Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

庭の彩り

2013-03-29 13:43:40 | 自然
夜勤の前に花屋を30分くらい眺めるのが日課みたいになってしまった。感性の母胎には、若い頃に親しんだ立原道造、津村信夫、三好達治のような「四季」派の詩人達の描いた山野界原像のようなものが潜んでいるのかもしれない。一般の客が夕飯時を迎えてやって来ない薄暮時間の花屋にはよい時間がながれている。

そこでなんだか今まで植えたことのない植物のポットを買ってくる。みんな安いものばかりである。わが住まいの荒れている専用庭は地上面から1メートルほど低いところにある。その先は一種の遊具なき小公園になっていて、だれもことさらに通行する人はいない。戸建て住宅の集落は更に先にあって屋根だけしか見えない隔絶した場所になっている。格別よい眺望に恵まれているのでもないが、いつも視界に棘は刺さってこない安心感がある。空き室のベランダで巣を作ったキジバトがこの荒れた庭に降りてきて、時々何か落ちた実でも啄ばんでいる。そして物悲しいホホウ、ホホウという低いリフレインを発している。ウグイスやシジュウカラの鳴く声も混じってくるようだ。

国道にも近いのにジェット戦闘機が頭上を切り裂く音以外は、物音がしてこない環境が侘しい風情ながら好きである。昨年の秋に引越ししてきた頃を思い出す。真っ赤なオシロイ花がこれでもか!というくらい太い茎を庭中の地表、地中を問わずに張り巡らせていた。それとドクダミの蔓もしつこく密生していた。不精を克服しようと、数回に分けて雑草を刈ってみた。春になって先住者が残していった球根類が花を咲かせた。ヒヤシンスが終わったら、チューリップが咲き出している。

雑草を除いた場所には、雪ヤナギ、雲南オウバイ、オリーブ等の枝が伸びる苗木を植えてみた。隣室を仕切る壁のラインには和スイセン、菊、マーガレットの類を植え込んでみた。かなりの数が残っている平たい大鉢には「カモミール」「ミント」「ローズマリー」等を植えて悪戯な繁茂・伸長を防ぐような対策を試してみた。今日は咲いたチューリップと背後のコンクリート壁の虜囚感の対比を楽しんでから、プランターや小鉢に夕べ買い込んできた知らない花なのにリリカルを感じたものを薄日の中で植えつけている。チューリップ以外、上から「ボロニア・ピナータとクモマ草」「デルフィーユ・ミントブルー」「リューキンカ(高山キンポウゲ科の1種、これだけは厚木の無人販売所)」の順番になっている。

パソコンとラッパの故障

2013-03-27 11:26:06 | JAZZ
ブログには不可欠なノートパソコンがとうとう寿命になった。四谷時代に神保町の裏通りにあったディスカウントの「キガワ」で買った程度のいいものだったが酷使と容量不足が災いしたようだ。コルネットも練習を再開しようと思ったら、ピストンが引っかかってこれも大久保のDACで調整してもらっている。コルネットの方は軽症だからよかった。春はアクシデントが多いものだ。

パソコンは友人の青柳君が使っていないIBMのThinkVisionという小型のデスクトップタイプを持っていた。事情を電話で話したら、それをいただけることになった。横浜の南部まで受け取りに行ったが、謝礼は国道16号沿いにある「さと」の「すき焼きうどん鍋」とコーヒーを奢ることで済んでしまった。多年に亘る友情に感謝しないといけない。ウインドウズもXPの時代が長く、その後はバージョンがちょくちょく変わっている。新しいもので取り扱いに苦しむのも嫌だから、馴れたXPでしばらく過ごしたい。もらって来て結線や動作もできることが確認できた。これで数日の気がかりが解消した。
パソコンの起動も早い。余分なアプリケーションの贅肉も取れている。小型液晶モニターの色の締りも深みにも満足している。予想外に解決が早くなった夜勤明けの連休に安堵する。

しかし桜が満開のころはいつもお天気のほうが芳しくない。余った時間に小田原付近の桜でも眺めようと思ったが、北風も吹いている肌寒い曇り空だ。止めてバイクで付近の立野台公園、小田急線の座間駅から相武台前駅の線路沿いに咲いている桜並木を見物する。今年のソメイヨシノにはこれで満足だ。4月になったら伊勢原の低山に咲く山桜が待っている。山桜では足柄にある広域農道付近の隠れ名所も毎年の楽しみのひとつだ。桜を眺めてからは町田に出てマルチリードカードのUSB接続部品を買う。ついでに商店街にある老夫婦の喫茶店「ロッセ」へ寄る。ここの「アスリートブレンド」というコーヒーがしみじみと美味い。いつもの挨拶、いつもの味、100円くらいの差だったら町田に犇くどこのコーヒーチェーン店よりも断然こちらを選ぶ。資本に近いのか、人間に近いのか、これも味を決める重要な分かれ目だと思っている。

余った夜半の時間を好きなトランペッターのCDでだらだらと過ごせるよい休日になった。トニー・フラッセラ、オスカル・バルダンブリーニ、ドン・ファーガキスト、チェット・ベイカー、熱田修二、みんな欠かすことができない心の師匠たちである。



