Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

シニア婚活会で鎌倉・天園ハイキングコースを歩く

2014-05-07 20:48:39 | 自然

月に一回の日曜日にシニア婚活パーティーの司会アルバイトを頼まれている。渋谷のホテルが会場だが、各社TV系大メディアの取材があった直後はその会がやっている各種イベントの参加者がグンと増えている。70代も半ばに手が届くという老人も伴侶を求めてこの倶楽部に参加して10年近くなるという。月にこの種の会に参加している費用が5万円かかっていると苦笑している。参加期間が長いほど伴侶と出あうという確率はどんどん低くなるようだ。その人も毎回ふられているらしい。しかしその老人も今では独り身の無聊生活がすこしでも華やいでいればと参加している。異性よりも同性の単身者とカラオケやハイキングへ同窓会気分で交流する場に変貌している様子である。しかしTVを見て参加してきたという妙齢で新顔のバツイチ系や未亡人系婦人をみると目の色が変わるところなどは、自分も含めて男というものは幾つになっても馬鹿だと思う瞬間だ。その会でGWのイベントがあった。

 

北鎌倉駅に集合して、初夏の天園を歩く恒例の企画らしい。アルバイト代金に色をつけてもらっている引け目もあってその会のリーダーの誘いに乗って混雑の鎌倉へ出かけることになった。参加は男性30人、女性20人という割合の臨時世帯になる。天園コースはまだ20代の洋光台在住の頃、峰薬師付近から瑞泉寺というルートを二度ほど歩いたことがあった。あれから数十年の歳月が経っている。今回は建長寺の庭園内から登って覚園寺付近、鎌倉カントリー裏の野原で弁当、しばらく尾根伝いを上下しながら瑞泉寺、鎌倉宮へと向かうコースである。石段の登りには息が切れるが、自分と同世代か、または年長者が多いから気は楽な方である。

 

60代後半とおぼしき長身痩躯の紳士はロシア語も堪能らしい。建長寺の御堂脇で休憩していたときに6年間付き合っていた超我儘オンナと別れてさっぱりしたことと無念やるかたないという両面性の独白を会のリーダーに向かってしゃべっている。その紳士も懲りないところがあるらしく建長寺の庭では参加者の女性にどうやらお気に入りを見つけたらしい。猛然とアタックを始めている。女性は受け流しながら平然と山道を登って笑顔で応えている。しかし皮靴の紳士は急登で息を切らしている。女性についていくことが精いっぱいの雰囲気である。蒼白な顔が歪んでいる。ファッションもスニーカーなどではない革靴だし、おいてけぼりかなと行く末を傍観する。集団がばらけて山頂付近で紳士カップルはどうなったのかと、誰かが案じていたら、皆の集団より先に尾根にある茶屋で女性と談笑しているという電話がリーダーのところへ来たらしい。

あれだけ苦悶顔していた人が女の吸引力に引き寄せられたのだとリーダーと笑いあう。久しぶりの天園付近の雑木林、山藤が隠れるように咲いていてその花ビラが山道にハラリと舞落ちている。鎌倉宮で会は散会、ちょうど帰り道の小路沿い清泉小学校の向かいにあるカフェ「サン・スー・シ」へ寄って蓄音器を聴く。ついでにテラス付近でまどろんでいる猫としばし戯れて、シニア婚活会の女性とは戯れるチャンスは巡ってこなかった。


RCA大型プレーヤーで聴いたペギー・葉山

2014-05-04 06:55:12 | JAZZ

滅多に完動品とはお目にかかれないしっかりメンテ済みのRCA社の放送局仕様レコードプレーヤーと対面する。なんどか間近にあったNHK仕様のデノン製プレーヤーよりも背丈が低いせいかそれほど威圧されるほどの躯体ではない。さすがにアルミダイキャストの大型ターンテーブルは16インチとデカイ。日本では神話作りが下手ではったりもなかったせいかRCA社プレーヤーは、EMT(ドイツ)トーレンス(スイス)ガラード(イギリス)のようには名機種としての名声を確立していないようだ。

アナログプレーヤーでレコードをかけるとそのプレーヤーが奏でる再生音の良否をすぐに識別できるという名人のお宅で聴かせてもらった。戸外なのか室内なのか区分もつかない劣悪環境の俄か仕立てな場所だ。ソースは様々、45回転のEP,78回転のSP、33回転のLP、が一通り聴けるという名人の配慮は十分に整っている。入口はRCAだが、つないであるアンプ類、スピーカーも悪くはないけど良くもないミニなデジタルアンプ、松下製テクニクスのシスコンまがいなスピーカーを眺めるとこれで平気なのかいな?という不安がよぎるような適当という言葉にふさわしい組み合わせだ。その晩には調整も終わって名人の土間を立ち去るという希少なる幸運に出くわしたのだ。つないである機器間に耳を傾ける。あの一定間隔に聞こえるランブルゴロは聞こえていない。RCAプレーヤーは貧相な機器を通過したからといって一緒に貧相な音へ同化したりしない。軽々と豊かに音は音楽の輪郭や奥行に溶け込んでいて気持ちがよい。アメリカの50年代前期のレコード、コロムビア、キャピトル等のレコードを聞いているときと同じ、ものともしないという形容がふさわしい再生音質だ。

もう何十年も持っているのに聴いたことがないゲオルク・ショルティ指揮になるシカゴ交響楽団のベートーベン「エロイカ交響曲」を名人がかける。これはロンドンレコードのセカンドバージョンである。マニアならセカンドと聞いただけで嫌気がさすのだが、RCAプレーヤーはセカンドだろうと何だろうとお構いなしにオーケストラの力をグイグイと押し出してくる。同じショルティのレコードを渋谷の名曲カフェ「ライオン」あたりで聴いたらいつものベールを被った国内盤風ショルティということで帰結するのだが、やっぱりRCAはちがう。疾風怒涛!精神が漲っているショルティを現前化する。デルフォンプレーヤー、トーレンス124のいい状態に出会った時と同じ音がするから全く不思議である。この俄か試聴ではエディット・ピアフ、ダイナ・ショア、ディーン・マーティン、この辺は機器の貧相性を引いても文句ない再生だ。このプレーヤーでジェンセンのフィールドスピーカーを鳴らしたら最高だろうとは名人の弁である。78回転のSPレコードはシスコンスピーカーによる再生力に疑問が湧く領域だ。

それでもペギー・葉山の初期の声が聞けたことは僥倖にちがいない。キングレコードに吹き込んだSPの珍盤だ。キングという会社がなぜ文京区の音羽付近にあったのか、前から疑問に思っていた。袋には日本テレフンケンと印字がある。加えて「大日本雄弁会講談社」と印字がある。キングは同じ音羽にある「講談社」の資本系列だったらしい。ペギー・葉山は大橋巨泉がジャズを論じていた時代からのジャズ歌手でこのSPには「涙のワルツ」「愚かなりし我が心」等のスタンダード曲が入っている。後年の低い声に特徴のあるペギー・葉山ではなく音楽学校でグリークラブにでも所属しているような清楚な乙女風歌唱だ。それにしてもRCAプレーヤーは欲しくなるプレーヤーだ。名機で名高いEMT930みたいにプレーヤー付近の中空に音がベッタリと張り付いていない抜けのよさが魅力だ。名人との事後評では、お互いにもう一花咲かせてRCAプレーヤーでも買おうという結論になった。