Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

梅便り

2013-06-29 11:09:46 | その他
老健施設に入っている母親から季節の絵手紙が舞い込んできた。母は施設の中で暇があれば手も足も使って動き廻っている。昔から保存してきたキューピー人形に着せる着物を縫ったり、使用済みカレンダーの白地を溜め込んで一冊のメモ帳を作ったり、けっこう手仕事にもかまけている。最近は娯楽時間に塗り絵を描くことも好きな様子である。絵手紙もだいぶ上手になったようだ。梅粒の余白の間合いにそれが感じられる。10日に一回くらいのペースで訪問するのだが、こちらよりも記憶は厳密で必ず前回の訪問日が何時だったかをこちらに教える。

季節の絵手紙に書かれた梅の絵を眺めて、今年はシロップ漬けも梅干もパスしていることがほんのりと悔やまれる。梅絵に触発されたせいか老健施設へ夜勤前の好天気を利用して回り道をする。緩やかな蛇行のフォルムが好きな渋田川の川べりではぼちぼち紫陽花の季節も終わりを迎えている。川を挟んで平野状に開ける大きな畑地ではトウモロコシや小麦の畑が南西風に穂をゆるがせている。その向こうに大山が聳えている伊勢原の夏景色が好きである。

施設付近の人家では盛夏を彩る「凌霄花」が群生し始めている。永井荷風の元祖大ブログ「断腸亭日乗」の下巻、敗戦間近い昭和20年6月の記述を思い出す。ちょうど6月27日の項に「凌霄花」が登場する。「人家の崩れたる土塀に凌霄花咲けるを見る。この花も東京にては梅雨過ぎて後七月半過に至りて見るものなり」とある。凌霄花(のうぜんかずら)の零れ咲く光景は68年前も今の夏も変わらないことを痛感する。

施設への小さな土産は信州帰りの友人から頂いた昔風仄か系甘味を残した果実原料の「みすず飴」、コーヒー缶とサイダー缶を少々、その場で食べ切る生鮮物として許可されている「豆大福」を持って行く。38キロの水分が枯渇した身体に乗っている母の小さな顔は、夏を迎えて少しふっくらとしたようだ。困苦を積んできた人物特有な悪い表情が影を潜めて、本日は平穏な91歳の顔になっていて安心する。母親の次回の希望を尋ねる。梅雨が明けたころ座間を訪れて、母が通っていた大和にあったパーマ屋さんにもらった「ムラサキゴテン」の植木鉢を眺めたい。そして素麺とスイカを食べたいというささやかな楽しみである。食欲の衰える様子も見えない。どうやら母親の91歳の夏は92歳に向かってクリアーしそうな気配である。

ZORZO BERGAMOスピーカーの誕生 その印象1

2013-06-25 22:33:41 | その他

30年間に亘って試行錯誤実験を繰り返してしてきたYさんの製作になるスピーカーシステムがようやく完成したという知らせを受ける。さっそく完成したそのシステムを西麻布にある彼の自宅兼用スタジオで試聴してきた。ガラスバッフルに挟まった奇抜で革新的なモダンデザインのスピーカーだ。彼が今まで試作した樹脂製大型平面バッフルや合金製円筒型スピーカーの美意識を放擲した身も蓋もない自作我流作品に比べれば、格段と美しい進化スピーカーが完成したものだ。シジフォス的な労苦はこれで打ち止めになるのだろうか?と完成品を眺める。このスピーカーはその名もイタリアンテイストが香る「ベルガモ」と彼は命名した。ドビッシーの「ベルガマスク」にも通じるお洒落なネーミングだと思う。

