Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

あの頃の雑誌 

2022-01-29 03:29:53 | ラジオ亭便り

古本屋のカタログ等の積み上げコーナーをひっくり返していたら、雑誌「映画芸術」の1968年7月号が紛れていてこれを買う。110円。54年前の新刊定価が230円。ジャズ喫茶のコーヒー代が100円くらいしていた頃で、おいそれと買える雑誌類ではなかった。どなたか?定期購読者用のバックカーボン納品伝票が、ページ中に挟まっている。「流水書房」!聞き覚えのある都心型の本屋さんだったな。

54年も経ているだけに紙の黄ばみ、劣化は著しいけど、グラビアの新作邦画のモノクロPRページを捲るのは楽しい。勝新の兄貴、若山富三郎が日本刀を片手に、物凄い威嚇顔をして仁王立ちしていている「極道シリーズ」のスナップショット等も時代を物語っていて笑える。菅原文太が端役からのし上がっていったのもこの時節だったような気がする。特集ページはルキノビスコンティ監督のカミュ原作「異邦人」。セリフ脚本が全て載っているので、寝床読みしてみたい。

特集テーマが「論争」、「論争のための論争」。あの頃は現代が求めている「わかりやすさ」よりも「わかりにくさ」の方が尊ばれていた。論客登場者の名前に覚えも。松田政男、仙波輝之、斉藤竜鳳、岡庭昇。論争好きの方々が誌面を彩っているではないか。特集の見出しに誘われて、仙波輝之「花田清輝の芸術運動論の功罪」を読む。

知り合った年上の、後に婚姻届を出す妻に誘われて東中野にある「新日本文学会」の武井昭夫を講師にした読書サークルへ、数回参加した思い出が蘇ったもので。武井昭夫は花田清輝と組んで「運動族の意見」等の本で、代々木共産党的教条主義ではない左翼文学の再構築を目指していた。

読書サークルのテキストには、ブレヒト、秋元松代等の演劇テキストが選ばれて質疑をしていた。ちょうど後に「復讐するは我にあり」を書いた佐木隆三が八幡製鉄の社員時代にものした「じゃんけんぽん協定」が世に出た直後の「新日文」が思想的に疲弊し尽くす前の時代に適合している。武井氏もその師匠格の稀有な修辞家、花田清輝も、最後までソ連中共型社会主義への幻想を捨てきれないまま、あの世に旅立ったことを古い雑誌の記事から思い起こしている。

 


ハゼの甘露煮

2022-01-18 20:05:57 | 

2021年の夏から秋にかけて汽水域のハゼ釣りをよくした。場所はJR桜木町駅に近い大岡川の河口、金沢八景の平潟湾である。どちらも昔に比べれば水質は格段に良くなっている。釣行回数は12回くらいなので、最高記録である。アルバイトを辞めて閑居時間が増したせいであろうか。夏に釣った小型サイズは唐揚げが最適。10月頃の秋口に育ったものは、焼いてから風干しする。乾いたら冷凍ストックして溜め込む。これを京番茶の煮汁で下煮する。煮詰まったら、昆布、三州本味醂、ザラメ糖、本醸造醤油、日本酒を出汁にしてコトコト煮詰める。

良書「自然流だし読本」(農文協)で展開されている化学調味料否定論旨を自分も貫いているのは自明の理である。これを大晦日に集まった友人やお客さんに振舞えたことは2021年の喜びの一つになっている。その甘露煮もそろそろ終わりになってきた。常連客の一人、元大型船舶の乗員Sさんは酒と魚というものの味を知り尽くしている。三重県の南端、尾鷲付近の黒潮が効いている海で釣りをしているから、ハゼのようなチンケな雑魚には、釣りの対象魚としては目もくれない。カンパチ、キハダマグロ、マハタ、クエの世界である。

そのSさんがビールを飲みに寄る度に肴として供するのが、やはり化学調味料無添加の大根醤油漬け、辣韮、この甘露煮である。無駄な事を喋らないSさんがビールと交互に甘露煮を摘んで満足そうな顔になっている。今年も三重県に帰っていないSさんのタイミングが合えば、横浜の知る人ぞ知る、岩井の胡麻油を使って揚げる、ハゼとメゴチの天麩羅にでも挑戦してやろうと思っている。


冬の夜と似た人

2022-01-15 21:33:15 | ラジオ亭便り

年々、寒さに弱くなっている。エアコンの熱は嫌いだ。寝る前に石油ファンヒーターをつければ、部屋は暖まるのに切らしている灯油をガソリンスタンドへ買いに出かけるのが面倒である。そこで寝床の脇に電気ストーブを点けて読書している。寝入る前に電気ストーブを消す頃には、先に布団へ入れてある湯たんぽと自分の体温が効いてきて朝まで何とかなる。湯たんぽの微温が心地良いのはここ数年の発見である。