東横線新渋谷駅から初台へ

2013-03-22 15:17:29 | その他
話題になっている東横線渋谷駅の副都心線との開通はどんなものなのか、野次馬根性と用事も兼ねて下車してみた。2階にあった東横線のホームと改札出口は既に閉鎖されている。以前は旧称東急文化会館(いまヒカリエ)と北側改札口を繋いでいた渡り廊下があった。今も新ビルを繋いでいるのかもしれないが、確かめてはいない。宮益坂や六本木通りの枝線になっている金王坂方面に行く人はこの渡り廊下で、眼下にある明治通りをバイパスして通勤なり通学をしていたものだ。文化会館の1階とその隣には「ユーハイム」や「フランセ」があって、昔の女友達とお茶をするには格好のエリアだった。20代の後半から50代になるまで渋谷は馴れ親しんだ町である。

最初の勤務地は明治通りに面している宮下公園の前にあった。それから自営になって国道246の通っている南口の桜丘町を皮切りに、麻布十番、勝鬨、代官山、等を転々としながらまた桜丘町へ戻っている。自宅からのアクセスは初期が東横線、後期が田園都市線だった。東横線が代官山のちっぽけな駅を過ぎて蛇行しながら、のろのろと終点に近づく明治通り沿いの余り美しくない景色が今となっては懐かしい。渋谷川の護岸には、それほど立派ではないけど桜も植っているポイントがいくつか見えたものである。明治通りの裏手を電車が走るせいか、ひしめく雑居ビルの裏側は広告掲示場所になっていて、看板や窓に貼ってあるPOP広告を眺めるのも毎朝の日課になっていた。

今度の地下5階ホームはいったい地上の何処に出るのかと思いつつ、指示に従ってエスカレータを上がってみた。なんのことはない。元あった渡り廊下のちょうど、真ん中部分にある地上口にやっと出くわした。そこから南口の東急プラザのあるバスターミナルへ向かう通路などは激変もしていないので安心する。但し、今後渋谷だけをを目的地とした場合だったら、あえて地下5階から地上へ出るという進歩と退歩が同居しているようなこの東横線コースは選ぶ必要が無いことを実感した。

渋谷を後にして代々木の西原からオペラシティがある渋谷区本町へ引越したS夫妻を訪ねる。中野駅行きの京王バスや阿佐ヶ谷駅行きの都営路線バスが頻繁に発着する風景は、昔とそんなに変わらない渋谷駅前である。オペラシティの脇から幡ヶ谷にかけては、甲州街道を挟んで旧都心の住宅密集地帯だ。マンション、アパートの数も半端ではない。しばらくぶりのS夫妻は、重い病気から回復の途上にあって、一年前と比べると動きがとても軽やかになっている。特に旦那さんは大きな危機を超えた様子である。自転車でオペラシティのバス停まで迎えにくるという、相変わらずの気のよさを発揮している。ほんとに小さな部屋のアパートに住んでいるが、ご夫婦には健康を取り戻せた喜びの気配が漂っている。

隣近所に住む年上の孤老風の人々とも穏やかに溶け込んで仲良くやっているみたいだ。ちょうど一年前(2012年3月16日)に亡くなった吉本隆明の「老いの超え方」を読了したところでその感慨は深い。死の三年前にインタビュー形式で口述筆記した体験的老人生態論である。これを思い出したものだからSさん夫妻の解説で近所との交流について雑談混じりに聞き出してわが一人暮らしを照らすことにする。付近にはけっこうな数の高齢者が一人暮らしをしているとのことである。やはり大都会の風景だ。息子夫婦の世話にも、施設にも入らないで自活する90歳の老紳士もそこのアパートには住んでいる。また施設暮らしを辞めてアパートに暮らす共産党シンパ風の80台老女などもいるらしい。傍目からすると、仕方なく強いられた独居の不幸も垣間見えるが、それぞれの話を聞いてみると、お仕着せの定形コースを拒んだ挙句の不如意と自由が半分づつミックスした暮らしのようだ。病気でもすればすぐに崩れてしまう自由である。本当は親子なり、伴侶が傍にあるという幸福を希求したくても個々の事情には多くの障害がある。老人の自己選択の自由が制約無しに実現したら、もう国家というフレームは不要になってしまうという吉本氏の論には頷けると同時に解決不能の困難を感じてしまうものだ。

小さなアパートの清潔な小部屋で四方山話をしながら、シュウマイ弁当や美味いアサリ汁をいただく。春の西日も心地がよい。手土産に持って行った「ご座候」の今川焼きをつまんでいたら、なぜだか小津安二郎監督の映画の1シーンの中にいるような気持のよい錯覚に襲われてしまった。

墓さがしもあった思い出

2013-03-21 16:15:18 | その他

上大岡、杉田、富岡と横浜の京急沿線南部を歩き回る春のお彼岸になった。ボードレールの言葉にフラネールというのがある。ぶらぶらする都市散歩者を指す美しい語感のする言葉だ。夕方から金沢の並木団地で行われるトランペッター、金井豊さんのミニコンサートへ出かけるついでに半分、故郷みたいな京急線の駅周辺を墓参りのついでにふらついてみた。