8センチの小さなフルレンジ型スピーカーが特注ガラスをはさんで正面に8個、背面に8個、片側で合計16個を組み込んでいる。写真では箱入りのように見えるが、黒いサランネットに覆われているだけである。これらは通常のようなバスレフとか密閉といった常識的形状のスピーカー箱に収まってはいない。一種の変則後面開放型スピーカーのようである。正面に向かっているユニットと同じものが背中にも反対方向へ取り付けられている。竹宮寿一さんという彼がスピーカーの伝達理論において最も尊敬している老人から啓発されたアイデアを根拠に開発したものらしい。こうすると振動板へ伝わってくる原音の歪みをストレスフリーに開放することが可能になるとの主張である。更に箱の内部で派生する不用共振に起因する混濁や脆弱な聴取環境においても原音信号の歪みは様々な形で増幅する。そうした歪みを音楽信号から駆逐せしめて元の瑞々しい音を忠実に再現する。こうしたノウハウの帰結が反対方向同一ユニットと大きなガラスウイングによる音場最適化手法にこめられている。

スピーカーユニットが挟まったガラスの大きなバッフル板とその手前にセパレートしている最適音場補正用湾曲ガラス板があって二枚でシステムは構成されている。ユニットの中心躯体そのものは小柄なのに2枚の屹立するガラスを必須とするシステムとしてはどうしても部屋の面積を食うタイプだ。少なくとも15畳以上のスペースで本領を発揮するスピーカーだろう。パワーアンプは4オームのパラレル接続して、ユニット分に対応した同一特性アンプ8台をステレオ使用している。あいにく試聴する為の耳に馴染んでいるソースは持参できなかったのが惜しまれる。

彼がPCと音楽専用インターフェイス機器を介して録ってあったチェット・ベーカーのリバーサイド盤「CHET」があってこれをかけてもらう。第一印象はジャズ音を構成するトランペット、バリトンサックス、ピアノ、ベース、ドラムスがとてもよく毛羽立った表情で実在性に溢れている。そしてその音はジャズサウンドの生命線である前によく飛び出して勇躍しているではないか。かってのYさんが製作遍歴されてきたスピーカーよりもジャズとのマッチングが良いみたいだ。聴取位置の前方へ広がっている音場の広さと深さが心地よい。そこに包摂される各楽器の点音源の像はとても鋭く明確だ。Yさんの余話で力のこもっている「位相」への腐心という話に納得がいく事象の一例である。8センチユニットが片側で16個、奇想天外というこちらのアプリオリは、「CHET」におけるペッパー・アダムスのバリトンソロ等を聞いていると見事に覆されてしまう。実務臭いペッパー・アダムスのバリトンの音色に、こんなに表情というものの原質的肉感を感じたことはなかった。

以前は8センチのこのスピーカーは英国ジョーダン・ワッツ製の流れをくむバンドールというメタルコーンのユニットだった。スピーカーシステムの新計画ではこのユニットだと技術上の都合でマウントができなくなってしまった。それで変更を余儀なくされたとはYさんの弁である。これを同口径の他社改造品に変えたらしい。そのジョーダン・ワッツでしばしば聴いていた時には、いつも空気に付着するメタリックな付帯音にいつも違和感を表明していた公平な自分である。今度は音が太くなっているのにくすんでもいない。不思議だ。朗々と力感を感じる再生音がきびきびと鳴っている。ユニットの計画変更がもたらしたオーディオノウハウの不思議を感じてしまう出来事である。大きな音でも疲れずに聴ける。これはジャズ再生の醍醐味に結びつく快味の一つである。この印象が一時の錯覚でないことを祈って、ふだん厳選しているジャズ力のあるソースを10枚ほど選んで近々に再訪してみたい気分になっている。どなたか同行したい人がいたら、このブログのメッセージ欄にて名乗りでてほしい。少人数であればきっと許可は下りる筈である。

お使いの報酬

2013-06-22 21:25:20 | その他
ドクター桜井さんの代理購入を頼まれていた品物が今朝宅配便で届いた。この箱を唐草模様の風呂敷に包んで町田駅の近くにあるクリニックまで届ける。箱の中身は人形が2体だ。バディ・リーというシリーズのアメリカンキャラクター人形である。この人形、日本では「マイクのおもちゃ箱」という商社が発売している。ジーパンメーカーのリーがタイアップしたその筋では名高い限定品である。


