Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

谷・根・千 一箱古本市を歩く

2015-05-10 10:21:08 | 

谷中・根津・千駄木あたりを一括して「谷根千」と呼んでいるらしい。前に地下鉄根津駅裏の露地沿いにあった東京裏店風ラーメン屋「松島」のラーメンを食べたことがある。そのときに寄ったことがある「タナカホンヤ」という古書店の20代的新感覚のあっけらかんぶりを覚えていて、今回はGWのさなかにフリマ・骨董サークルの連中とその辺を歩いてみることにした。

5月3日がちょうど地域振興イベント「不忍ブックストリート」の実施日だ。其の日なら在庫もレアなものがあると読んでこの界隈の風物もついでに楽しむ歩きとなった。会場は協賛する古本店の店先、老人施設、教会、新劇劇団小屋、お休みの商店、カフェなど実に多彩な臨時会場が散らばっている。「一箱古本市」はそこへアマチュアが運んできたリサイクルブックを売るという企画だ。一箱等の少ない数じゃ売り手と買い手のコンセプトがずれていたらどうしょうないだろう?と危惧しながら古本セミプロ級の自分も餌箱を視覚と嗅覚をフル動員しながら巡り歩く。ここでわかったことは売り手が本を知りすぎていないコーナーが買い手には魅力があるということだ。安部公房の「石の眼」等の初版に2000円をつけるような時代じゃなくなっていることに売る側も気がつかないといけない。

途中に谷中「よみせ通り」にある「浅野」という和食食堂で「穴子天丼」を食べたり、一度入ってみようと思っていた写真館跡の写真カフェ「ケープルヴィル」にも寄ることができた。付近を歩きながらそこから遠くない東日暮里に住んでいたカメラマンのS君のことなどを思い出す。S君は今年初めに癌で亡くなったが、若い頃は駒込、田端、根岸を彷徨していてよく自分と接点があったジャズ話題に日暮里「シャルマン」や上野「イトウ」へ寄ってきた話が登場していた。一箱古本市は実りある収穫はなかった。

自分は仙台在住作家、佐伯一麦さんの8年間に亘る仙台暮らし日記を「タナカホンヤ」の「くものす洞」で見つけた。趣味友のMさんはその先の教会軒先で「すきまの雑草図鑑」という一箱古本市にふさわしい味わいの本を見つけて喜んでいた。他人事ながらこういうことが喜びの分かち合いというのだと思う。


外食に飽きて旬の秋刀魚

2014-09-20 20:56:31 | 

週の前半はどうしても外仕事に関係して外食が重なる。最近、よく通っている食堂はJR成瀬駅北口にある「熱烈中華・日高屋」ここでは「ニラレバ定食」が定番だ。町田・中町の「弥生軒」の「サバ塩焼き定食」座間駅前の「東秀」ここでよく食べるのは「麻婆豆腐丼」、自宅近くの246西原交差点にある「かつや」では80グラムの小さなロースかつを卵でとじた「かつどん」の「梅」がお気に入りだ。一昨日は高島町と戸部に挟まれた一角の「バーグ」という人気カレーショップで「ハンバーグ乗せカレー」というのを食べている。いずれも480円から850円の価格帯のものばかり、どれも超美味いわけではないが平均的独居者の腹を満たしてくれる献立で重宝している。

 

こんな瑣事を書くのも松本 哉(はじめ)さんの「永井荷風 ひとり暮し」という面白い本(朝日文庫)を最近読んだからである。荷風は昭和34年に千葉県・市川市の今でいえば本八幡駅に近い自宅で亡くなっている。享年79歳、戦後移り住んだ市川についての記述は荷風日記にしばしば登場するが、荷風は都合13年間市川に暮らしていたことになる。昭和34年といえば自分は12歳!