大岡川の橋を渡って少し丘のほうへ歩くと我が家が檀家の末席に連ねている真言宗の菩提寺がある。この菩提寺も今でこそ綺麗に整備されたお寺になっているが、一昔前には貧乏臭い山寺の面影を漂わせていたものだ。父親が戦後すぐに先妻さんにあたる人を28歳で亡くした。戦争中からの結核をこじらせたらしい。種子さんという余り明るい響のしない名前が、わが家の墓銘碑には刻まれている。その人を弔ったときに、この寺から墓地を買った。これはよかったのだが、以後20年以上に亘って貧窮生活に追われて、親父はその墓地を放置してしまうという失態をしでかした。当時の住職もお寺だけでは食えなくてどこか区役所に勤めていたという非ブルジョア寺である。

あまりにも放置期間が長いせいか、お寺さんとしては新規墓地の整理をして分譲を重ねている過程で、我が家の区分が分らなくなってしまった。息子の自分が代理になって墓地の確認に挨拶に行ってみたらそのことが判明した。非はこちらにあるのだが、無情にも始末したという引け目もあるのだろう。双方があからさまなことも言えなくてどうにも気まづい交渉になったものである。お寺さんとしては、こちらの無責任を責めるような言葉もなく代替の区分を配慮しますという答えが返ってきた。改めて安めな権利代金を支払いついでに墓石を新調してから、早いもので20数年が経ってしまった。

自分などの死後については唯物論哲学を少しは齧ったのだから、どうでもいいことだと思っている。近未来にやってくるおふくろの安住できる墓地があるだけでもよいことだと思って墓石の廻りを清掃して花を供えてやったら、どこか救われた気分になった。大岡川のほとりでは、早い河津桜などが散り始めているが、下流のそめいよしのは、今度の週末がピークに咲き揃いそうな気配である。上大岡の町は昔の新婚時代と基本は変わっていない面白みを感じないところだ。よく上大岡の銭湯に行って、上がった合図をマイルス・デイビスが吹く「もしも私が鐘ならば」の一節を亡くなった女湯にいる家内に口笛で知らせたものだ。鎌倉街道を少し北に入った洋食の「津久井」のある横にその銭湯はあったのだが、今はその面影も見当らない。

ついでに京急線の各駅停車に乗って、夕刻までの時間を杉田駅の「YAMA」で美味コーヒーを飲んだり、富岡駅前の「ギターラ」にてアルテックA-7のスピーカーでクリス・コナーやメアリ・アン・マッコールのよい歌を聴いていたら、フラネール気分が昂揚し始めた。金沢スポーツセンターで聴く金井さんの生ラッパは観客のチンプンカンプンは別として、カラオケ装置のリズムだけによるソロプレイだけであってもいつも感激を与えてくれる。「エターナル」「眠る珊瑚礁」ちょうどよい硬質音がびしっと伸びて、大好きなラッパ吹き、ドン・ファーガキストのレコードを聴く感激と一緒の感激にいつも襲われてしまうのだ。

益子の絵が好き

2013-03-18 16:51:42 | その他
先日の骨董市で買った5個セットで1000円の益子焼の湯呑茶碗は、見込み内にあるうすい罅(ひび)に気がつかないで安もの買いの銭失い風の失敗をしたと思っていた。しかし二日を経て、改めて清めついでにじっと眺めてみたらいいものだと思い直すポイントを発見した。柿釉という益子の伝統的な茶色地にワンポイントの絵が糠白地の窓に鉄絵で描かれている。これに赤や紺が入っていたら更にいいのだが。茶碗の一個一個の窓の形は微妙に異なっていて、柿釉に覆われた器体と絵の輪郭を仕切る墨色も濃淡や太さがばらばらで、5個それぞれの手描きならではの表情を作っている。

こうした違いがこの茶碗の味を生み出している。プリントで複製した几帳面な均一絵柄との違いだろう。少し昔は、手馴れた陶工さんやおばちゃんがすごいスピードで筆を走らせている、この茶碗のような雑駁でひょうきんな絵柄の益子焼らしい雑器がけっこう出回っていたものだ。有名な故皆川マスさんだったら梅、超大家の故浜田庄司だったら唐黍(とうきび)のように絵柄がトレードマークになっている人のものは見当がつくのだが、この茶碗が誰の絵付になったものかは知るよしもない。

よくみると絵柄は椎茸のようである。白抜き部分が埋もれてなんだか分らない茶碗も混じっている。もともと草花や山水を描いた柄は多いが椎茸は珍しい。椎茸があるということは同じ窯元には茄子だのカボチャを描いた茶碗があるのだろうと想像するのも面白い。遅かった春が駆け足でやってきた。益子の山里も町もこれからが春の本番だ。この稚拙な椎茸の絵模様を眺めていたら、むしょうに益子へ出かけて、このような雑器の山を掻き分けてみたい気分が高まってきた。