Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

お揃いと色違い

2011-04-27 09:13:54 | 
天気が悪くなるまえにわかったことだが、住まいの付近は
西北側に数百メートルクラスの低山が囲んでいる地形だ。
それらの山に塞がれた風が強く吹き戻すと大抵翌日は雨に
なることが三年間の生活で体感したことの一つである。
今朝も強い風が吹き荒れて裏地の孟宗竹をしならせている。
笹の葉がカサコソと擦れあう音を聞いていると、少し離れた
日当りのよい土手に竹の子が二本、地面を盛り上げている。
これで三本目の自給食材の調達に恵まれた。

夕べも関西帰りの友人夫妻が寄り道してコーヒーを飲んで
しばらく談笑した。帰宅ついでに静岡の由比で買ってきた
農家自製の「金山寺味噌」を土産にくれる。こちらもアクを
抜いて茹でてあった最初の収穫竹の子を物々交換する。

帰り際に伊勢原から平塚方面に抜ける県道沿いでたまに寄る
「戸隠」という蕎麦と定食の店に誘われる。
この店は昔ながらのジェンダー経営、ご夫婦の微笑にも世俗
的欺瞞はなく、有形・無形のサービスが心地よい零細店だ。
久しぶりに寄ってみたいと思ったがぐっと我慢して淡白なる
自炊にいそしむ。恋人時々友人の女性が選んだ信州の十割
蕎麦を茹でて、これの副菜は胡瓜と頂いた「金山寺」だ。
無論、付け出しの肴は初収穫時に薄煮した竹の子である。
冷蔵庫に料理素材としてストックする「土佐鶴」という酒を
麦藁手のお猪口に注いで暮れる春宵の真似事をする。

母のオートマティズム

2011-04-26 12:18:49 | その他
信州土産の美味しそうな「蕗味噌」と「みすず飴」を見比べて
いたら、「蕗味噌」は自分用、「みすず飴」は施設に住む母に
よいという直感がしてさっそくスクーターで施設に向かう。
その前に小分けして父親と亡妻の位牌がある仏壇にも供えるの
も大切と、財木屋製の線香をたいてついでに咲き始めた躑躅の
小枝を切って一輪挿しと一緒に置いて陽春を愛でることに。

ちょうど母の施設は三時のおやつ時間、仲間のお年寄りと整列
しておやつを食べる母の姿を遠くから眺めると、この一年の間
にすっかり身の丈も小さくなってしまった。
面会室での会話は耳が遠いのでいつも筆談だ。このみすず飴は
ゼリーみたいで柔らかな歯ごたえと控え目な甘みが昔から一貫
している。好物が到来した時の母はいつも相好を崩すのではな
くむしろ渋く不機嫌っぽい表情で自分の袋へ素早く仕舞いこむ。
戦中、戦後を生きてきた庶民の擬態的表情なのだろうか?
早い夕食が終えて小腹の空くようなときに、施設員の視線を
警戒するように好物を取り出す母の姿が浮かんでくる。

談話していると気のよさそうな若い看護師が書き込み板を持って
母に質問をする。
どうやら朝の便通報告のようで、「2センチくらのが5つ」と
応え腹の周りをこする仕草をする。
その応えに続いて「あんたも赤ん坊の時はよく緑便ばかりして」
「生まれたときは産婆さんがおでこに大という字を貼り付けた」
「へその緒を切るまもないくらい勝手に転がってしまったよ!」
「あんたの親指、生まれたときとおなじように「蝮指」だね」
心配事に混じって出る言葉はオートマティズム的言語奔出だ。

廊下に張り出した筆書きの季節言葉は「新緑」「山女」という
題で母は私の名前に関連する一字をとって「新緑」でエントリー
している。
一時間くらいして施設を辞する時の私の仕草はいつも母の右肩
をポン!と叩くことである。


武相荘の緑

2011-04-25 10:25:59 | その他
鶴川駅から近い白洲次郎・正子夫妻がかって住んでいた
「武相荘」を訪れる。桜もすっかり葉桜になってしまい
里山は山吹と八重桜、そして藤の房も垂れ始めてすっかり
初夏の装いである。
ちょうどこの時期には白洲正子の「生誕100年」を記念
した仏像展が世田谷美術館で開かれているらしい。
白洲正子がよく歩いた近江、紀州、京などの仏像が一堂に
会する展示会で我が借家の真上とも言うべき古刹日向薬師
の薬師三尊像も東日本地区のお寺からは、唯一展示との噂
も聞いている。しかし休日で駐車場の混雑なども予想され
腰がひけてしまい一度訪ねたことのある「武相荘」に日和見
することにした。
昔の東京府鶴川村能ヶ谷在も戦後の人口増加による郊外開発
で里山の優美な丘陵が魅力だった付近は、すっかり西洋菓子
めいた住宅密集地になってしまったようだ。
白洲邸の一角だけは辛うじて保守された「武州」の残像が
残っているようだ。
長屋門の奥に広がる母屋の南側に面する庭の風情が素晴らし
いのは京都などの寺院でみられる意識しすぎの整理・整頓と
異なる放置感の魅力といったものだろうか?
終わりかけている真紅の椿、柿の若葉、群生するシャガ、
太い孟宗竹に覆われた竹林をなにげなく眺めていると「緑」
という語彙が浮かんできて「嗚呼緑なんだ!」という内語の
呟きが漏れてきそうになる。
母屋の西にはクヌギ、欅、楢などの雑木林が広がっていて
ここは樹幹や葉陰に舞い降りる光りの遊び場を作っている。
木立の繁みに悪戯っぽく放置された琉球の「シーザー」も
光りに沐浴している様子である。
母屋に展示された古瀬戸、織部、唐津、一級クラスの織布
作家の諸作品は、選んだ白洲正子の眼力が反映してるから
無論素晴らしいのだが、この剛毅な田舎屋敷を映えさせる
最大の魅力は四季の草花であることに気がついた午後である。


