Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

豆柴の気質

2022-02-04 12:43:42 | その他

歩いて数分のところに知人の一家が年末に引越してきた。その知人が昨年の初夏に柴犬の生後3か月の雄犬の通称「豆シバ」を購入した。郊外のペットショップへ引き取りに行くクルマ運搬の手伝いから、その柴犬とは縁ができた。指を嗅いだり、用心深く舐める様子が可愛い。

引っ越し後は接触機会も増えてなついている。仔犬といえどももうすぐ一歳。人間換算にするとティーンエイジャーの青年だ。忙しい知人が構ってやれない外出に際した時の情けない鳴き声、表情をみると不憫に思ってしまう。そこで店開け前の午前散歩の代役を引き受けることがある。「鍵っ子」ならぬ「鍵犬」状態から解放されてか、喜んで路地裏や坂道を牽引する筋力は勇ましい。

ポール毎のマーキングは躾が行き届いている。しかし「出物腫れ物ところ嫌わず」通り、高名なファッション街の舗装路へ差し掛かるといつも便意を催すらしい。今朝も2回やられて人目を避けるように素早く回収する。婦人グループで賑わい出す時間に至ってないのが幸いといえば幸いである。安堵して散歩の代役も終えたと思ったら、今度は柴犬というものの先天的な気性の難しさに対面する。

家人が留守の部屋に入れてリードを解除する私の仕草に抵抗する。目つきは「下手」と言っているようだ。これを機に「こいつは部外者」という不機嫌な威嚇までが流れてくる。急いで放し飼いの居室へ押し込めて引き上げることにした。「柴犬は飼い主の他にはなつかない」という血統的伝承を耳にしたことがあるが、今朝は改めてその思いを強くした。


日曜異変

2015-11-16 10:09:02 | その他

金曜日の午後に店を開けたが山元町商店街は相変わらず賑わいというものを欠いている。しかし質の濃い珍客はどんな寂れた市中にもうごめいているものでこの日のお客さんはたった二人ながら良質なお客さんに恵まれる!一人は70年代後期から日本ジャズブームを仕掛けたTBMレーベルの元社長のFさん。もう一人は12月初めに帰国するスペイン青年のLさんである。しめて売り上げはなんと800円。

これは自慢しているのじゃなく嘆いているのだが、現実離れしすぎて実感も湧いてこない売上で他人には自慢に聞こえるのではないかと危惧もしている。土日の巻き返しを図る為に思案しながら啜っている夜食ラーメンが「白河ラーメン弘流」の大盛りでこれの値段は990円。売上は吹っ飛ぶけど、こういう状況に1個70円の業務スーパーで買ってきたインスタントラーメンで最適化を計らないところが自分らしいと苦笑している。

Fさんがこんどの店から至近にある大衆文豪、吉川英治の幼年生息エリアに住んでいたなんて初耳である。XRCD(ハイレゾ)ジャズの使徒行伝も兼ねて専門バイト生活もしているという自転車を操るFさん、とても古稀を越えた年には見えずその背姿にはやはりジャズ人生を物語る哀感が漂っていた。

夜半はスペイン青年のLさんがくれた岩波文庫、南米作家コルタサルの短編集を読みながらHさん宅で仮眠。「南部高速道路」の乾いたヌーボーロマン風描写に魅せられる。パリ郊外の未曾有大渋滞がもたらす人間模様の精緻極まるワンショットシーンにドキドキしながら感情移入させられる。こういう出口なき人生の無限連鎖小説を読んだ後だから、土日の店に臨む姿勢も腰が据わっている。苦の後には楽もあると腹をくくっていたせいか、特に憂慮の濃い日曜日に待望の反転現象が起きた。開店22日目に初めて客数が12人を突破する。コネ客が6人に対し新規客が6人、これから新客が増えていく兆しが見えたことが嬉しい。さぼらないで開店日を厳守しようと思いながら洗いものをするがいささか人間疲れを覚える日曜日の夜更けになった。