まだ小学生だった。兄弟も多く親が極貧状態でお小遣いももらえる状況ではなかった。そこでお小遣い銭欲しさに近所にある朝日新聞の専売所で夕刊の新聞配達を始めていた時期だった。横浜の中村川には国道16号に沿って数多くの橋がかかっている。吉野町という鎌倉街道の交わる交差点を自転車でスタートして天神橋まで移動する。

ここからは肩掛けベルトに新聞の束を支えて徒歩乃至は駆け足で配達をする。たしか磯子区の滝頭が担当地区だった。想い出といってもはるか薄い残像の骨格みたいなものしか残っていないが、どこかの飼い犬に膝を噛まれたこと。当時、飼い犬として流行っていて、今は滅多に見かけることがないスピッツをみると今でも憤怒が湧いてくるのはこうした幼児体験に負っている次第だ。これは今でも小さな傷跡が残っている。また配達の後半に出くわす闇がたちこめた「横浜市立万治病院」という昔風表現で称する「避病院」(腸チフス、赤痢、コレラ等の伝染病患者を収容する)があった。ここの廃屋病棟の傍らを通り抜ける恐怖感、これは怖がりな小学生に毎日襲いかかるけっこうな試練だった。

荷風の卒倒死、樺美智子さんの60年安保闘争における圧死事件等もこの夕刊配達時代に知った出来事である。一面の全段抜き記事の大見出しをみれば小学生の目にも大事件が起きたことくらいは分かるものだ。二年間ほどそのバイトをしたが成果は駆け足がすばらしく早くなったことくらいで学業の方は相変わらず低迷していた。一番、みっともなかったことは極貧状況にあった母親が、自分の配達アルバイト代の微々たるギャラを専売所の社長さんに前借に来たということだった。怒るに怒れない悲しいだけの事件だったが。人間は我慢を仕舞い込んで生きて行く存在だということを知ったのこの頃だったようだ。

松本さんによれば、浅草へ行けなくなってしまった最晩年の3年間、荷風は市川にある近所の「大黒家」で毎日「かつ丼」を食べていたらしい。浅草へ通っていた頃は雷門の「尾張屋」でこれまた来る日も来る日も「かしわ南蛮蕎麦」を定期食にしていたとある。これは新藤兼人監督が岩波の「図書」に書いた文章でも拝見したことがあった。毎日、同じものを食す癖を持たない自分が荷風の晩年のような身体の自由が効かなくなった時のことをふと想像する。

月に数回程度食べる「かつや」の「かつ丼・梅」が毎日だったら困るな等と読後の感想を抱きながら、本日はよく太って艶やかな旬のサンマを「青葉・食彩館」で購入する。一匹120円。これの塩焼きに久米納豆の「おくら」和え、大根の味噌汁、大根、キュウリ、みょうがのサラダ等を自炊する。外食、自炊を繰り返しながら一歩一歩、年を経てゆく秋めいた夕暮れである。


水曜日の読書

2014-07-23 20:43:45 | 

ようやく梅雨が明けた。毎週水曜日は厚木の奥の方にある愛川町まで仕事に出かけている。ここの仕事は一人きりの部屋で過ごすことができるから気が楽だ。やることをきちんと消化すればあとは惰眠をむさぼるわけにはいかないが読書くらいはできる。難点は通勤アクセスが悪いことだ。クルマの場合は国道246号を厚木の金田で右折して129号線を辿ることになる。このコースはまるで景色がよくない。灰色の一日が暗示されるような殺風景な街道筋である。これをやめて相模川沿いの東岸を行く県道コースも選択してみたがこちらは川を渡る渋滞が一苦労ということがわかった。そこでたまには原付2種バイクの出番である。昨日もおにぎり2個の弁当に横浜周辺の「ブックオフ」で買った108円の文庫本を数冊袋に投げ入れてバイクのホルダーにひっかけて通勤する。座架依橋の手前にある曲がりくねった農道を辿って相模川の昭和橋を目指す10キロコースだ。道端に野生する朱色の「カンゾウ」はとうに盛りを過ぎている。これからの「大暑」時期には青田の背後を彩る「向日葵」「大松宵草」「カンナ」などが川風になびく風情が座間や相模原の田舎道の魅力を高めてくれる。

持参した文庫はヘディン「さまよえる湖」ガルシン「赤い花」池波正太郎「包丁ごよみ」木田元「反哲学入門」どれもこれもオール108円の名著ばかりだ。中央アジアの移動するという伝説の湖ロブノール探検記がヘディンの本だが、こちらも108円でヘディン一行の筏や馬の旅のスリリングに同行させてもらうことができる。昔、「生活の探求」をものした島木健作という小説家は短編小説「黒猫」という傑作の中で旅行記、探検記の面白さを称揚している。ちょうど島木健作が結核を患っていた時にその鬱屈を晴らしてくれたものが古今の旅行記だったらしい。自分も金子光晴の「マレー蘭印紀行」田村隆一「インド酔夢行」等の紀行本をたまに読んでは詰まらない生活からの一時逃避を図っている。ヘディンの探検記も同様でこうした類ならシベリアだろうが、南米だろうがいつでも在宅漂流をきめこんで夢想は尽きることがない。

