Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

本牧ご縁な雨の週末

2018-09-30 18:48:13 | ラジオ亭便り
台風24号が列島を縦断するという天気予報のせいか、雨も降っていない日曜日の午後も来店客はゼロだ。しかしながら平日の多忙な運転手バイトによる神経の磨耗を癒す良い「開店休業日」と思って気を取り直す。最近は本牧方面に良い縁が続いている。

数少ないラジオ亭の新規客として入りずらいドアを開けてくれたご夫婦が届けてくれた間門方面にある自宅の庭で収穫された梅。今年は豊作だったようで綺麗な「コザクラインコ」の頬みたいな冷凍保管の梅は2キロもあって粒は立派なもの。これをテーブルに広げてブランデー酒に漬けるか焼酎に漬けるか、嬉しい思案をする。

梅を頂いたご夫婦の主人は自分が零細なオフィスを立ち上げて不如意にも30年後に倒産させてしまった渋谷:桜丘町時代の最初に賃貸借していた当時としても古臭かった「親和ビル」のこと等も熟知していた。至近の場所に勤務先があったという事である。行きつけの店、もう姿も無くなって久しい豆腐店が併設していた中華店「南雲」の五目豆腐定食のボリウムの事など、お互いに驚きながら懐かしい話題の共通性に盛り上がって嬉しくなる。来年はらっきょう漬けの季節にお返しができれば良いなと思っている。

本牧ご縁の第二弾はリサイクルショップの収穫品、これもここ数日の話である。年中、クルマで通過しているが寄ったことがない宮原バス停前にある「ブックオフ」とたまに覗かせてもらうNPO法人が運営する「WEショップ」。前者の収穫が3年前に熱海にある歴史的建造物「起雲閣」サロンで収録した「浦井勝美チェロリサイタル」。

浦井さんというチェリストはコンサートの第一線で活躍する方らしいがCDを聞くのはこれが初めて。大好きなバッハの「無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調」のタイトルを見なければ多分買うこともないCDだと思う。第3番の内外の奏者違いによるCDを10種類くらい持っていて、誰も店にいない無聊だけど心の湿気を求める時間帯に中以上のボリュームで聞くことが無上の喜びになっている。

このCDではバッハの無伴奏の他にベートーベンの「チェロソナタ 第2番 ト短調」シューマンの「アダージョとアレグロ 作品70」が演目に入っている。ピアニストは島崎 沙知代さんである。5回づつ繰り返し聴いてみてこのCDの嫋やかで明るい色調のバッハ演奏も魅力だが、ベートーベンやシューマンのようなロマン派の作品に面目を発揮していることに気がつく。予想していたように「起雲閣」の音の響きはナチュラルそのもの。これも収穫の一つであった。


後者の収穫品は塩釉薬を灰釉のベージュ地肌に施して呉須の草紋図柄の抽象図案が魅力のポットだ。これはイギリス風の香りがする。濁った呉須青の絵柄の筆運びはバーナード リーチに通じるような静かな精神性を感じてこれが気にいった。

最近その味の香ばしさに魅了されたノンカフェインの「大阿蘇 万能茶」を煎じた時に使いたくなっている。カフェインを受け入れない体質の方用に専用ポットの役割を果たしてもらおうと思っている。

営業のお知らせ 臨時休業日 10月7日(日) イベントご案内 10月14日(日)1939年製 米国ゼニス真空管ラジオ、フィールド型スピーカーとブルーツースアダプタで聞くモノラル時代のジャズ音源特集、レスターヤング、コールマン ホーキンス、ベン ウエブスター、バディ テイト他のバラード曲を選出 会費ソフトドリンクお菓子付き1000円 午後15時から17時

路上の商談

2018-09-27 11:29:58 | ラジオ亭便り
アルバイト先が横浜の市街地にある。長者町と言って江戸時代に吉田勘兵衞という人が埋立地を開墾して新田を開いた「吉田新田」のエリアに属している。長者町と称するからにはその名の通り、新田開発で儲けた長者屋敷がどこかにあったらしい。伊勢佐木町から石川町へ南北に連なっている「横浜駅前根岸通り」の幹線道路が走っていて地形的には戦後の横浜の繁華街の面影が残っている。

その大通りを歩いて信号待ちしていたら年輩の方から道を尋ねられた。ボート競技の発券場を教えてほしいということだ。目の前の長者町1丁目を左に曲がれば寿町側に大きなビルがあるよと答えた。そこでは全国の競艇レースが実施状況をモニター画面で眺められるモダンな賭博場になっているらしい。礼を言った老人とその場で離れたが気になることがあった。

その老人が赤い長尺物の臙脂色した釣り具を抱えていたからだ。このところ、はぜの試し釣りに出かけても貧果に泣くことが多い。釣りに行く服装でもないと思いながら尋ねてみた。「どこかで竿でも出すのですか?」すると答えが返ってきた。釣り具店の「 高価買取」の宣伝につられて購入価格の高かったカーボンロッドの磯竿を見積もってもらいに行ったらしい。その見積り額を聞いて呆れたとのことである。「700円だよ!」袋の中身を取り出してその磯竿を見せてくれた。購入時の値段は2万5,000円したらしい。私などが持っている駄物竿などに比べれば遥かに風格のある品物だ。

傷みもない綺麗な4メートル位の竿である。それなら私が倍の引き取り価格に送料分くらい乗せるので譲ってくれと申し出てみた。竿のヘタリを確かめてからの商談でこれは快諾となった。ちょうど10日くらい前に金沢福浦の岸壁で同じくらいの磯竿で小アジの投げサビキ釣りをしている人がいた。羨ましいことに入れ食いの目撃である。それから格好の磯竿があればと夢想していたらこういう路上商談の奇跡が起こった次第だ。帰ってから現代生活の渦中に生きている知人にその変なハプニング話を披瀝した。答えは「メルカリの進んだ形態ですね」である。