寝床で読むのは古本屋の均一本コーナーで見つけておいた釣り随筆本、民俗学、食文化本の類いである。この前に読んで印象に残ったのが、「無限抱擁」くらいしか知らない瀧井孝作(文豪志賀直哉の信頼厚き一番弟子格的小説家)の角川新書の「釣なかま」。さすがに場末の古書店もこの手のやや古目な趣味本は100円棚に投げださないところが、商売というものの矜持なのだろう。220円。

瀧井孝作は八王子市に住んでいたようで、八王子から遠くない相模川、桂川、多摩川上流などの覚えがあるポイントの昔日の駅名や川相描写に親近感を覚える。もう一点は釣果をめぐる豊漁と貧果の虚飾なき心理記述の塩梅加減、リベンジを企図する釣り仲間との懲りない生態描写は、我が身に照らす時にも頷けるような気持ちにさせる、こうした一級私小説家ならではの妙技なのだろう。

最近読んだもう一つの寝床本が岡本綺堂。「綺堂随筆集 江戸っ子の身の上」(河出文庫)、随筆が小説の世界にも往還するような、淡い不気味を描かせたら天下一品の近代作家だ。この随筆集に登場する品川から川崎大師への参詣途上や帰路にも何度も出会う少年との奇遇話も面白い。タイトルは「大師詣」。世の中には因果が解きほぐせない摩訶不思議な事象があることを綺堂随筆集が知らしめている。

これを読んだからではないが、私も暮れに京都の東寺「弘法市」へ寄ってみた。京都を代表する大きな縁日だ。その時に撮っておいたスナップ写真を帰ってから何気なく眺めていた。すると撮って記録したファイル写真中に、オーディオ仲間で物故者であるHさんと瓜二つの人物が写っている。撮った時点のこちらの意識にも全然、登場する筈がない。最晩年の二年は、現世の四苦八苦と病気に苦しむ噂はこちらにも流れて来ていた。しかしそのスナップ画像は、Hさんがラーメンなどを愛好していた暫く前の姿形に似ている。もの好きだったHさんも未だ見残している場所を徘徊して成仏し切れていないのではないかと、岡本綺堂を読んでいたら、尚その意を強くした次第である。


雪歩きの古本屋

2022-01-07 03:21:43 | ラジオ亭便り

麦田から歩き始めるほぼ日課のベイサイドウオークの会。2022年を迎えて近隣の仲良しと三人歩きが続いている。凡そ10ヶ月持続しているお陰で右膝の変形関節痛が消えてきたのは、気のせいでもない。時々、愛読している吉本隆明の晩年インタビュー本、例えば「生涯現役」(洋泉社新書2006)のような本には、老年期を迎えた自分にも当てはまるような格好の省察がたくさん含まれている。

思うように働かない身体の機能と心との日常的ディレイ事象、老化という誰もが通る自然の摂理への対処法がシンプルにマルクスや親鸞の自然哲学を経た十分なる咀嚼の上に語られているところが、この本からの学びどころである。さしずめ私などの日課歩きもこの本の語りによれば狭くなって横着に堕しやすい自然過程へのソフトなる負荷くらいに思って、頑張りすぎない散歩ペースを維持している。

1月6日は歩き会の終点、「万国橋通り」沿いにある合同庁舎内、昭和レトロ風「喫茶室」へ着いた頃は粉雪も大粒に舞っている。横浜在来のパンブランド「かもめパン」。このカフェでは、「かもめパン」の食パンがトーストに採用されていて普通に美味い。たまに食する「コメダ」のトーストパンよりも大工場パンの化学的蒙昧食感が希薄なところが美点。昭和的工場制手工業の残香を味わう。

雪が強くなって同行の仲良しさんと、偶然来たバスに乗る。20系統山手駅行き。港の見える丘、北方町、諏訪町付近の丘陵地帯の細道をくねって通過する市営バスだ。駅の手前の大和町バス停で下車。二人共通のお目当ては古本屋「自然林」。雪の降りしきる店前の均一本から正月読書用を良品ばかり。里見真三「賢者の食欲」志村ふくみ「母なる色」日本の名随筆50「歌 加藤登紀子編」ヘンリーカメン「スペイン 歴史と文化 丹羽光男訳」

吊るされた裸のEMI製オーバル型スピーカーからはテレマン風のバロック音楽が流れて、雪の日を彩っている。