山元町・柏葉付近

2015-07-08 04:15:31 | その他

梅雨のさなかだ。仕事柄、町の表情や匂いを嗅いで歩きまわっている。露地付近に咲きこぼれる草花も「梔子(くちなし)」「ノウゼンカズラ」「芙蓉」「「サルスベリ」といった季節の花が絶好な湿気と高温を養分にしてまじかな「大暑」を彩っている。

先日、雨の横浜保土ヶ谷辺りを歩いていたら、足のリハビリで長期入院している最中の旧友A君から電話があった。A君は今でこそ新興住宅地のシーサイドタウンに住んでいるけど、れっきとした横浜の下町っ子である。その彼が昔、大昔といっても40年前くらいになるだろうか?住んでいた石川町付近の山手側にある自宅場所で貸している店舗がジリ貧で撤退したらしい。和風に外装したこじんまりした寿司店があるな、と彼の住んでいた自宅の商店街から根岸の不動坂を下って磯子方面にクルマで抜けるときに、ときどき眺めていた一角である。寿司店といえばすでに回転寿司の時代で昔からやっている正統店はポツリポツリと消えている。彼によると取り壊しまでには少し時間があるので安い賃料で借りないかという打診である。

去年の春に世田谷・上町の駅前にある古いビルで音楽ブックカフェをしようと思ったが、厨房周りが不具のために途中解約したことを思い出す。話を聞いて仕事の隙間に現地訪問してみた。人は通っているけど日用品の小商いめいた店ばかりが並んでいる。一部はやはり経営者の高齢化乃至はじり貧なのだろうシャッターを下ろしている店もけっこうある。しかし古くダサくなってしまった昭和テイストを逆手にとって、西荻窪や谷中付近と同じようなアマチュアイズムが香る店も芽を出し始めてきている。寿司店の向かい側にあるいつもシャッターが下りていて残念な「ウエストン商会」写真店跡のノージャンル風店舗もそんな典型である。A君の意向を汲んで8月からここを借りることにした。手始めは正系昭和調の外装を変えてみることだ。

幸いにも今の勤務先は年齢をはるかに凌駕したこちらの情報嗅覚とフットワークの軽さを考慮して8月から自由形通勤に変えてくれることになった。朝は座間を9時に出て石川町の急坂を徒歩で現地まで行って、自由形通勤の営業活動を行う。そして週末の三日はキャパ20人の店主となってコーヒーや煎茶を提供しながら好きな音楽をかけるという目論見である。物事は目論見どおりに行かないことは体験で身に沁みているが、「わかっちゃいるけどやめられない。。」のも人生である。


にんまり「無銭優雅」な春日和

2015-03-21 20:27:46 | その他

専用庭のピンク雪ヤナギが満開になった。街路で見かける白い木蓮も一斉に満開になって里も街も春を讃えている。いつものメンバー6人がJR品川駅構内で待ち合わせして京急立会川駅近くの大井競馬場駐車場をめざす。4か月ぶりのフリマ見物に集まったお彼岸の祝日である。朝方に雨の気配があったせいか出展者の数はいつもより少ない。

同行の佐々木さんと巡回するコースを逆さにしてみようということになった。これもゲン担ぎの一種である。木山捷平が敗戦時の満州生活を描いた小説「長春五馬路」に登場するような「ボロ屋」「バッタ市」を発散する一角が、このフリマ会場にもあって、在庫品はただアナーキーに雑然と路上へ放りだされている。そこを疲れが溜まってこないうちに先に見物するという戦術である。ほとんどが無料回収のゴミの山といった駄物類に目が眩むコーナーだ。この中から質のよい物を掘り出すのも人生における研鑽という風によい方向に解釈してしばらくキョロキョロしていたらやっぱり手招きしている陶器が現れた。

 