ドクター桜井さんはこれをオーディオルームにある気にいった玩具や照明の仲間に加える魂胆らしい。人形をなぜ、代理購入するのか?疑問に思う人もいると思う。これは度の過ぎた趣味へ立ちはだかる奥方への配慮と摩擦回避を企図した行動である。そうした摩擦回避なら協力するのは男の友情ということで気軽に用件を引き受けた次第だ。自分も家内が健康だった時代は、書誌学者の大久保さんという先輩と毎日のようにつるんで古本を漁っていたことがあった。包んだ大量の古本を持って帰るとドアを開けた家内の視線は本へ。毎度のことだとまた買ってきたのかという詰問の視線が増してくる。これを避けるのにドアチャイムを鳴らす前に外側の死角位置に荷物を隠しておく。ドアを開けて台所の方へ戻って行った家内の動きを見届ける。それからドアの外にあった荷物をすばやく自分の部屋に運び入れる。そんな過去のシーンが結びつく。

ドクター氏の用心深さは自転車事件が発端になっている。アルファロメオのブランド自転車を買ったときにミソがついたという顛末である。納品物に添付していたタグを車庫付近に投げ捨てていたらしい。それを奥方が目ざとく拾った。推測能力に長けている奥方はその商品名をパソコンで検索した。そこから購入価格が発覚して、以来不要消費を戒める必殺視線が強くなったらしい。今回の迂回購入によって本人が留守宅への納品は無事に避けることができた。手荷物で帰宅するという廻り道によって価格判明が不問になればそんなに有り難いことはない。手を煩わせたということで謝礼に最新発売のCDをお使いの駄賃としていただいた。

1962年にアメリカのホワイトハウスで行ったトニー・ベネットとブルーベックトリオの珍しいジョイントライブ盤である。当時の大統領、J・ケネディが聴衆を前にしてスピーチをしているモノクロ写真がCDのパンフに掲載されている。

ブルーベックの大ヒット曲「テイクファイブ」トニー・ベネットの「シカゴ」「思い出のサンフランシスコ」なんていうノリがよい曲を満載している。トニー・ベネットは別にピアノのラルフ・シャロンを従えて数曲歌っている。「スモール・ワールド」等を聴くとブルーベックのリズミックなメリハリの美とは違ったシャロンの繊細な歌伴ピアノの持ち味に吸いよせられそうになる。ドクター氏には高い駄賃になってしまったようだが、有り難く拝聴させてもらうことにする。

6月の勢い

2013-06-21 12:09:31 | 自然
緑豊かな秦野・下大槻在に住むNさんの付近もだんだんと住宅地が密集してきた。60才代のフリーター風に処している元都心派のNさんだが、なるべく緑が残っている付近の野辺道を選んで自転車散歩しているらしい。そんなときに立ち話して知り合った地元農園主の数名とは顔見知りになっている。彼らは農協へ卸さないで旬野菜を自家用に作っている人が多い。土地を建売用に切り売りした挙句生活の心配は無くなっても、土仕事特有の苦楽を忘れることができない地主も多く、Nさんが大雑把なまとめ買いを繰り返すものだから、すっかり顔なじみになっているとの話である。採れたての野菜を格安で譲ってくれる。

Nさんが昨日、届けてくれた大きな玉ネギもそんな地元コネクションによる直行野菜である。先月あたり掘った貯蔵品の様子である。どっしりと胡坐をかいたみたいな玉ねぎばかり十数個もある。これらは昔よく見かけた「福助」人形の頭みたいによく左右に張り出した形をしていてしばし見惚れてしまう。サラダ用には必須な赤玉ネギなど、この大らかなサイズを眺めていて思った。昔買い物していた「成城石井」「東急ストア」みたいなスーパーマーケットだったら、1個300円では買えないことだろうと想像してしまう。Nさんは普通の玉ネギと混ぜてまとめて十数個で合計200円だけ形式徴収していった。悪いなと思うがこれも人の縁がもたらすポジティブな因果と思って有りがたく頂戴してモリモリと食べることで報いることが善事と得心する。今朝は典型的な梅雨の空になっている。大きな玉ネギを専用庭の庇内にぶら下げることにする。

