Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

茶席の完成

2014-01-21 11:36:11 | その他

一人がけ用の椅子とテーブルの補修が済んだ。ダイニングの南側にセットしてみる。円卓は小さい。直径は50センチのサイズである。お茶の円卓には向いている。これも千葉県に移住していった友人の置き土産だ。三本の足が不均等に緩んでいてガタが出ていた。そのために日向や座間の北側の部屋で長い間、乾燥食材の置き場にしていたものだ。これを再生しようとお得意のステン塗料を塗る。剥げかかったウレタンのくすんだ残りムラはあるが、拾得品の再生無垢材椅子と並べてみるとマッチングは良い感じである。

ガタは本体との隙間に薄い硬質ゴムをスペーサーとして挿しこむ。さらにネジをプラスドライバーで増し締めしたら、ぴたっと止まってくれた。「断捨離」などという流行語もあるけど、ナチュラル素材の木や土のような経年変化に耐えられるものは、丁寧にかまってやって長く慈しむことが道理だと思っている。これをセットして脇の補助卓にお茶類の道具でお気にいりなカップなどを置いてみる。

コーヒー用マグカップは管球オーディオの先輩が水転写プリントで仕上げたものだ。マーティ・ペーチ楽団でアート・ペッパーがブリリアントに煌くソロを聞かせる通称「踊り子」のジャケットをあしらっている。控え室で出番を待っているブロードウエイのショーガールが広げている雑誌はジャズ専門の「ダウンビート」誌である。網タイツの長い足と知的スノビズムな隠しスパイスがほどよく効いている飽きなのこない傑作ジャケットを机上に再現するという幸せのカップでもある。

次は江戸時代・中期の蕎麦猪口なども出してみる。矢バネ文様の絵付けに力感が溢れていて、骨董市で3000円で購入、ほつれをやはり陶芸友人に金繕いしてもらった捨てがたき猪口である。こうした小物を並べ替えてコーヒーや煎茶を作法抜きで楽しんでいる。「捨てる神あれば拾う神あり」ということわざを思い出しながら、今日はこのカップで信州珈琲の炭火ブレンドでも飲む支度をしている。仕上がった拾得再生椅子の座り心地を試すよい晴れ模様もついでに楽しめそうな光りの加減である。


金柑のシロップ漬けと椅子の甦生

2014-01-19 10:57:08 | その他

12月に伊勢原の山沿いにある農家の直売所で買った大粒金柑をシロップ煮にして瓶に保存しておいた。二年半に亘るバイト生活のメインな勤めを辞めて時間の拘束はようやくなくなった。朝寝もちょっぴりできるようになった。雪の予想が見事に覆って座間の内陸部の空は青空だ。室温は15℃。しのぎやすい天気になってホッとしている。スーパーマーケットに寄ったときいつも買っている小岩井の生乳ヨーグルトの同列棚に明治ブルガリアヨーグルトの生乳バージョンが置いてあった。新発売につられて買ってみた。小岩井のものは液体が緩やかで腰がなく酸味もソフトだが、明治のものは昔からスーパーに売っていた定番バージョンをミルク味を強調してソフト路線を狙っているようだ。これに金柑とブルーベリーのジャムを添えると砂糖は不要だ。今朝は知人土産の冷凍パンとコーヒーにこれを追加した朝食を済ませる。

今朝は思い立って沐浴と拾った椅子の修復作業を兼ねて専用庭へ出る。やはり12月に代々木上原付近のお屋敷町のマンションから放出されていた粗大ゴミの椅子を家人に許可をもらっていただいたものだ。これが合板製なら見向きもしない代物だが、無垢材で節穴などの天然模様まで景色になっている。肘をかけるアール状の部材にはホゾ加工してあって簡単には緩まない仕組みだ。残念な状態は座り板の自然亀裂が二箇所ある。そして数十年使用の色褪せもひどい。しばらくバイト先の屋根付き庭に放置してから、ここを辞める日にクルマで運んできたいわくがある椅子だ。

