちて山に沈む赤い夕焼けみたいな緋色とのコントラストが素晴らしい徳利酒器である。横には同じ作者のグイ呑みも並んでいる。ふっくらとした明るい詫び寂び感が上品に演出されていている信楽焼の規則に従った中々の逸品だ。売っている親父は軽トラックに乗っていて陶磁器のことなどまるで感心がないボロ屋風。たしかに親父の在庫品には電化品や鋼類が多くあって小型の陶器はどうみても外道の風情がする。尋ねると二品で800円との答えだ。びっくり仰天の値段が返ってきた。大和辺りの骨董市にもしあればペアで安くとも5000円は下らないだろう。ふとこの会場のニーズに沿っていない暗い色調のこの類は穴場なんだと佐々木氏と笑いあいながら800円を支払う。

こうした幸運は佐々木氏にも回ってきた。中型の調和がとれた瓶子だ。底には手書きで「小砂焼」とシールが貼ってある。栃木県、那須近在で近世になって開かれた民窯の明治期頃の作品らしい。辰砂釉薬めいた赤錆色が威勢よく掛け流しているところが佐々木氏好みか?素地は淡い卵手風というところが気品に満ちている。出品者は違うが値段を尋ねると、やはり500円という驚きの値段が返ってきた。佐々木氏も即これを買う。

更に驚いた買い物は両人の好みが一致した鉄絵の模様と釉薬の盛り上がりがその土台の力感に呼応している湯呑茶碗だ。これは益子の濱田庄司テイストを継承した佐賀県・嬉野在にある丸田正美窯のものと匂いが似ている。佐々木氏は濱田庄司窯のものではないかとそれぞれ推測している。4個が重ねてあるが数が揃ってない未使用品の類だ。これは小母さんの店番コーナーだ。二つづつを分けようと小母さんに値段を尋ねる。100円!とこれまたびっくりの答えだ。計400円なのか?と尋ねると「合計で100円」つまり1個25円の湯呑になる。これにも唖然としてお互いに失笑しあう。これらの戦利品を携えてJR電車にて戻った横浜駅近くのカフェの談論がいつにもまして活発になったことはいうまでもない。


春がきた

2015-03-17 08:32:49 | 自然

休みといえば相変わらず専用庭の手入れを無精しながら諸所をほっつき歩いている。先日は逗子駅に近い亀岡八幡宮の骨董市、翌日は曽我別所の梅林を訪ねたり、勝手気ままな「無銭優雅」生活を楽しんでいる。明日18日はもはや春のお彼岸の入りだ。申し訳ないと思いながら仏壇にスーパー「オオゼキ」で買ってきた広島産5個398円というネーブルを供えて埃をはらう。仏壇には親父と「太平洋戦争」の末期頃28歳という若さで亡くなった先妻の「たね子」さんという見知らぬ故人、それから死別した自分の妻の位牌が同居している。ネーブルも饅頭もチョコも均等に三個づつ平等に供えることにしている。

 

ついでに専用庭の端っこの方で続けて咲きだした「雪やなぎ」「ヒヤシンス」「黄色スイセン」の中から「スイセン」を選んで手折る。これも砥部焼の一輪ざしに挿して仏壇周りに春の色を添えることにする。無精している専用庭の花類は植えて二年目を過ぎた頃から土に馴染んできた気配がある。いまのところ「モッコウ薔薇」「ヤマブキ」の枝木は色艶もよく育っているので初夏5月が楽しみだ。

逗子の亀岡八幡宮は相変わらず長閑な骨董市でお客も出展者も世間話を交えながら売り買いをしているのんびりムード。海岸から寄せてくる西からの風はさすがに3月らしい寒気を含んでいるが、緩やかな空気はすっかり春のものである。余生を「骨董売り遊び」に徹しているような同年輩とおぼしい紳士の広げている展示品はいつもながら安く小さな魅力品が潜んでいる。

旧家の解体時から出てきたような和洋折衷ランプシェードを買う。裾の長いフレアーは好みじゃないが胴部分に施してある丸い模様が職人芸の中の遊びを感じる。断線してある古いソケットを外し掃除する。そのあと陶器傘につけてあるアンティークなソケットにつけかえてみたら上手くおさまった。フィラメントが見える電球の予備ストックを使い実際に灯してみたらこれが夜の闇に静謐な温もりをもたらしてくれる。こうなるとブロッサム・デアリーのような心の中の恋人が弾き語りする「「THEY SAY ITS SPRING」みたいな小夜曲でも添えてみたくなるのが人情というものではないかと思う。


雨音梅香を遮らず

2015-03-08 20:55:18 | JAZZ

 