日陰の風通しのよい場所に晒しておけば数ヶ月は保存が効くとのことだ。オシロイ花と毒だみの根っこを暇のある度に根絶やしにしている専用庭も雨を吸っているせいか、雑草も益草も一緒になって喜んでいる。



一角に植えた青紫蘇、獅子唐、ピーマン、黄色トマトなどもようやく実ってきた。窓辺の近くで育てている観葉植物類もしばらく空気に馴染めなかった様子だが、「セトクレアセア」「ゼブリナ」みたいな「ツユクサ科」に属する種類は、やはり6月の勢いをもらっているようで、ようやく復調の気配がしてきたようである。

町興しのうどん

2013-06-18 21:38:08 | 旅行
平日休みの散歩は久しぶりの武蔵五日市、西多摩郡の日の出町、飯能市付近を近在に住んでいる友人提供のホンダ・フィットでぶらついてみる。飯能では西武線の駅に近い旧中心地の「広小路通り」を散歩する。内陸に位置する飯能や秩父が蒸し暑いという噂は何度か耳にしたことがある。その噂どおり油汗が滲んでくるような、梅雨が一服して真夏の気候になっている本日だった。ご他聞にもれず飯能の町中も、日本の中堅都市が共通して辿っている地盤沈下の暗雲が漂っている。閉店する店も多くシャッターストリートになりかねない町の活性低下に抗して町興しのような動きも胎動しているようだ。


商店街を歩いていて見つけた「日替わりシェフの店」もそんな一つらしい。異なった料理分野を曜日によって分けて低廉なお手頃値段で楽しもうという企画だ。ちょうど本日は飯能地方の名産といえる「地粉手打ちうどん」の日になっていた。試しに入って食することにしてみた。飯能の農家に伝わってきた伝統食のうどんは色があさ黒い平打ち麺でシコシコした腰の強い歯ざわりが特徴である。

調味料にはおろし大根、ゴマ、紫蘇、これに漬け汁がついてくる。塩と小麦粉だけで添加物を一切使っていないこのうどんには素朴な地粉に含まれた独特な甘みがある。しかしシコシコしたうどんの野生感に対して何か物足りない感触がする。漬け汁のせいだ。本体は昔の味覚が保持されているのに、漬け汁はなんとなく素っ気無い味がする。宗田、鯖、鰹等の混合出汁の煮詰める濃度が不足している印象で、これでは名物うどんとしては少し役不足なバランスなのかなと辛口感想も浮かんでくる。食したあとは、付近にある昔風の荒物屋、瀬戸物屋、好評・堅実の「英国屋」パン店なども冷やかして廻ることにする。その中の瀬戸物店は「イチノ陶器」という飯能における老舗だ。ここでは不良在庫めいたストック品をかき回していたら、一時代前の匂いを放つ意匠の勝れものをいくつか発見する。


写真の厚ぼったいガラスコップなどもそんな典型だ。器体の薄いピンクはあるかないかの風情で台座付近の空色とよいハーモニーを輻輳している。これを見たとたん、佐々木トーシローさんが薦める蝋燭立てとしての転用を思いつくことになった。自宅へ戻ってから暗い部屋の中で固形蝋燭に点火する。霞んでいる色ガラスの向こうにチロチロと燃える炎の先端がよい風情だ。しばらくこれの炎を眺めていたら、休日の歩行疲れのせいだろう、気持ちの良い睡魔に襲われ始めたようである。