松の自然釉薬が厚くたっぷり流れ落ちて山に沈む赤い夕焼けみたいな緋色とのコントラストが素晴らしい徳利酒器である。横には同じ作者のグイ呑みも並んでいる。ふっくらとした明るい詫び寂び感が上品に演出されていている信楽焼の規則に従った中々の逸品だ。売っている親父は軽トラックに乗っていて陶磁器のことなどまるで感心がないボロ屋風。たしかに親父の在庫品には電化品や鋼類が多くあって小型の陶器はどうみても外道の風情がする。尋ねると二品で800円との答えだ。びっくり仰天の値段が返ってきた。大和辺りの骨董市にもしあればペアで安くとも5000円は下らないだろう。ふとこの会場のニーズに沿っていない暗い色調のこの類は穴場なんだと佐々木氏と笑いあいながら800円を支払う。

こうした幸運は佐々木氏にも回ってきた。中型の調和がとれた瓶子だ。底には手書きで「小砂焼」とシールが貼ってある。栃木県、那須近在で近世になって開かれた民窯の明治期頃の作品らしい。辰砂釉薬めいた赤錆色が威勢よく掛け流しているところが佐々木氏好みか?素地は淡い卵手風というところが気品に満ちている。出品者は違うが値段を尋ねると、やはり500円という驚きの値段が返ってきた。佐々木氏も即これを買う。

更に驚いた買い物は両人の好みが一致した鉄絵の模様と釉薬の盛り上がりがその土台の力感に呼応している湯呑茶碗だ。これは益子の濱田庄司テイストを継承した佐賀県・嬉野在にある丸田正美窯のものと匂いが似ている。佐々木氏は濱田庄司窯のものではないかとそれぞれ推測している。4個が重ねてあるが数が揃ってない未使用品の類だ。これは小母さんの店番コーナーだ。二つづつを分けようと小母さんに値段を尋ねる。100円!とこれまたびっくりの答えだ。計400円なのか?と尋ねると「合計で100円」つまり1個25円の湯呑になる。これにも唖然としてお互いに失笑しあう。これらの戦利品を携えてJR電車にて戻った横浜駅近くのカフェの談論がいつにもまして活発になったことはいうまでもない。


土を見たり木を見たり。

2015-03-01 18:52:51 | その他

二十四節季の「雨水」を過ぎた頃から春めいた雨の日がくりかえしやってくる。去年植えこんだ「ピンクゆきやなぎ」も長く伸びた枝に青い花芽を整列させて春の訪れを告げているようだ。専用庭へやってくる野鳥もすこしづつ顔ぶれが変わってきた。厳寒期の常連だった「めじろ」「じょうびたき」が顔を出さなくなったら、今は孤鳥と渾名している「とらつぐみ」が毎日、やってきてしきりに土をついばんでいる。

先週の週末に大和の「古民具・骨董市」で入手した現代陶芸品の花器二点と鉢はいずれも土もので一週間を経て印象や自分の気分がどう変わるのか、今朝も眺めて確認しているところだ。モスグリーンの釉薬がかかった角型の壷がどうやらお気に入りに参列を果たしている。四面に描かれた窓絵の草文の彩色が仄かなピンクと薄い青のコントラストに味がある。売主の骨董屋さんはこれを「富本憲吉チックな味が漂っている」と評していた。益子系の重い土と思いきや、白く洗練された肌理の細かい土は美濃地方の窯で焼いたものらしい。これに連翹(レンギョウ)や梅の枝を挿したいところだが、毎日チャンスを逃してしまって時は進んでいる。

昨土曜はコーヒー、煎茶の補給買い出しを兼ねて藤沢・鎌倉へでる。ついでに鎌倉・小町にある古い耶蘇教会が処分を検討している大き目な板材を見学する。板はチークカラーのウレタン塗装したもので材質は集成材、重いもので教会内部の多目的自在テーブルとして活躍を重ねてきたものだ。

各種行事は教会に参集する婦人が活躍するのだが、この重い板の移動には手こずっているとのことだった。発端になったDさんとこの大きな板材を軽く叩きながら、スピーカーの躯体にはぴったりだ等と評しながら、この板を見物にやってくる人を待ちながらしばらく教会の美的角度を味あわせていただくことになった。