Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

老人天国

2012-03-26 20:29:28 | JAZZ
日本最古のジャズ喫茶「ちぐさ」が復活するという噂を耳にしていた。3月11日オープンという新聞記事も目にしていた。ジャズ界の名物店主だった「おやじ」こと吉田衛氏を慕って通っていた昔の常連さんグループの尽力で再開にこぎつけたらしい。

自分はちょうどジョン・コルトレーンが亡くなった1967年前後の数年間が「ちぐさ」詣のピークだった記憶がある。毎日、昼から閉店の10時まで居座ってジャズを聴く毎日といっても大げさではない日々だった。
客に対して水のサービスもない、愛想などは更々ない高圧的な「おやじ」だったが、コーヒー一杯で長時間居座っていた自分みたいな客を詰るということも全くないジャズ上の同志を黙って遇しているというような、やはり一風変わった人物だった。


今は他界してしまった女房の実家が京急日の出町駅前にあって、そこは横浜でも古参の和菓子舗と甘味喫茶を兼ねていたせいで野毛にあった「ちぐさ」とは喫茶組合みたいな組織で同じ地域カテゴリーに属していたらしい。
ときどき連れ立って「ちぐさ」へ寄ると「おやじ」は女房の出自をあとで知ったせいか、大抵ジャズ以外の世間話をまだ若い時分の色香を放っていた彼女に向かって機嫌よく交わしていたものである。

あれほど憑かれたように通っていた「ちぐさ」にも結婚後はどういうわけか足が遠のいてしまった。20代前期から都内通勤になって自分にとってのジャズ上の河岸が都内に移ってしまったせいもあるが「ちぐさ」へははその後数える程度しか立ち寄っていないことに今回気がついた。むろん、「おやじ」が90年代に亡くなった時も閉店というニュースを聞いたときも深い感慨はあったが、店へ寄るということもなく青春の遠景を慈しむような気分だけが支配していた。

今回の再訪は実に十数年ぶりである。戸外の光りを採り入れる窓もある。野毛という場末感の色濃い街角も見える。昔、見覚えのあるスピーカーやアナログプレーヤーも健在だ。2基のサイフォンコーヒーも「ちぐさ」らしい。再開したという店内を見渡す。お客は自分も含めてカップルも夫婦も老境圏内に足を踏み入れている連中ばかりだ。ざっと数えて15人以上がいる。そんな人々が白髪や禿頭を揺すって一生懸命、モダンジャズに耳を傾けている風景にも被虐的感銘を受ける。

いつもジャズは音そのものと豪語しながらドでかいサウンドで悦楽境を彷徨っているベツレヘムレコードの愛聴盤「MAX BENNET PLAYS」がちょうど流れ始めて気をよくする。
美味いサイフォンコーヒーを飲んで3枚ほどLPを鑑賞したあと、同行した都内から来た女友達に「ジャズは老人の音楽になったね」と水を向けてみた。「ちぐさ」を運営するスタッフも老人、お客の多くも老人、再開した「ちぐさ」が老人達の元気を与えてくれる場として延命してくれることを願わずにはいられない気持になって店を後にする。

思索者・吉本隆明さんの死

2012-03-16 17:03:40 | その他
遺跡発掘の土方バイトを四日続けるとどこか身体の遠くの方で軋み音が聞こえてくるようだ。就労してからまもなく丸四ヶ月を迎える。工事現場に隣接する竹林では鶯の地鳴きも始まった。大きな空き地の上空には雲雀がやってきて、まだまだ遠慮勝ちに囀ってホバリングを繰り返している。春はそこまでやってきているのに、吹き寄せる風はまだまだ冷たい。

予定に沿った休日をとって遅めの起床ができたせいか、今朝は落ち着いた気分で自炊の朝食ができた。小さな蟹をあしらった鉄絵模様の土鍋に冷や飯をいれていつものお粥を作る。副菜は油揚げの煮物、ロースハムと目玉焼きという組み合わせで、食後に七沢在にある小金井酒造製の夜半に煮込んでおいた甘酒をコーヒーカップで喫する。こんなに酒精のよき香りを温存させる上品な酒粕には滅多にお目にかかれないもので地産地消の恩恵とはこういうものを指すのだと痛感する。

コーヒーを飲みながらパソコンを開いてみると、YAHOO時事ニュース欄に批評家吉本隆明さんの逝去が報じられている。自宅に近い文京区・千駄木の病院で肺炎を悪くして亡くなったらしい。87歳。感無量!の思いがする。

「南無阿弥陀仏」の復唱こそが現代の親鸞者吉本隆明にはぴったりだと思い、我が家に残っている吉本さんの著作50余の単行書籍の傍らに春めいたあぶら菜の黄花でも添えることが、「庶民吉本隆明」(詩人谷川雁の造語)にふさわしい手向けにつながればよいと思う。

自分が17才の青二才というべき時期に出会った「抒情の論理」(1959年未来社初版)や「芸術的抵抗と挫折」以来、この詩人、批評家から教えられたた思索上の影響や衝撃は測り知れないものがあって宗教学者の中沢新一の言葉ではないが、以来、ことあるごとに吉本さんだったら、この事態をどう考えるのか?と想像を巡らせる癖が数十年に亘ってついてしまったようである。

論争家だった吉本さんも後期では敬愛すべき知友埴谷雄高とは高度消費社会をめぐって「荒地」の沈鬱なる巨匠鮎川信夫とも反核署名の余波めいた諸々で袂を分っている。オウム事件では初期の原始キリスト教論から一貫する立場を主張して家族からも総スカンを食ったようだ。「死ねば死にきり」という言葉は吉本さんの好きな言葉だったようだが、どうか安らかに成仏されることを祈ることにしよう。

GRAND STREET STOMPERSの画像・続き

2012-03-07 21:39:20 | JAZZ
恵比寿駅の近くに「ホワッツ・ディッケンズ」というアイリッシュ・パブがあった。有名な英国の小説家ディッケンズのお化け屋敷を模したキッチュなインテリアのお店ながら、チャージも取らずに注文するドリンク類、おつまみ類も全てカウンターへ出向いてキャッシュ交換というドライなシステムがさりげなく地についていたせいか、付近の代官山あたりにあるお澄まししたカフェバーなどの間隙をついて繁盛していた記憶が残っている。
都内での仕事が終焉してかなりの時間が経っているせいもあって、その店が未だ営業しているか否かその消息はわからない。この店が今も続いていれば毎月一回のある日の晩にトラッドジャズの楽しいライブが行われているはずで、また寄ってみたい気持になっている。プロとセミプロのトラッド系ジャズメンが入り乱れて演奏していると先陣をきってダンスを始めるカップルの常連客が登場する。そこへ在日外資企業へ勤めているグループ客も輪に加わって老若男女が明朗なスイングジャズの名曲(例えば「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET」みたいな超有名曲)に合わせて即興ダンスを繰り広げる。これを眺めながらおしゃべりしたり、演奏者のソロプレイに耳を傾けるのは、いつもハッピーなよい後味を残してくれたものである。先日のブログで紹介したYOU TUBEの画像への感動を反芻している時に想いだしたのが、「ホワッツ・ディッケンズ」で味わった同質の感情である。
あとで調べて分ったことだが、小柄な東洋系アメリカ人をリーダーとする「GRAND STREET STOMPERS」バンドは路上派だ。駅ホーム、街路、ビルのエントランス、どこでも彼等の音楽は雑踏の恍惚を生み出す。日本でもこうしたバンドがどんどん生まれるとよいと思って、続きの画像を紹介してみたい。