日向薬師に隠棲した時代のDIY部品の中から木材用艶出し染料のオイルステンを探しだす。油性の「チーク」カラーがあった。朝の作業を開始する。汚れ落しのクリーナーを使ってからしばらく乾燥させる。その後からガーゼ布に含ませたステンを数回に亘って染み込ませる。亀裂部分は底板の寸法を計測して材木店に無垢材の端切れを探しに行き、亀裂部に木材エポキシを注いでから打ち付けてみようと思っている。塗装してからしばらく経過した着色状態をデジカメに納めてみた。なかなかよい発色になった。これなら春先に上町駅前でオープンする「アトリエ・モノラル」の茶房部分の単独者用に供することができそうだ。ちょうど円形のオーク材の小卓もあるからそれとコンビにすればいい感じになりそうである。図星の甦生で気をよくして午後の散歩は横浜の市街地へ出かけて補修品でも入手してこようと思っている。


ボロ市の扁古壷

2014-01-17 21:57:58 | その他

一月の世田谷ボロ市最終日を知人二人と散策する。厳寒の日が続いているが、風が収まってくれて少し和らいだ天気になっている。12月のボロ市における木枯しから比べればとてもラクチンな気候に救われた。

近いうちにこのボロ市通りを背にした世田谷通り沿いの東急世田谷線上町駅前にある古ぼけたビル内で、古本&音楽茶房をオープンする予定だ。仮称「ATELIER MONOURAL」。木曜日から日曜までの週4日が営業日で,モノクロームやモノラルの世界にこだわって生きてきた証左を示すようなスペースを目指している。初期はフンガルフォンのような欧州のレコード会社が発売しているグレゴリア聖歌でも流そうと思っているところだ。下見とボロ市見物を兼ねて無欲に冬空の下を歩いたせいか、益子の扁古壷の現代作の素晴らしい良品が懐に飛び込んできた。

 

器体を彩る絵は冬に咲き始める木蓮の蕾だろうか?糠白釉の曖昧なアブストラクトの枝模様をアクセントするコバルトブルーに清新を感じる。いかにも蒼の旋律を奏でている様子に魅せられてしまった。背景の地もいい。グレーと茶褐色の折り重なる微細な布目模様は島岡達三ファミリーの様式特長の象嵌っぽい香りも漂っている。益子の規則に則りながらも自由に飛翔するよい味わいの壷だ。ずっしりした壷の感触と作者を推測するという楽しみも抱えて知人二人と三軒茶屋へ戻る。豆彦のコーヒー、台所家の回転寿司で寒の一日をしめることにした。


弐 湯の旅伊豆半島完全一周

2014-01-10 12:45:10 | 旅行

正月の数日を房総の勝山にある友人Oさんのマンションを借りる予定でいた。海岸に面したマンションの利を生かして磯のテトラポットに潜んでいる魁偉な面持ちの高級魚カサゴでも秋刀魚の切れ身餌持参で狙い釣りしようという魂胆だった。しかし部屋の根幹を成す電気の元を切ってあって、復旧は世間一般の仕事初め頃でないと無理ということがわかった。急いで気持ちを切替えて行き当たりばったりの温泉立ち寄り旅を思いついた。湯河原に住む知人のMさんからかねて薦められていた伊東・宇佐美の街中にある源泉掛け流し銭湯、伊豆急蓮台寺駅から近い、金谷旅館の千人風呂、以前に女友達とドライブ途中で見かけた記憶のある「観音温泉」などの湯煙が頭の中に立ちこめてきて即行動する。

下駄代わりのクルマ、ホンダ「キャパ」は発進時にギヤが滑るような独特な癖というか、不調を持っているが、こういうウイークポイントを意識して走っているときは皮肉なことに故障はやってこないことが長年のカンでわかっている。正月三日、予約も一切なしの行き当り旅だ。海沿いの134号線は箱根駅伝の復路コースに茅ヶ崎海岸付近が重なっているが、沿道の反対車線は予想に反してガラガラに空いていて拍子抜けしてしまう。大磯、二宮、小田原などの国道1号も下り車線は空いていている。伊豆半島に入ってからの135号線も同様だ。自動車専用道路、バイパスめいた安易ルートを選ばない旧道ヘアピン派で通すことで伊豆の海・野山を体感できる旅の気分が一挙に横溢してきた。