BluetoothとビンテージラジオSPの邂逅

2018-09-09 16:00:32 | ラジオ亭便り
ラジオ亭にある79年の時を経ている米国製ゼニスのフィールド型大型ラジオはもっぱらLPレコードのモノラル再生に使われている。それがここにきて現代のBluetooth機器との幸せな出会いがあって真価を発揮する事態が生まれている。ゼニスにはモノラルの真空管アンプがラジオキャビネットの内部に搭載されている。そこにフォノやCDなどの入力信号端子をラジオ受信とは別個に新設した。そこへ米国ダイナコ製プリアンプを経由して各種音楽ソースを楽しんできた。
1950年代以前の古い時期の再生にこだわってきたのだが、モノラル再生の分厚い音像のリアリズムに魅了された最初のスピーカーがJBLのハーツフィールドだ。これに衝撃の対面をしてから何年経ってもモノラルの桃源郷を求める自分がいて今のゼニスラジオの再生理想もこの時の音のイメージに繋がっている。アルテック604E、ハーツフィールド、アルテック系群小スピーカー、ドイツの戦後復興期小型スピーカーという過去に巡りあって離別した私的魅惑機器が心の中では変わらない姿で取り巻いている。

形而下的生活ではしがない暮らしを強いられながら各種転向を繰り返す日々だが、一時借り上げにて到来したゼニスラジオの音楽再生の為の精神力に助けられ人生晩境における感嘆がますます深くなっているこの一年だ。先だっても数少ない常連客の一人S女子が水筒形状をしているBluetoothスピーカーのペア入手ができたと報告にやって来た。ついでに音楽のソースをケーブルを経由しないで信号変換出来るアダプターのネット情報一覧を見せてくれた。どれも2・3000円程度で競争している。その中の一つにEsinkin BT Adapterというものがあった。

これを現代メディア、検索活用大魔神の、女子に頼んだら商品は翌日に届いた。モノラル再生のLPは在庫的にも限度がある。そこで在庫がほぼ無限のネット上の音源をBGMにしてゼニスのフィールドスピーカーから再生してみたくなった。S女子の卓越した検索力を得てアイパッド、アイフォンの音楽ソフトからモノラル期の記憶に残っている名演を選んで貰う。
ダイナコの真空管プリアンプを経由しないそのEsinkinアダプターとゼニスラジオのモノラルパワーアンプを直結する。さすがに附属品としてあったRCAピンケーブル端子は貧相で頼りないのもので昔買ってあったロジウムメッキを奢っている極太ケーブルに取り替えて聞いててみる。Bluetoothアダプターとの価格差は10倍にもなろうか?

一時期、ディスクマン風のDVDプレーヤーをゼニスラジオのプリアンプ経由で楽しんでみたことがある。これにはLP再生との差がありすぎて途中で飽きてしまいやめてしまった。いわゆるデジタル臭である。その時の轍を思い描いて聴き始めてみた。カザルスとコルトーのベートーベン、エリー・アメリングのシューベルト歌曲、アントニオ・ヤニグロとイエルク・デムスのベートーベン二重奏、ペギー・リー、ビリー・ホリデー、LP時のふっくらした厚みには欠けるもののゼニスラジオから流れる器楽や声の忠実再生を反映した清澄なリアリティに心を打たれる。これで味をしめてこうしたBluetoothアダプターの味違いを遍歴し始めるとオーディオというものの際限ない魔界に陥ることになるのでキリの良いところで古き物と現代の幸福なブレンドを試してみることにする。
営業ご案内 9月15日(土)16時より

気温22度

2018-09-02 12:26:31 | ラジオ亭便り
なかなか去らない猛暑を嘆きながら、中村川沿い吉浜町の緑地公園で真っ赤な木槿や房なりの百日紅の一向に衰えぬ夏花を眺めていたのが三日前。9月の声を聞いて二日目、ようやく秋雨前線の影響で照り返しが弱まったせいか、今日の寒暖計はお昼になっても22・5℃で上がる気配がない。

中区にある福祉施設、ギッフェリが販売している一個90円のイタリアパンのカパナという簡素な白パンと豊水梨、ホットコーヒーという組み合わせにも違和感が湧かない、永く続いたこの夏の休日素麺の季節も終わりかなと感じる一瞬だ。

店開け前の自転車散歩は恒例の本牧埠頭へ向かう千代崎川の暗渠裏通りを辿る。小港付近の海側の倉庫街に面した河口の無聊な景色が好きだ。

飛び交っている磯鵯、潜り名手な単独行の川鵜、繰り返し水面を飛び跳ねる鰡(ボラ)の煌めきのフォームを飽きずに眺めている。そんな光景を見ていると大昔に読んだことのある昭和初期のモダニズム詩人の流派、「ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)」に属していた村野四郎の「体操詩集」などを思い出すから記憶というものは不思議である。そこで思いついた河口に佇んでのノイエザッハリヒカイト風心象一句。
「 汽水には 鰡の跳躍 鰯雲 」

本牧小港付近には漁業の盛運に因んだ昔の信仰の旧跡がある。「本牧十二天」もそんな一つだが付近は人っ気がしないトラックが横づけする無味な倉庫街が続いている。肝心の十二天は非公開の敷地になっているらしい。比叡の東山麓にある日枝大社の杜みたいに人々を静謐に癒すような公開緑地にでもしたらさぞかし良いだろうと思いながら自転車を漕いでいたら既に早目な秋を見つけた。街路樹の銀杏が舗道に実を落とし始めている。つい数日前に出会った座間の「野葡萄」の色付き変化も然りである。