Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

横浜炎天ジャズ散歩

2015-07-14 19:05:02 | JAZZ

横浜の旧市街地へ二日続けて出かける。梅雨が明けたみたいな炎熱状態の日曜日は中華街の「マシュマロ」福富町西通りへ引っ越しして久しくなる弾き語りのピアニスト村尾陸男さんがオーナーの「ファーアウト」等をハシゴする。「ファーアウト」のネットスケジュールを眺めていたら好きなトランペッターの金井豊さんのバンドライブがちょうどあることに気がつく。聞いてみたい衝動が湧いてさっそく出かけることにした。おりしも「マシュマロ」では武田さんという地元篤志家の解説による「ハンク・モブレイ」のLPコンサートが行われるらしい。

総勢15人のギャラリーに囲まれたほのぼの感が漂っているLPコンサートだ。ハンク・モブレイのぼかし味が効いた少しルーズなテナーサウンドは古い時代のアルテック604Eのような暴れん坊スピーカーが最適だった頃にジャズ喫茶及び自宅システムでさんざん聞いたものだ。武田さんは東芝盤、キング盤というブルーノートレコードのありきたり日本再発盤をえんりょなく勿体もつけずにバンバン名曲チョイス路線で貫いているところに好感がもてた。振り返ってみればブルーノート時代のハードバップ演奏様式に乗ったモブレイ的ルーティン奏法になんだか飽きてしまいしばらく遠ざかっていたのが事実である。

自宅居間に残ったモブレイのLPはブルーノートよりも所属が古いプレステッジやサボイに納められている「リトル・ガール・ブルー」「ホエン・アイ・フォーリング・ラブ」といった憂欝なバラッドばかりが入っているものばかりである。会場で流されたソニー・クラークの素晴らしいソロとの最高なコンビネーションを発揮する「HANK」所収「ディープ・イン・ア・ドリーム」等を聞きながら、これらの曲に負けないくらいの愛蔵曲の情報流出がなくて内心ホッとしたのも事実である。余談ながら「マシュマロ」オーナーの上不さんから「12月くらいまで店が持っていたら、なにか特集コンサートをしていだきたい」といつものジョークを交えて依頼された。これにはジャズ楽器の異形セレクション、バスーン、チューバ、ユーホニウムでソロをとっている変態LPでもしましょう!と答えておいた。

夜半の「ファーアウト」は6重奏プラスボーカルという編成、ベテランの金井さんと若手のセッションだ。ハードバップ時代の名曲、80年代のポップス、映画音楽から金井さん達が選んだ親しみ4ビートがこれまたリラクゼーションをもたらしてくれた。ボーカルは浴衣姿で歌っていた「手紙でも書こうか!」「マイ・フーリッシュ・ハート」がベストだった。金井さんの良く抜けるラッパサウンドの出番が少ないのは心残りであったが、「ファーアウト」の楽屋型雑然ムードは慢性金欠型ジャズテイストが漂ってきてこれにも好感を感じた。


山元町・柏葉付近

2015-07-08 04:15:31 | その他

梅雨のさなかだ。仕事柄、町の表情や匂いを嗅いで歩きまわっている。露地付近に咲きこぼれる草花も「梔子(くちなし)」「ノウゼンカズラ」「芙蓉」「「サルスベリ」といった季節の花が絶好な湿気と高温を養分にしてまじかな「大暑」を彩っている。

先日、雨の横浜保土ヶ谷辺りを歩いていたら、足のリハビリで長期入院している最中の旧友A君から電話があった。A君は今でこそ新興住宅地のシーサイドタウンに住んでいるけど、れっきとした横浜の下町っ子である。その彼が昔、大昔といっても40年前くらいになるだろうか?住んでいた石川町付近の山手側にある自宅場所で貸している店舗がジリ貧で撤退したらしい。和風に外装したこじんまりした寿司店があるな、と彼の住んでいた自宅の商店街から根岸の不動坂を下って磯子方面にクルマで抜けるときに、ときどき眺めていた一角である。寿司店といえばすでに回転寿司の時代で昔からやっている正統店はポツリポツリと消えている。彼によると取り壊しまでには少し時間があるので安い賃料で借りないかという打診である。

去年の春に世田谷・上町の駅前にある古いビルで音楽ブックカフェをしようと思ったが、厨房周りが不具のために途中解約したことを思い出す。話を聞いて仕事の隙間に現地訪問してみた。人は通っているけど日用品の小商いめいた店ばかりが並んでいる。一部はやはり経営者の高齢化乃至はじり貧なのだろうシャッターを下ろしている店もけっこうある。しかし古くダサくなってしまった昭和テイストを逆手にとって、西荻窪や谷中付近と同じようなアマチュアイズムが香る店も芽を出し始めてきている。寿司店の向かい側にあるいつもシャッターが下りていて残念な「ウエストン商会」写真店跡のノージャンル風店舗もそんな典型である。A君の意向を汲んで8月からここを借りることにした。手始めは正系昭和調の外装を変えてみることだ。

幸いにも今の勤務先は年齢をはるかに凌駕したこちらの情報嗅覚とフットワークの軽さを考慮して8月から自由形通勤に変えてくれることになった。朝は座間を9時に出て石川町の急坂を徒歩で現地まで行って、自由形通勤の営業活動を行う。そして週末の三日はキャパ20人の店主となってコーヒーや煎茶を提供しながら好きな音楽をかけるという目論見である。物事は目論見どおりに行かないことは体験で身に沁みているが、「わかっちゃいるけどやめられない。。」のも人生である。