第一番目は宇佐美駅前、右裏にある某銭湯。ここは2時にオープンする。タオル持参で350円を支払う。泉質は炭酸成分が主力だ。安価温泉の達人Mさんが推奨するだけのことはある。秋に同行した熱海市街地にある福島屋と同じタイプの昭和風改装不能なレトロ浴場だが、浴槽は必要にして十分な広さだ。福島屋は温度が高くて逃げ場がなくなるほどだった。まさに促成茹蛸の境地である。しかしこちらはやや熱い程度だから救われる。ドボドボ・コンコンと注いでくる豪勢な自噴泉の青みが淡くのったような気持ちのよい温泉に20分程浸かって気分は一新された。昨年来沈殿してきた塵芥も流れ去る気分だ。宇佐美町民のささやかな幸せと贅沢が羨ましい。

350円銭湯の良質に感激した後は伊東市内、伊豆高原・富戸付近へ寄り道してその日の臨時宿を探す。隙間でセブンイレブンの100円セルフコーヒーを飲んだり、伊豆銘菓「千舟」の蓬饅頭をツマミ食いするのんびり旅の風情も楽しむ。あらゆる宿屋は正月かき入れモードで手一杯なのだろうが、眺望が良い露天風呂を謳っている某ペンションが富戸の辺鄙な場所にあって交渉してみた。以外にも素泊まり6000円の答えをもらって安堵する。若い家族連れ、学生の利用が多く場違いの感もあるが、平凡な洋風建築の狭い部屋で雨露を凌ぐことに決める。ここの泉質は伊豆高原一帯に特有な単純強アルカリ泉とある。むろん自噴ではない。どこからの引湯なのだろう。しかしここのメリットは露天風呂の真上に広がる星空の夜景が素晴らしい。そして風呂に立ちはだかる河津櫻も3月頃には良い見頃を迎える様子だ。泉質こそ宇佐美銭湯の歯切れ良さに欠けるが、冷気に囲まれた温もりの中の眺望は捨てがたいものがある。二箇所ある露天風呂に計3回入って熟睡して翌日は下田を目指す。

 

幸いにも4日の宿泊は下田と西伊豆・松崎を繋ぐ県道の途中にある大沢温泉の湯治宿の予約が可能となった。素泊まりが3900円だ。宿の心配はなくなって下田の市中や海岸付近を手ブラ散策する。以前に満開だった爪木崎の水仙は時期がちょっぴり早い。板見漁港付近の潮色はエメラルド色が冬になって冴えてきた。下田市内の昼食はさざえを散らしたかき揚げ丼を食べてみる。さざえの硬い歯応えに妙味のあるものだが、かき揚げは余程の大食漢じゃないと太刀打ちできないような大柄、大味を感じる。

2時から入館できる大沢の湯治場「山の家」は山の渓流に面したバラック建ての山荘だ。ちょうど若い頃愛読していたつげ義春の描いた田舎温泉場の佇まいがいやおうなく漂ってくる。ここの路上には1000CCクラスの大型バイクが数台止まっている。ツーリングを兼ねた温泉旅には最高のロケーションを感じる場所だ。今宵の宿泊予約を確認してみたら、少し離れた所にある新しい平屋が宿ということである。部屋を確認してみる。つげ漫画風うらぶれ感はない清潔内装のせいぜい築10年未満の部屋だった。温泉の休憩所、浴槽は崖下にあり、落葉樹の梢が頭上にまで重なっているような秘境感にとても感動する。肝心の温泉はマニア諸氏がネット等で激賞するように西伊豆では出色の豪快な自噴泉をドンドンと吐き出してくる。湯量も温度も快適な為翌朝まで6回も林道を往復して入浴することになった。石鹸類の設備は一切セットしていない。アメニティグッズなども然りだ。こうしたシンプルで一徹な不便仕様は、意外にも清潔に通じていて簡素な環境循環を行っているものなのだと湯船に浸かりながら痛感する。

翌日は松崎から中伊豆等への省略コースも一切辿らないで、土肥、戸田、大瀬崎等の山沿いの旧道を巡って沼津を目指すことにする。途中の崖上にて食べた二八蕎麦、五平餅、クレソンのサラダなどが望外にも美味かったことで、新年の湯巡り旅はなかなかよい結果になったようだ。


