Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

カレンダーの入れ替え

2013-12-22 10:05:15 | JAZZ

2013年の今年使っていた自宅用カレンダーは画家丸木スマの天然・素朴系絵画を納めたよいものだった。12月は「村の夕暮れ」という山里の日没時の風景を描いている。これまた牛や山羊や人物のデフォルメぶりが楽しい。

もう一点は玄関先にかけた棟方志功の安川電機の顧客向け木版画カレンダーが一年に亘って目を楽しませてくれた。12月の締めはモノクロで図太い筆致が漲っている「熊野大崖不動明王の柵」という昭和46年の作品だ。この西国版画シリーズの好きなものを数点、額装に納めて二度楽しむのも面白いと思って過去の安川電機製志功版画シリーズを再チェックし始めているところだ。年の瀬も迫ってきた、2014年のカレンダーはどうしようかと思っているところへちょうどディスクユニオンのジャズカレンダーがやってきた。プレステッジの大名盤LPジャケット写真集である。マイルス・デイビス、スタンゲッツ、ジョージ・ウオーリントン、エルモ・ホープ、ジャッキー・マクリーン等の色褪せしない愛してきたLPが並んでいて満足度は十分に高い内容だ。好きなトロンボーン奏者ベニー・グリーンのジャケも4月用に登場していてやはりうれしい。

しかし同じカレンダーでも2008年に同じユニオンが出したものと比べるとジャズ界の景気は芳しくないのだろうか?紙の質も安っぽくてお洒落な創造意欲が減退しているような製本が残念である。2008年バージョンにはあのスエーデンジャズボーカルを代表するモニカ・ゼッタールンドが茶目っ気を発揮してコントラ・バスを弾いているとてもよいモノクロショットなどが収まっていた。おまけに紙などもマット系の重いものを使っている。2008年という時限を越えてこれなどは我がオーディオ部屋の不可欠な装飾品になっている。これを観ながらモニカ・ゼッタールンドが若いころにビル・エバンストリオを従えて歌った「サム・アザー・タイム」でも聴いているときのジャズ冥利は格別な味わいがする。

行く年のカレンダー、来る年のカレンダーについて回顧するような時期になってしまった。若い頃のマイルス・デイビスの「ミュージング・オブ・マイルス」が年初を飾る次年度版のユニオンカレンダーをめくりながら、自由業に戻る新年は、余る時間を活用してこのカレンダーに登場する懐かしいジャズ古典に大いに親しみたいと思っている。


世田谷ボロ市風景

2013-12-17 19:18:37 | その他

昼間の長い休み時間を活用して世田谷上町付近の2013年分ボロ市最終日を散歩する。小田急線の豪徳寺に隣接する東急世田谷線の山下駅からボロ市を目指す人で賑わっている。

小さな二両連結のグリーン電車は平日なのに満員状態だ。近くの世田谷通り沿いには昔からの知り合いのコントラバス修理工房をやっている橋本さんがいる。ここにもあとで顔を出すつもりでまずはボロ市の人ごみの中に紛れることになった。

ちょうど昼にかかったものだから露天販売の大きな五目おにぎり、久慈鶏の入った具沢山のすいとん、甘酒という珍妙な組み合わせの昼飯になった。すいとんは世田谷の地域と農村交流がある茨城県大古町からやってきた人達が煮炊き販売しているものだ。これが実に美味い。鶏肉などはそんなに沢山入っていないのにニンジンや大根、牛蒡等とのハーモニーがとてもよくて鶏肉にはこんなに香りがあるのだということを知らされて、なおかつ体の芯もじんわりと温まってきて朝から続く底冷えへの対処ができた。ボロ市の展示露店は実に多彩だ。

古着、骨董、大工道具、杵臼類、地方特産食品、植木、玩具と中には江戸期からの習俗品が混じっている。二時間を丹念に眺めるも掘り出し品は不在だ。心惹かれる品物には昭和期のホーロー挽き薬缶があった。緑色の大きめなものだが、8000円は高い。どこの骨董市でもそれくらいならあるものだからパスをする。

また洗練された都心顔の30才前後女性が小脇に抱えて購買に迷っているウオーカー・エバンスの写真集の値段を訊ねてみた。骨董屋の親父さんは4500円と云っているがそれも高い。3000円が良心価格と洗練顔さんに教えてあげたいが営業妨害になるのでやめる。最近は商品そのものを眺めることよりも商品に食い入る人物を観察することが楽しくこうした骨董市へ出かけている。昔、ストリップを観に行った時、女性の陰部を眺めるよりも周りに群がる客の千差万別な表情を観察している方が面白いと思った出来事を思い出す。

着ているトレーナーの色彩がお洒落な小学高学年の少女が真剣に見入っているものは、昭和40年代付近の未使用ノートブックだ。どこかの文具店の整理品だろうか。デザインの時差に新鮮に驚く少女の顔を見るだけでもボロ市へ来た甲斐を感じてしまう。越前か珠洲風の焼き締め壷、瀬戸の片口鉢、かっての虫が騒ぐようなお買い得品があるが、ものの整理段階を迎えている近況を省みてブレーキがかかるのは進歩なのか退歩なのかはよくわからない。


冬支度

2013-12-15 12:33:01 | 自然

冬になって南からの光は台所部屋の奥まで届くようになってきた。土曜日にオーディオ三昧を兼ねて遊びにきた旧友の置き土産はいつもの今川焼だ。姫路「ご座候」製の横浜高島屋地下売店の焼き立て売れ筋商品である。子供時代は横浜弘明寺にあった「盛光堂」の今川焼をよくおやつで食べた想い出がある。大手スーパーの一角で売っている鯛焼きや今川焼はたいてい似非っぽい化学風ソフト味がするが、「ご座候」のものは皮も餡もナチュラルな昔風の味がする。