「舟旅」の箇所でいつも感動するのが1899年の第一次探検に従僕として水先案内をして活躍した東トルコの山岳砂漠人「エルデク」との32年ぶりという再会シーンがある。老人になったエルデクについての印象を記すヘディンの描写に泣かされるのだ。

ガルシンの「赤い花」は奇しくも「啄木歌集」を読んで触発されている。啄木の「忘れえぬ人々」の中にある「みぞれ降る 石狩の野の汽車に読みし ツルゲネフの物語かな」という歌だ。若い頃読んだツルゲネフ、チェーホフ、ガルシン、若い頃浸っていたチャイコフスキーの音楽、どこかで置き忘れをしてきた抒情の同質を感じてこの期に及んで読んだり、聞いたりし始めている始末である。ガルシンの短編では「信号」がよい。やっと職にありついた線路守の男の物語だが19世紀末期のロシア的暗澹の描写はやはりトルストイ、チェーホフの空気と同じもので、1924年以降のプロバガンダ芸術には失われてしまった貴重な感性ということに気がついたのが今回の我が成長である。

「包丁ごよみ」は池波の「剣客商売」中の料理シーンの抜粋集だ。料理の実例は「山の上ホテル」の名料理人、近藤文夫という達人が素敵なレシピを披歴している。夏の候に登場する鮎、鱸、鰻、茄子、どれも美味そうなものばかりだ。隠居剣客秋山小兵衛の20も年が離れた若嫁「おはる」が「はい」と答えるのを江戸弁で「あい、あい」と応じて気のよい台所仕事にいそしむ描写はいつ読んでみても素晴らしい。水曜日の文庫本デーはこの八月も続行する気配である。


梅雨空のピザ朝食

2013-06-14 08:34:34 | 
昨日の休日は秦野に住んでいるNさんに簡易型ベットをあげる為に出かけた。Nさんの住まいはUR公団マンションの5階だ。エレベーターがないから二人で階段を手運びする。そんなに重いものではないのに、やはり台風崩れの雨模様が続いていて作業に難航する日和だ。いつもはべランダから見える遠くの丘にたつ上智女子短期大学の校舎も雨に霞んでいる。運びこんだベットは上手く部屋におさまった。Nさんからお礼にと野菜をいただいてしまった。Nさんはこちらの不精めいた自炊生活を気にかけてくれていて、時々知人農家の自家用野菜をお裾分けで恵んでくれる。今回はでかい玉ねぎを7個くらいいただく。

そのなかにはサラダ向きの赤玉ねぎのよく実がつまって色艶の素晴らしい元気なものが混じっている。今朝はこれを晒しておいて既製品のチーズピザのトッピングに使うことにした。Nさんと同行した温泉入浴の帰りに閉店時間にギリギリセーフだったスーパー「フードワン」に売っていたニッポンハムの「4種のチーズ(ゴーダ、モッツアレラ、クリーム、パルメザン)」という包装美人!のチルドピザである。中身も美人にすべく赤玉ねぎのスライス、ハム、トマトペーストを加えた追加トッピングのアレンジをする。これをオーブントースターにて焼くこと8分、赤玉ねぎが柔らかにチーズと絡み合って包装美人は中身も少々美人へと変貌してくれた。

コーヒー、六つ切りしたピザ、キウイフルーツの丸齧りという簡易朝ごはんにありつける。あとでバジル粉や庭野菜として実をつけ始めたシシ唐でも加えれば更に美人度が増したのにと思った時は、すでにお腹に収まってしまったあとだった。しかし独居暮らしの丸6年という歳月。綱渡りみたいな食生活を続けているわりに健康が保たれている気がするのは、モノトーンにならないあっちふらふら、こっちふらふらという和も洋も混在、外食も自炊もバーサタイルにこなすという持ち前の「陽気暮らし」(天理教用語だが天理教信者ではない)に起因するものと自己肯定している。