壱・新年ジャズ詣 弐・湯の旅伊豆半島完全一周

2014-01-02 20:37:34 | JAZZ

1月2日は神社・仏閣への習慣的な初詣が成らずジャズ詣が先行することになってしまった。バイト先からすぐ近くの富ヶ谷には代々木八幡神社があって、その先の参宮橋には明治神宮の裏参道がある。小田急線のホームや車内では破魔矢を手にした家族連れを見かけるところが正月の二日ならではの風景だ。それらを尻目に新宿乗換えのJR荻窪駅へと急ぐ。年末に約束をしたジャズ的阿吽の共鳴第一人者ドクター櫻井氏のJBLパラゴンが相当に煮詰まってきたという話に真実を感じたからだ。手土産は荻窪駅ビルで売っていたベーグルパンの福袋セットを持参する。奥さんに鶏肉入り雑煮を一椀振舞われ、雑談もそこそこに地下室で二時間強の集中ヒアリングを行う。KEFの小型スピーカーLSー50が最新譜CD、パラゴンはモノラル音源のLPレコードだけという目配りも気配りも万全である。聴取者が主人以外の一人というのも気が疲れない。久しぶりに対面するLSー50は常日頃のマメな追い込みが効を奏したのだろう。現代ジャズソースが絶好調になっている。ちっぽけな小型の躯体をフルに鳴らしきる快感ここにありという豪快且つセンシティブな音だ。地下室最高!非スタジオ的遮音室最高!を感じる場面である。

女性ボーカルの新譜はダイアナ・パントン、サーシャ、等櫻井氏お薦めCDに従う。コンボ系はドイツのドラマー、ミカエル・ケウルのスコット・ハミルトンとの共演CD、ワイルドなテナー奏者ノエル・ジェークスがレスター・ヤングに敬意を表した「チェイシン・ザ・プレス」、オールドタイマーなピアニスト、マイク・ジョーンズがジェフ・ハミルトンの快速ドラムに鼓舞されて元気溌剌なスタンダード曲を弾くピアノトリオ新譜がいずれも耳に残った。ダイアナ・パントンはボサノバを歌って北アメリカの冷涼感が和らいだ暖色の境地を迎えているみたいだ。「ザッツ・オール」などのリラックスした歌が心地よい。サックスのノエル・ジェークスが倍音の飛沫を四方八方に飛び散らせる「ラバーマン」は自分好みのトラックで大感激する。共演している現代ファンキーピアノの手本のようなベニー・グリーンも韻律の自在なるデフォルメはいつもながらに健在だ。こういう骨格の太いジャズアルバムが湧いてくるアメリカは大きく深いとため息をつく。

KEF LS-50の小さな巨人ぶりを楽しんだあとはJBLパラゴンでLPを聴くという本題らしい新年のセレモニーが始まった。トーレンスの124プレーヤーにアメリカレコカット社のアームを着けて針はGEのモノラル専用バリレラ、アンプが櫻井氏が数十年に亘って調整を重ねてきたボンジョルノ作のプリとパワーだ。これにアメリカの西海岸スピーカーJBLパラゴンというオールアメリカン路線を強調する櫻井氏のジャズ鑑賞姿勢には見栄もハッタリも不在だ。LPソースの選び方もすでに達人域に来ている。見栄っ張りの偏差値オーディオ趣味人が遠ざけるようなディスクユニオンだったら千円未満の後発モノラルLPを好んでかける。ドリス・デイのレス・ブラウン楽団時代のラジオ放送LP、その後釜シンガーとして迎えられたルーシー・アン・ポークが参加している1949年のレス・ブラウン楽団のLP等である。私的には横浜在住時代にシュアーだオルトフォンだと騒いで鳴らしても、ただの金きり音でしか鳴らなかった一連のソース達である。

こうした半世紀以上前の音源がレトロなフレームに収まらないで目の前の現在の音といういでたちで現れてくれば、これは参りました、降参ですという心境にならざるを得ない。レス・ブラウン楽団の達人奏者をバックに歌うルーシー・アン・ポークの「セプテンバーソング」ワイドというより凝縮された音調のパラゴンが素晴らしい。ルーシー・アン・ポークの口腔内部の未分化な發語まで視界に入ってくる面持ちである。小さなLS-50にも現代のリアリズムを感じるが、パラゴンの再生音像には無窮性がある。デジタルに乗り越えられたアナログという感が深いオーディオ分野だが、真の趣味人だけが達成する音の至福というものを正月二日目の櫻井氏宅パラゴンに感じた次第である。