今朝はこれの食べ残しが一個だけ残っていた。オーブントースターで焦げ目を強く入れて皮をパリッと硬くして食べるのもなかなか美味い。餡は白餡でこれは下級グレードの「農家の荒茶」という掛川付近産の駄もの煎茶を濃い目に入れたものと相性がいい。マンションに越してきて庭をときどき手入れする習慣がちょっぴり身についた。お茶を味わったあとは日向ぼっこを兼ねた冬支度をする。日常生活というものは些細な憂鬱と喜びの反復である。近頃の喜びはなんといっても秋遅く孵化したメダカを分室に分けて眺めることにある。

親のいる場所では顆粒みたいなメダカは錯視にあって食べられてしまう。ちょうど孵化を確認したころ小さな水槽に移動した。日当たりはよいが木枯らしも吹き寄せてきて夜間は冷える場所だ。今朝も日当たりを求めて水面に浮上するメダカに餌を与えながら冬囲いを作ってやる。断熱材の切れ端を二重に畳んでセルロイド水槽を囲ってやる。これだけでも保温効果はあると判断して親の棲む大型ポリ水槽と両方にかけてあげることになった。この微粒子みたいな子メダカが三月時分には10数匹群れ泳ぐ様子を想像するのはやっぱり楽しいことである。

水槽を囲ったあとは植物類も冬支度する。まず観葉類は全滅しないように室内の明るい窓際にまとめる。赤や淡い黄色の菊類も枝を切って周りの雑草を除けて隙間に植え替える。この春に植え付けた雲南オウバイやモッコウ薔薇の根っこに近いところにも肥料をばらまいておく。オシロイ花と毒だみの畑だった専用庭には手を焼かされるが、一日で片付くものではないという自然の摂理を感じながら、今度は昼飯のパスタ(ボロネーゼ)を準備する日曜日の午後である。


落穂拾いの日

2013-12-08 11:36:54 | 自然

熱帯化した東京がようやく秋めいてくれるのは、皮肉なことに11月の末から12月の初旬になってしまったようだ。風が凪ぎ陽射しも柔らかな過ごし易いお天気が続いている。都内への勤めが無いときは専ら読書とどこかで衝動買いしてきた戦利品をうっとりと眺めて初冬の光りと戯れている。

そして暇の更なる隙間にはバイタボックス同軸2ウエイスピーカーでジュリー・ロンドンが歌う「麦畑」「スワニー川」「草競馬」など今ほど高度化した劣悪に染まり切っていない時代のアメリカが奏でる懐旧っぽいオールドソングをBGMとしている。最近では神保町の古書漁りで見つけた岩波文庫版山川菊栄の「わが住む村」などは反時代をモットーとする自分みたいなものには面白く豊かな本である。

 

日本民俗学の泰斗柳田國男に勧められて書いた神奈川県鎌倉郡村岡村(今の藤沢市・弥勒寺)付近に住み着いた山川夫人の田舎郷見聞録だ。夫が戦前の左翼系の学者として名高い山川均だったせいで、今の日本維新の会っぽい在郷軍人会から移住を反対されて困ったらしいが、その山川均はマルクス理論はともかくとして村岡定着以前に鶉(うずら)の繁殖事業をマニファクチャー的に成功させていたらしい。山川夫妻が住み着いたのは昭和10年代後半のことである。その時分に接した村の古老から口承した江戸から明治初期の東海道藤沢宿とその近辺の村落の有様が山川夫人の素晴らしく曇りなきフィルターをとおして記述されている。

今はなだらかな遊行寺坂が急峻な崖地だったとは!山坂の難行、苦行の旅人に対して活躍する雲助達のその日暮らし的生態、また旅の路銀が果てた行路病死者の埋葬法、現在の消費税と似たり寄ったりの人馬や物を献納させられる江戸幕府の強圧的「助郷」システムに喘ぐ村人の生態、村の年中行事のこと、おまけに古代からの相模地方の地誌的まとめも兼ねているからとても読みやすくて滋養分を吸収しやすい名著だと思った。

次に読んだのは太宰治の留守番弟子だった小山清の「落穂拾い」という短編小説だ。これは季節にも合っている。小山清もとてもマイナーな作家だが筑摩や講談社の戦後名作短編全集の類でも探せばどこかで出会える作品である。10月4日生まれの小山清が「晩鐘」や「落穂拾い」のフランス農民画家のミレーと誕生日が一緒ということに引っ掛けた昭和27年の名作が「落穂拾い」。

厠から垣間見る隣家の読書する少年のこと。夕張炭鉱へ出稼ぎに行った仲間のその後の結婚便り、神楽坂の似顔絵描きの青年のこと、近所の蒸かし芋売りの老婆のこと、三鷹だろうか吉祥寺だろうか小山清が住む町の古本屋の少女店主、心の片隅に温もりを齎してくれる気になる人物について作中で道端に咲く野菊を愛でるように愛でる筆致が小説的ヤマは低いのにやはり素晴らしい。健気に起業して立ち働く若い古本屋の少女店主、店に通って気心が知れたころ、少女は小山清の生誕日を祝って「耳かき」「爪きり」をプレゼントする。いかにも昭和27年風光景かもしれない。その包装紙をうれしく開封するとそれは少女雑誌の付録で、印刷物には世界の科学者、画家といった著名人の10月4日生まれが列記されている。小山清はその店主に感じている恋情というよりは慕情めいた喜びをじんわりと噛み締めていて、それが「落穂拾い」へと昇華していったのだと読後に感じる。