食後の数時間は鬱陶しい梅雨空を逃れて冷涼感を呼ぶ北に因んだ昭和50年代の隠れた名著を紐解くことで暇つぶしを兼ねる。北海道新聞社発行の「北の魚歳時記」達本外喜治著「オホーツクの植物」西田達郎、辻井達一共著。両著とも一筋に歩むこと学ぶことの貴重を記す充実の本である。とうに物故者になられてしまった達本さんは江別市に住んでいた北海道産魚貝類の碩学で俳句なども熟知する文人である。この本は北の海、淡水に住む魚貝を季節に応じて47種類を取り上げている。

温暖な関東で育ったものには馴染みの少ない「チョウザメ」の話などは北海道の大陸との類縁性を物語っていてとても面白い。「チョウザメ」の卵はあの「キャビア」だが、親の魚は古代魚「シーラカンス」と同類の硬骨魚類が祖先のようである。このチョウザメは成魚が2メートルにもなるということは、ものの本で知っていたが、その昔北海道では石狩川、天塩川あたりにも産卵の為にやってきたなどということは知らなかった。成魚になるまでがおよそ15年というのも大きな話である。著者がかってソ連のナホトカから贈られた「チョウザメ」の後日譚としてその遊泳模様を昭和53年に小樽の水族館にて眺める記述が素晴らしい。

「装備の白光で、チョウザメの腹面を流れる菊花文様が、古代の貴族たちの衣服のようにあでやかに見えた。水槽の中で遊泳する彼等の姿は、どの瞬間をとらえても、名匠が織りなした古代裂の模様ともとれた。それほど、この魚影には神秘さがある。」

他の項目にも「イトウ」「ヒメマス」「ハッカク」「カスベ」など北特有の魚が登場して興味は尽きることがない。おまけに魚に因むアイヌ民俗譚や松浦武四郎という江戸期の蝦夷地冒険家による魚類記述録なども紹介されている。この真夏は「オホーツクの植物」にも登場する道東や道北の砂丘地帯を彩っている「エゾキスゲ」「エゾスカシユリ」「ハマナス」の景色でも眺めながら、ゆったり蛇行する湿原の川でも眺めに、久しぶりに北の地方を訪れてみようと、友人にでも声をかけてみることにした。

ビュッフェのクルマ絵本

2013-02-25 12:16:29 | 
ベルナール・ビュッフェが色々なクルマを描いている中古絵本を半日散歩の途中で手にいれた。ビュッフェが描いたジャズLPのジャケットイラストではエラ・フィッツジェラルドが歌っているバーブレコードからリリースしたものを2枚持っているが、ビュッフェはジャズ以外にもクルマが好きだったことを彷彿とさせる素晴らしい絵本である。スイスのモーリス・ガルニエ出版という版元から1985年に発売された洋書だ。タイトルは「L’Automobile(自動車)」と自筆で素っ気なく題されたもの。

1925年の「デラージュ グランプリ」から始まって1980年の「フェラーリ」まで欧米のスポーツカー、セダン、コンパクトカーが30種類に亘って描かれている。背景を粗略化してモノトーン処理する描出法はいつものビュッフェの他作品と共通する非情感ともの哀しさが漂っている。どこか南仏らしい避暑地の海岸、自動車レースの競技場、ガソリンスタンド、ブルジョア風館のガレージなどをスケッチ場所にして描き溜めたものだろうか。第二次大戦中の車種はさすがに登場しないが、絵としてはクラシックカーの範疇に入る戦前期の車種を描いたものがいずれも美しく楽しい。


あとでオールペン処理したと想定される黒と黄の対比も鮮やかな「BUGATII 50」これなどは昭和年号に換算すると昭和10年(1935)のものらしい。モスグリーンのコンバーチブル車はやはり昭和12年(1937)の英国製「MG」だ。表紙を彩る緋色のスポーツカーは同じ英国製の「MOGAN」(1950)である。戦争の後遺症なのか、たまたまフランス人的視野へ収まらなかったのか不明だが、戦後すぐのビュイック、プリマスなどゴージャスなアメ車はけっこう登場するが、ドイツ勢はメルセデスもVWも皆無でありポルシェが二回登場するくらいのものである。この洋書が横浜・伊勢佐木町の田辺書店で1000円だった。こういうものが発掘できることこそ古本漁りという趣味の醍醐味があるのだと痛感する。

これを購入してから斜め向かいの「りせっとカフェ」にてナチュラルなアサリの歯応えも美味い「クラムチャウダーセット」500円で締めることにする。半日散歩がいつもこうしたよい後味で終わってくれたらいいのだが。