竹の子のお駄賃

2011-04-22 12:03:00 | 
借家の敷地はかなり広くて裏といってよいのか、東側といってよいのか、そちらはすぐに草がぼうぼうに生えて始末におえなくなってしまう。
これから蒸し暑くなってくる季節は雑草類の繁茂は猛々しいほどになる。
雑草が繁ると山蛭という吸血虫や蛇のよい隠れ家になるから、田舎の人々は暇さえあれば敷地の際を刈り込むという習い性が身についているようだ。

先日まで冬枯れの空き地には「はこべ」「貧乏草」(ヒメオドリコ草のこと)「スカンポ」がびっしりと覆い尽くしている。
農作業が趣味といえる大家さんと朝の立ち話をしていて初夏を迎える前に刈ってしまおうと、二人で鍬を持って午前中の一時間をいそしむ。
お寺の参道に傾斜した竹やぶもこの敷地に属しているからそろそろ竹の子が顔を出す頃と予感していたら、あまり太くはない竹の子の先を見つけた。
草取り作業が生み出す余得というものである。
汗をかいて雑草を隅の方に寄せてからこの竹の子を掘り出してみる。
まだ小さいが採ったばかりの竹の子は、早く処理をすれば刺身でも、煮付けでも芳しく柔らかく深い味を楽しめる。

さっそく湯がいたあと、鰹節の出汁で醤油煮を作ってみた。お昼のざる蕎麦の副菜に向いている旬の味だ。
雑草類の混生する中にひっそりと咲く「野いちご」の淡い花を灰釉の花器に挿すだけで陽春のBGMを奏し
はじめる様子も竹の子と同じように季節がもたらしてくれるお駄賃にちがいない。

315円の花器で遊ぶ

2011-04-21 09:21:12 | その他
二十四節季でいう「穀雨」にふさわしいどんより空だ。
少し早く植えすぎたと思っていたジャガイモが、六畳一間くらいのミニ菜園の盛り土を跳ね除けて若葉を繁らせ始めて安堵する。
窒素やカリを混ぜた市販の野菜肥料を追肥するちょうどよい時候が「穀雨」の頃。
余分に繁る若葉を間引きして、時どき、栄養を与えることをさぼらなければ、6月の下旬には茹でてよし、煮てよし、焼いてよし!な「男爵」や「きたあかり」といった新ジャガをほお張る楽しみが待っている。

伊勢原の町へ下りたついでに寝床用読書本をブックオフにて漁る。
支離滅裂な選択ながら自分の中では趣味が繋がっているところが面白い。

関東軍参謀だった石原莞爾の「最終戦争論」。北九州の土と血が恒常的に香りたつ村田喜代子の「蕨野行」田中澄江「花の百名山」玄侑宗久監訳・葵志忠作画の「マンガ 仏教的生き方」半藤一利の「昭和史」など全て文庫本、半藤以外はオール105円!

東条英機と衝突して陸軍の窓際族となった石原は、完全武力放棄を戦後唱えたとのこと。故郷山形で農本主義的生活を送った石原莞爾の晩年の沈黙に興味が湧く。
16歳から始まった白樺派→マルクス主義→吉本隆明的自立主義は自己流通奏低音を奏でながら、時代への触覚フィルターとして我が余生に往還していることを痛感!

ブックオフのついでに、これ以上駄モノを見つけるのが困難と思われるすぐ横のリサイクルショップを覗く。
古本屋へ入ったときと同じで一瞥のスピードたるや電光石化の早業だ。
つまらない有田や京焼きの花器の横で不機嫌そうに寝転んでいる備前焼を発見する。
高さ30センチ弱の手桶型花器だ。3150円!と思いきや315円。不憫を感じて甦らせてやろうと購入する。

備前の約束ごとである桟切りもあるし、緋色も出ている。
手桶の手提げ付近のざっくりと切り立てたごつい質感は付近の色がモノトーンな黄土色で、かえって現代塗料風の前衛性が漂って面白い。家に戻って窯印を調べたら、金重利陶園のマークで数モノらしい。
しかし315円はないだろう、いくら茶色で爺むさいと思って値をつけた店員さん!
敷地に自生するいまが盛りの淡い紅色の八重椿を生けてあげたら、この手桶花器は都内世田谷付近の旧家の居間に昔から佇んでいるみたいになった。