立春のころ見かけた禅寺院の標語に面白い語句を見つけた。「煙霞不遮梅香(えんかばいこうをさえぎらず)」というフレーズだ。寺院発行によるパンフのコメントには「春の夜のやみにあやなし梅の花、色こそ見えぬ香りやはかくるる」という粋な和歌が添えてあった。内陸に位置する座間周辺はちょうど梅も見ごろを迎えている。春が近くなって雨模様の日が増えている。近所の谷戸道めいた雑木林の縁には放置梅林がある。ここへやってくると少し前に読んだ上林暁の随筆集「幸徳秋水の甥」に登場する南武線沿線の川崎在「久地」の梅林を再訪したエッセイを思い出す。

 

先日ウオーキングのついでに寄って眺めた時はそこの梅も戻ってきた寒気に竦んでいて三分咲きの様子だった。一週間を経た本日は花の蕾は一斉に綻びかけている。ちょうど日曜の来客が都心から二名やってくる。梅の香りももてなしの一部にはなるだろうと思い、道端にはみ出している梅の枝を数本折らせていただくことにする。お客さんは我が小部屋のバイタボックス12インチ同軸スピーカーから発するジャズやクラシックサウンドに魅せられている参詣客的常連だ。小雨を浴びてしけっている梅は花びらもしゃんとして愛してやまない益子の偏古壷とつい最近入手した窓絵の角型壷に挿してやることにした。どちらかといえば孤独めいた部屋にしめやかな春の香りが這ってよい気分になる。「おでん」と「栗おこわ」の昼飯を済ませて午後は新旧を取り混ぜた日曜ジャズ鑑賞会がはじまった。

しばらく遠ざかっていてさりとて忘れることもできないCDを引っ張りだしての大きなボリウムは近所迷惑の臨界域なのかもしれない。大昔、野毛の「ちぐさ」で毎日リクエストしていたリー・コニッツの「モーション」やジャッキー・マクリーンの「4 5&6」等を元気一杯に鳴らす。この「モーション」の愛好曲は「帰ってくれれば嬉しいわ」と「4月の想い出」に尽きる。クールな奏法にもかかわらずハードに疾走するコニッツの即興の大波小波のリフレインをエルビン・ジョーンズの彩りも豊かな革新的ドラミングとソニー・ダラスの特太ウオーキングベースが三位一体的構造をもたらす稀有のジャズ名盤だ。これを聴いていた参詣客の年下さんが上手いセリフを評す。「エルビンのドラムはどこの場面でも「俺。俺。俺!」なんだね」こちらもそれに同意して頷く。「しかしエルビンのおかげでこの演奏はモダンジャズが印象派段階からキュービズムへ変身したようなものになったのでは?」とついでの実感も付け加えることを忘れない。

参詣客へのお薦めCDは夕方までブロッサム・デアリー、ホレス・パラン、ビルエバンス等のよい時期のものを選んでかけたから日曜ジャズ講座は梅の芳香を遮らないよい後味を迎えた。


土を見たり木を見たり。

2015-03-01 18:52:51 | その他

二十四節季の「雨水」を過ぎた頃から春めいた雨の日がくりかえしやってくる。去年植えこんだ「ピンクゆきやなぎ」も長く伸びた枝に青い花芽を整列させて春の訪れを告げているようだ。専用庭へやってくる野鳥もすこしづつ顔ぶれが変わってきた。厳寒期の常連だった「めじろ」「じょうびたき」が顔を出さなくなったら、今は孤鳥と渾名している「とらつぐみ」が毎日、やってきてしきりに土をついばんでいる。

先週の週末に大和の「古民具・骨董市」で入手した現代陶芸品の花器二点と鉢はいずれも土もので一週間を経て印象や自分の気分がどう変わるのか、今朝も眺めて確認しているところだ。モスグリーンの釉薬がかかった角型の壷がどうやらお気に入りに参列を果たしている。四面に描かれた窓絵の草文の彩色が仄かなピンクと薄い青のコントラストに味がある。売主の骨董屋さんはこれを「富本憲吉チックな味が漂っている」と評していた。益子系の重い土と思いきや、白く洗練された肌理の細かい土は美濃地方の窯で焼いたものらしい。これに連翹(レンギョウ)や梅の枝を挿したいところだが、毎日チャンスを逃してしまって時は進んでいる。

昨土曜はコーヒー、煎茶の補給買い出しを兼ねて藤沢・鎌倉へでる。ついでに鎌倉・小町にある古い耶蘇教会が処分を検討している大き目な板材を見学する。板はチークカラーのウレタン塗装したもので材質は集成材、重いもので教会内部の多目的自在テーブルとして活躍を重ねてきたものだ。

各種行事は教会に参集する婦人が活躍するのだが、この重い板の移動には手こずっているとのことだった。発端になったDさんとこの大きな板材を軽く叩きながら、スピーカーの躯体にはぴったりだ等と評しながら、この板を見物にやってくる人を待ちながらしばらく教会の美的角度を味あわせていただくことになった。